銀の鈴

とらいし かなえ

第1話 眠れない王子

 今年もクリスマスシーズンがやってきた。

12歳になったばかりの少女シャルミアはウキウキしながら賑やかな街を歩いた。クリスマスソングがあちこちで流れ、カラフルなイルミネーションが街路樹を彩っている。ショーウィンドーに飾られたリースもツリーもピカピカしている。

 ちらちらと粉雪の舞う空に教会の鐘が響いた。

「もうこんな時間!」

 シャルミアは街のはずれ、森の入り口にある家に急いだ。赤い屋根のログハウスだ。

「おばあちゃん、遅くなってごめんなさい」

 息を弾ませて扉を開けた。

「おや、お帰り。夕ごはん、できていますよ」

 あかあかと暖炉の火が燃える。

「ありがとう、おばあちゃん」

 シャルミアは白いコートを脱ぐと食卓についてビーフシチューを一口食べた。

「美味しい!」

「それは良かった。今日の学校は楽しかったかい?」

「うん。私、学芸会で天使の役をもらったの。今日いっぱい練習したのよ」

「すごいねぇ。楽しみにしているよ」

「ありがとう。……ところで、おばあちゃん、あのクリスマスツリーに飾ってある大きな銀の鈴、天使がくれたってホント?」

「おや、誰かから聞いたのかい?」

「ティム先生が言ってたの。あの鈴はこの街の宝だって。ぜひとも、学芸会で天使役の私に持ってもらいたいんだって。ねぇ。あの鈴、学芸会に使ってもいい?」

おばあちゃんはツリーの中央に飾られた銀の鈴に目をやった。

「そうねぇ、飾ったままよりは使ったほうが天使様もお喜びになるだろうねぇ。わかった。お前の好きに使うといいよ。ただし、大切に扱うこと。いいね」

「やったー」

シャルミアはスプーンを持ったまま万歳した。

ガシャン!

