25 青き軍師の忘れ物③
ノック音に応じるより早く扉が開く。そこから姿を見せたのは、今一番会いたくない人物だった。
うねった黒髪をなびかせて、黒い瞳が彼を見据える。炎を思わせる真っ赤なドレスに見を包み、その手にハンドバッグを携えて。彼に向けられた眼差しは獲物を見つけた蛇のようだった。
「お久しぶりです、王妃様」
ルイは作り物の笑顔を張り付け、最敬礼で来客を迎える。体の動きに合わせて国王譲りの金髪が揺れた。笑顔の下に隠した感情を悟られまいと体に力が入る。
王妃と呼ばれた来客は漆黒の瞳で部屋を見渡す。この部屋にいるのは
クラウンの忘れ物の一つは持ち去られたいた。代わりに引き出しに入っていたのは紙切れ一つ。そこに書かれていたのは王妃が手書きした文字だった。王妃の筆跡をルイが見間違えるはずがない。
「珍しいわね。どうしたの?」
沈黙を破ったのは王妃だった。問うたのはこの部屋にいる理由。確かに、現在療養中とされているネイサンの部屋に人が訪れるなんて珍しい。けれどもそれは王妃にも当てはまる。
「国務にてアルカナ語が必要になりまして。父上に聞いたところ、ネイサンの部屋にアルカナ語の辞書があるそうじゃないですか。それで、借りにきました」
「あら、そうなの。見つかるといいわね」
「王妃様こそ、どのような御用でいらっしゃったのですか?」
ルイの言い訳を聞くとそのまま部屋を去ろうとする。そのままにすればいいものを、王妃の態度が気になってつい声をかけた。この部屋の主は療養中でいないことになっている。それなのにわざわざ部屋を訪れたことに対して違和感を覚える。
「いえ、特に用はないのよ。今でもたまに足を運んでしまうの」
「ネイサンの具合はどうですか? 見舞いに行きたいのですが、なかなか許可が降りなくて困っています」
「良くはなってきてるわ」
「ネイサンが治療のために城を出てからもう十二年になります。早くネイサンに会いたいです。……この部屋、埃がないですよね。王妃様が掃除されているのですか?」
ルイが痛いところをつく。けれども王妃は顔色一つ変えなかった。表情を変えないまま、ルイの問いかけに答えていく様子は敵ながら見事である。
「そうよ。週に一度は来てるの。ネイサンがいつ戻ってきてもいいように」
「僕が来たときには部屋がこの有様でして。王妃様は犯人をご存知でしょうか?」
「残念だけど心当たりがないわ。それじゃ、私は一旦失礼するわね。辞書、見つかるといいわね」
ルイが
一部の人を除いて、夢にも思わないはずだ。王妃が第一王子を殺そうとしたことも、第四王子に関する大きな秘密を隠していることも。ルイだって、書類を目にするまでは信じ難かった。
クラウンと第四王子、国王と王妃。どちらに味方すべきなのか、ようやくルイの中で答えが定まった。
ルイは王妃がいなくなったことを再度確認すると、扉に背を向けた。入口の真正面に位置する本棚に近付くとその側板に右手をかける。左手で本棚中段奥の段差に隠されたボタンを押した。
壁の奥からカタリと何かが外れる音がする。そのまま側板を押すと、本棚が押し扉のように奥へと開き、隠された部屋へと繋がった。部屋に入って本棚を模した戸を閉めれば、
部屋と言うにはお世辞にも広いとは言えないその空間。奥へと細長く伸びたそれは通路によく似ている。暗闇の中で青い瞳がルイを睨んでいた。
「君の予想通り王妃様だったよ」
「だろうな。あんなメモを残すくらいだ。僕がいつか戻ってくるとさえ思ってるはず」
「で、だ。王妃がすぐそこの廊下を歩いている以上戻るわけにはいかないよね」
「ここは隠し通路になっていて、どこかに繋がっているらしい。そう、日記に残してあった。どこに繋がっているのかはわからないが……」
「この先を進むしかないってわけか」
クラウンがこの隠し通路に飛び込んだのはノック音がしてすぐのことだった。日記と第四王子に関する書類を手にするとすぐさま引き出しに鍵をかけ、本棚の奥へと移動。間一髪のところで王妃とクラウンは入れ違うこととなった。
ルイに説明を受ける時間などなく、仕掛け戸を開けられたのは見様見真似。日記を呼んだからこそ、咄嗟の判断で危機を免れることができた。クラウンがどうなろうと関係ないはずなのに、クラウンが無事なことについつい安堵するルイがいる。
「さて……
いつの間にかルイの胸には銃口が突きつけられていた。人差し指はすでにトリガーに添えられている。金属タイヤがルイの足を踏みつけ、その動きを止めている。青い瞳が放つ光はまるでルイの全てを見透かしているかのよう。
これまでクラウンはルイに雑用しかさせなかった。手を貸す理由を尋ねたのは背中を預けるためではなく車椅子を預けるに足る存在かを知るため。だから、クラウンからこの問がされることを予期していた。
「ここにいることが答えだよ。僕の答えは変わらない。だから鴉に応じたんだ」
「敵は隣国だぞ? 覚悟はあるか?」
クラウンの問いに、黒い瞳は青い瞳を睨み返した。
「王族として、ディスガイアを守るために全力を尽くす。ここで生まれたからには、この国を守る責務がある」
「ほう。何が無いと最初から全てを諦めていたお前がそこまで言うとは珍しい」
「あの人は危険だってことだけは痛いほど知っているから。僕一人じゃ勝ち目はないけれど、君がいてくれるならなんとかなる気がするから」
ルイの言葉にクラウンが眉をひそめる。どこにつっかかったのか、ルイは容易に予想することができた。それを口にするのは勇気がいる。けれどもそれは、クラウンが知らなければいけない話。
「どうして危険だと知っている?」
それを口にすると決めたはいい。いざ口にしようとすると体が震える。自分を奮い立たせるように、クラウンが突きつけた銃口を自らの手で固定した。クラウンがトリガーを引けば確実に心臓を射貫くようにした。
「ここ数年の話だよ。僕、聞いたんだ」
「何を?」
「……クラウンの両足は生まれつきじゃない。生まれてすぐに切り落とされたんだ」
「おい、ふざけてるのか?」
「本当だ。王妃様がそう、声高らかに話してたんだ。『あの子の両足はね、生まれてすぐの時に私が切り落としたの』。そう、客人に話していたのを、偶然聞いてしまったんだ」
クラウンの両足が無いのは生まれつきではなく人為的なもの。実母である王妃によるもの。この話が本当であれば、王妃こそがクラウンの人生を狂わせた張本人と言える。
クラウンは言葉を発しなかった。代わりに、ルイを車椅子と銃から解放した。無言のまま、隠し通路を先導する。ルイにはその背中が泣いているように見えた。
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