おばあちゃんの大切にしていたティーカップが床に落ちて割れた。

「うっ!」

おばあちゃんが急に胸を押さえて苦しみ出した。

「おばあちゃん!? どうしたの?」

「薬を……、ハートのマークのある薬瓶を……地下室にある……、取ってきておくれ」

「わかった。待っていて。すぐ持ってくるから」

「銀の鈴を……持ってお行き。明かりになるから」

シャルミアはツリーから銀の鈴を取り、地下室へ急いだ。

 地下室の扉を開けると中は暗く寒々としていた。

「怖い。どうしよう」

シャルミアが暗闇で戸惑っていると、銀の鈴が光だし辺りを照らした。その明かりを見ていると不思議と勇気が湧いて心が穏やかになった。シャルミアは先へ進んだ。

地下室には、ワインやチーズが貯蔵されていた。それだけでなく、シャルミアには使い方のわからない乾燥させた薬草が何十種類も棚に並んでいた。

瓶詰めにされた緑や紫の薬品もたくさんある。

「薬はどれだろう?」

シャルミアは明かりを左右に揺らした。

すると棚の中段にハートマークのある赤い薬瓶を見つけた。手を伸ばして取ろうとしたその時、ひょいっと、横から手が伸びて赤い薬瓶を奪われた。

「誰? それを返して!」

明かりを向けると、目の前にトンガリ帽子の男が目を押さえて眩しそうに立っていた。男のかすれ声が響いた。

「これは、ヴェズラエル様への贈り物。もらってゆくぞ」

男は一目散に逃げ出した。

地下室の奥へ奥へと。男の姿は暗闇に紛れてすぐに見えなくなった。

「待ちなさい!」

シャルミアは後を必死で追いかけた。

階段を上り、勝手口から外に出た。ドアの鍵が無理やり壊されていた。

地面を照らすと、うっすらと積もった雪の上に男のものと思われる足跡が残っていた。

足跡が森の中に続いていたので、ためらわず、シャルミアも森に入った。

必死だったので、コートを着るのも忘れていた。

辺りはすっかり暗くなっていた。

おまけに霧が出て視界が悪い。

夜の森にはフクロウの亡き声がこだましていた。

どこからかオオカミの遠吠えも聞こえてくる。

「あら?」

しばらく森を行くと、足元に季節はずれのスズランの花が咲いていた。一輪ではなく、群生している。

さらに違和感を覚えたのは、そこに大きな姿見が地面に突き刺さっていたからだ。

「いったい誰が、こんなところに姿見を捨てていったのかしら」

男の足跡はこの姿見の前で途絶えていた。

ゆっくりと慎重に姿見の前に立つ。

左手を姿見に映る自分の手に重ねる。

するとスーッと中に引き込まれた。

「きゃあ!」

一瞬にしてシャルミアは鏡の中の世界に取り込まれた。

ドテッ。

おもいっきり尻もちをついた。

「いったーい」

お尻をさすりながら立ち上がり、辺りを見回す。

そこは小さな丘の上だった。たくさんのスズランが風に揺れている。眼下には、万華鏡のような美しい街並みが広がっていた。

トンガリ帽子の男は丘を下って街に入るところだった。

シャルミアも丘を駆け降りて街に入った。

街に入った途端、人の往来のあまりの多さにシャルミアは驚き、トンガリ帽子の男を見失ってしまった。

吹奏楽団の軽快な演奏、ピエロの大道芸、タップダンサーたちの踊り。あちこちで色々な催し物があって、街は異様なほど盛り上がっていた。

「さぁ、クリスタルタウンのお祭りだよ!」

バラの花びらを空に撒き散らしながら歩くお兄さんが、シャルミアにバラの花を一輪差し出した。

「お嬢さん、クリスタルタウンにようこそ。君も王子様に呼ばれた花嫁候補かい?」

「い、いいえ。違います。おばあちゃんの薬が盗まれて……、そう、トンガリ帽子の男の人を見ませんでしたか? その人が薬を持って行ってしまったんです」

それを聞いたお兄さんの顔が急に曇った。

「お嬢さん、そんなことは、今は誰も気にしないさ。そう。眠れない王子に花嫁が現れて、眠れない呪いが解けるまで、俺たち街の者も眠れない。もう三ヶ月、俺たちは安らかな眠りとは無縁のお祭り騒ぎの毎日なのさ」

お兄さんの顔をよく見ると、化粧でごまかしてはいたが、くっきりと目の下にクマができていた。瞳も、どこか虚ろだ。

「そんな。おばあちゃんが大変なんです。早くあの薬を取り戻さなくちゃ」

「悪いが、俺には関係ないこったな。そんなことより……」

お兄さんがまた不気味に陽気な笑顔をつくった。

「お嬢さんが王子様の花嫁候補になるっていうなら、話は別だ。協力するぜ」

「わ、わたしは……」

「遠慮はいらないさ。お嬢さん。そうと決まれば善は急げだ。早速、宮殿にお連れしようじゃないか。なぁ、みんな。こちらのお嬢さんが王子様にお目通りだー」

「おー!」

周りの人々は新しい花嫁候補を見るなり、いきなり輿にシャルミアを乗せて担ぎ上げた。そのままシャルミアは宮殿へ連れて行かれた。

宮殿はすべてクリスタルで造られ、まばゆいばかりに輝いていた。

「王子様、花嫁候補の娘を連れて参りました」

バラの花をシャルミアにくれたお兄さんが王子に深々と一礼した。

「またか。これで百人目ではないか」

王子は疲れきった様子でシャルミアを見た。

「娘、なんでもいい、なにかしてみよ。この私を眠らせてみせよ。そうすれば、お前を私の花嫁として宮殿に迎えよう。この娘を連れてきた者たちにも金貨百枚を与えよう」

シャルミアは怒りに燃えて言い放った。

「あなたたちは勝手なことばかり言うのね! 私はこんなロクデナシの王子のお嫁さんになる気はないし、こんなところで時間をとられている暇はないの。一刻も早くトンガリ帽子のドロボーを見つけて、おばあちゃんに薬を届けなくちゃ」

「この私をロクデナシと言うのか! この娘を縄で縛りあげ牢屋につれて行け!」

シャルミアは兵士たちに捕らえられた。きつく縄で身体を縛られ自由を奪われてしまった。

牢屋の中で、シャルミアはしくしく泣いていた。

「おばあちゃん、おばあちゃんが死んでしまう……」

すると、向かい側の牢屋の女がシャルミアに優しく話しかけてきた。

「死んでしまうだなんて、そんな悲しいことを考えていてはダメ。そんな時は歌うの。歌には力がある。ほら、こうよ」

女は美しい声を響かせて歌った。

ガチャン!

女の牢屋の鍵が開いた。

「あなたにもできるわ。さぁ」

シャルミアは勇気を出して歌ってみた。

リーンリリーン。

銀の鈴がシャルミアの歌声に共鳴した。

ガチャン!

シャルミアの鍵も開いた。

「すごい。自分にこんな力があったなんて」

「さぁ、逃げましょう。あんな王子たちのことは放っておけばいいのです。もうじき眠れない呪いのせいで気が狂い、皆死ぬでしょう」

「そうなの!?」

驚くシャルミアに対して女は平然としている。

「あの王子は冷酷で残忍なのです。心が生まれながらに氷ついてしまっているのでしょう。どんな花嫁が来ても、その心を溶かすことはムリです」

「やってみなくちゃわからないじゃない」

「やってみました。この私こそ、彼の許嫁。彼を真に愛していたのはこの私なのに……。真実の愛の力も、彼には通じなかった。彼は実の両親を殺し、私の両親をも殺しました。あの人は呪われて当然です」

「あなたが王子と街の人たちを呪ったの?」

「えぇ。私が闇の魔女ヴェズラエルに頼みました。真実の愛の力と引き換えにね。だからもう、私は彼を愛せない。運命の糸は切れてしまった」

少しの悲しみも見せずに女は牢屋を去って行った。

シャルミアも城を出ようかとも考えたが、やはり死にゆく王子たちを残しては行けなかった。

もう一度、シャルミアは王子に会いに行った。

王子は玉座に座ったまま貧乏ゆすりを繰り返していた。

「娘! なぜここにいるのだ」

「なぜ、あなたは人を殺したの?」

シャルミアは単刀直入に尋ねた。

王子は舌打ちをした。

「今度は、この私に説教をするつもりか」

王子の貧乏ゆすりが、より一層激しくなった。

「私は誰かに指図されるのが我慢ならんのだ。例えそれが実の親でもな。だから殺した。それだけだ」

「なんて人なの?」

シャルミアはあきれ果てた。

それでも、踵を返して立ち去るのをなんとかこらえて話を続けた。

「このままじゃ、あなたも街の人たちも死んでしまうのよ? 」

「死ぬのか? ……この私が?」

王子は自分の両手のひらを見た。

王子にはそれが血に染まって見えた。

「いやだ! 助けてくれ! なんでもやる。金貨1000枚……、いや、私の宝のすべてをやろう。なぁ、頼む。助けてくれ!」

王子にすがられて、シャルミアは戸惑い、困った。

どうしたらいいか、わからなかったからだ。

すると、銀の鈴が光を放った。

リーンリリーン。

ひとりでに鈴が鳴る。

シャルミアは歌の力を思い出した。

鈴のリズムに合わせて歌う。

「うっ」

王子が胸を押さえて苦しみ出した。あまりの苦しみに耐えきれず、床を転げ回る。

リーンリリーン。

銀の鈴の音が高まるにつれ、王子の苦しみは酷くなった。

シャルミアは歌い続けた。歌い続けることが必要だと直感した。

王子の脳裏には実の両親と許嫁の両親の泣き顔が映っていた。

王子の氷の心が砕け、王子の目からも涙かこぼれた。

王子は今、ようやっと自分の罪深さに気づいて心の底から悔いた。

「娘よ。私はお前の言ったとおり、ロクデナシであった。この罪は許されるであろうか」

「えぇ。許されます。それが真に悔いた心なら」

「ありがとう。娘」

王子は静かに久方ぶりの眠りについた。

それを見ていた兵士や召し使いたちも、街の人たちも、皆ようやく安堵して眠ることができた。

「良かった」

シャルミアは胸を撫で下ろした。

そこへ、黒いつむじ風とともに魔女ヴェズラエルが現れた。

「小娘、余計なことをしてくれたな。もう少しでこのクリスタルタウンを我が物とできたというのに」

ヴェズラエルのそばには、あのトンガリ帽子のドロボー男が控えていた。

「あなたがヴェズラエルね。おばあちゃんの薬を返して」

「この薬のことか?」

ヴェズラエルは豊満な胸の谷間からハートの模様のある薬瓶を取り出した。

「これは白い魔女ミルシャズーラの命のみなもと。これと王子の許嫁、ロミルダ姫の真実の愛の力を合わせると、王子を思い通りにできるという惚れ薬ができるのさ。皆殺しの計画がダメになった時のための、いわばBプランさ」

ミルシャズーラはシャルミアの祖母の名前だった。

「おばあちゃんが白い魔女……」

「さてさて、お邪魔な小娘さん。お前は今、ここで死んでおしまい!」

どす赤い閃光がシャルミアに蛇のように襲いかかった。

シャルミアはとっさに銀の鈴を盾にした。

ヴェズラエルの放った死の呪いは銀の鈴によって跳ね返り、ヴェズラエルの胸を貫いた。

「ぎゃあ!」

魔女ヴェズラエルの身体は石になって砕け散り砂になって消えた。

後には、ハートの模様の薬瓶と虹色の丸い光が残された。

「この光は……、真実の愛の光?」

そこへ、牢屋で出会ったロミルダ姫が姿を現した。

「それは、私にはもう必要のないものです。私は王子を呪いました。もはや、彼を愛する資格はありません」

「そんな。それでは誰が、王子様を愛するの?」

「あなたよ」

「私?」

すると、真実の愛の光は銀の鈴の中にとどまった。

「年頃になった時、あなたが王子を愛するかもしれない。でも、それは、もっと先の話ね」

ロミルダ姫はシャルミアの頬に祝福のキスをすると、城を去って行った。

「おばあちゃん、待っていて。すぐ行くから」

シャルミアは薬瓶を手に、もと来た道を駆け戻った。

スズランの丘から姿見をくぐり、雪の森を走る。

「おばあちゃん!」

祖母ミルシャズーラは床に倒れたまま意識を失っていた。

シャルミアは急いで薬を飲ませた。

しばらく様子を見ていると、祖母の蒼白かった顔に赤みがもどった。

ミルシャズーラはゆっくりと目を開けて孫娘の顔を見ると微笑んだ。

「ありがとう。シャルミア。もう大丈夫」

「おばあちゃん。良かった」

シャルミアは祖母の手を握り、何度もそう言って涙した。

「おばあちゃん、あのね……」

ひとしきり泣いた後、シャルミアは森にある姿見のことや、眠れない王子のこと、クリスタルタウンであったことを祖母に話した。

「そうかい。あの街に行ったんだね」

ミルシャズーラはシャルミアの話を全て聞き終えると、

「あの街には二度と行ってはいけないよ」

とだけしか語らなかった。

「さぁ。もうお休み。夜ももう深いから」

そう促されてベッドに入ったものの、シャルミアはいろんなことが気になって、なかなか寝付けなかった。

ベッドサイドの机の上には銀の鈴がほんのり光を宿していた。

その光を見ていると、不思議と気持ちが落ち着き、シャルミアは深い眠りに落ちていった。

雪は音もなく降り積もっていた。




















 


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