四方屋凌の恋模様

モノ柿

第1話 四方屋凌と修学旅行。浮かれすぎてありきたりな告白。

「はああああ………」


 四方屋よもや凌しのぎはバスの自席で盛大な溜息を漏らした。


 修学旅行が始まって一日が過ぎ、昨日の時点で計画していた行動はことごとく阻まれ、たった一つの目標を果たすことはほとんど不可能となってきていた。


 その目標とは、ただ一つ。


 桜の森高校二学年のアイドル。聖母とまで呼ばれる少女、同級生の鷲崎由利亜に告白するというものだった。


 二年四組所属の四方屋凌は、同じく二年四組の鷲崎ゆりあに対して恋慕の情を持っていた。


 思春期真っただ中な高二男子という肩書を見ても、そのような感情を心に宿すのは珍しからぬことだろう。


 事実、共学である桜の森高校では、男女のすったもんだ、惚れた腫れたは日常茶飯事だ。しかし、この学校には現在、十人の生徒に恋愛的絶対不可侵が設けられ、告白禁止、重度の接触禁止、その他十数個の禁忌があり、それらすべてを当人に知られてはならないという条件のもと、犯した者に対しての制裁も生徒会によって定められていた。


 そしてその十人のうちの一人に、鷲崎由利亜という少女は記されていた。


 世界的企業の元社長を父に持つ美少女である。会社経営から降りたとはいえ彼女の父の総資産額は四千億ともいわれ、家は高級住宅街に突如として建設された高層マンションの最上階。


 眉目秀麗、運動もでき勉強もできる万能な女の子であり、何よりその容姿は見目麗しく可愛らしい少女。


 そんな彼女に対し、なににも劣る少年であるところの四方屋が告白することに対して、四方屋自身心に痞えを感じていた。


 しかし、恋というものは衝動的なものであり、理性によって制御できる範囲を四方屋の中ではすでに超えてしまっていた。学校内において、それはしてはいけないことであり、自分の行動は他の男子生徒、ひいては女子生徒の今までの努力に対する冒涜であることを深く理解したうえで、それでも行動に移そうとしているのだ。


 が、一日目は盛大な失敗に終わった。


 同じクラスに所属するクラスメイトである四方屋でも、告白するような空間を整えることは出来ず、そもそも、鷲崎の顔を見たのはバス移動のときの一回のみという驚異的な遭遇率を誇っていた。


 何がそうさせるのかは明白で、鷲崎の脇を固める女子生徒の輪が圧倒的な防御力を誇っているのだ。


「はあああああ…………」


 二度目のため息。


「んだよ、うるせいなシノ。楽しさが半減するからため息つくのやめろよ」


 隣に座る楜沢くるみさわ信二しんじが嫌悪感を隠さずにいう。


 四方屋は、そんな友人に対し、「ぁぁ、悪い…」と、力なく謝った。


「んだよ、告ってフラれたか?」


「まだフラれてねえわ!!!!」


 どストレートに図星をつくような質問に、四方屋は声を荒げて反論する。


「んだよ、うるせいな!! 冗談だろ!!」


「あ、ああ、冗談ね、冗談冗談……ハハ…」


 力なく笑い、首がだんだんと落ちていく友人に、信二は首を傾げた。


「……え、マジで。誰かに告ったりしようとしてる?」


「……」


 その質問に、四方屋は考えた。


 確かに、信二は良いやつだ。こうして、修学旅行のバスの席を隣にするくらいには仲がいいと言っていい。ダメなことはダメというし、楽しいことは一緒に楽しんでくれる気持ちのいい奴でもある。


 だが、自分の気持ちを素直に言うとなると話は別だ。


「なんか昨日から腹が痛そうな顔してると思ったわぁ、なるほどねぇ。んだよ、言ってくれりゃあ協力するってのによぉ」


 いやいや、こうは言ってくれてるが、自身の想い人の名を聞けば、きっと止められるに違いない。


「で、だれだれ? 俺の知ってるやつ? あ、蓼科たてしなだろ、席隣だし、お前やたら優しくしてもらってるもんな」


 何も言わないでいると、するすると話が独り歩きして行っていることに気づき、とっさに言葉を挟む。


「違う! というか別に腹が痛そうな顔なんてしてない」


「いや、腹が痛そうな顔はしてるって」


「してない」


「いや、マジマジ」


 信二は後ろの席に座る女生徒に何やらいうと、こちらに向き直る。


「ほら、見てみろって」


 差し出されたのは手鏡だった。三度溜息を吐くと、それを受け取り自分の顔を見た。


 目の下は黒くくぼみ、全体的に青白く、やつれたような顔をした誰かがいた。


「なんかこの鏡変じゃね?」


「変なのはお前だ」


 そういわれて四方屋は初めて気づいた。


 自分が相当に弱り切った相貌をしていたことに。


「これ、俺か…?」


「お前以外にいないだろ」


 あきれ切ったように言い捨てる信二は、四方屋の手から鏡を取ると、「さんきゅー」と、返した。


「マジかぁ……こんなひどい顔してたのか……」


 昨日一日、教員に心配されてばかりだった記憶が、四方屋の脳裏を支配する。


 鷲崎が周囲の人間に連れて行かれるから話しかけられなかったのは確かだが、告白する当の本人が、教員にばかり声をかけられ続けていたことも昨日の計画がすべて破たんした原因だったのだ。そのことに、いまさらながら気づいた四方屋は、四度、溜息を吐いた。


「うぐっ……!!」


 そして、信二による肘鉄を食らう。


「いい加減にしろ」


「……はい…」








***




 桜の森高校では例年、二学年時の九月半ばに沖縄に行くのが修学旅行の定番となっていたのだが、今年に限って、一人の教員の急な退職や集団熱中症など、事件の後始末に追われ日付をづらさざるを得なくなり、無理矢理に十月頭の京都旅行へと予定が移行された。


 その弊害で、ホテルや観光地への伝手がなく、アポイントを取れないという事情から、学校側が用意しなければいけない順路がほとんど埋まらず、一日目と二日目の予定を無理矢理時間的に幅広にとることでごまかしを利かせようとした。のだが、そんなできそこないが、最高峰の頭脳を誇る生徒たちに通用するはずもなく、結果、「生徒の生徒による生徒のための修学旅行」を題して、予定は完全に有志の生徒たちによって組まれた。


 その予定の場所に、バスが到着すると、信二は四方屋を担任のもとまでつれていき近くの座れるところで休む許可をもらった。


 明らかに具合が良くないのが見て取れる四方屋を見て、担任の放った一言は、「ごゆっくり…?」だった。なんか違う。その場にいた誰もがそう思い、特に強くそう思ったのは当然、風評被害を受けている信二だった。


 目的地であるミュージアムの建物内に置かれた長椅子に座り、ペットボトルのお茶に口をつけ一息つくと、信二が四方屋に問いかけた。


「んで、結局なんでお前はそんなに具合が悪いわけ?」


 バスの中での告白云々をとりあえず忘れ、最初から話を聞くという意思表示としてのその質問に、しかし、四方屋は何のことはなく、


「さっきまであれだけ茶化しといて、そういう聞き方する?」と、嫌味たらたらな返事で返した。


「それは置いといて、とりあえず話してみろって、な?」


「ええ…んー……」


 思い悩んだ末、聞かれたことに直接答えることをやめ、逆に質問で返すことにする。


「信二はさ、好きになった人が結構な立場違いな人でさ、自分が告白したところでどうしようもない時って、どうする?」


「なんだよ、そのピンポイントな質問」


「いいから」


「あー、どうって聞かれてもな」後ろ頭をガシガシと掻き、言葉を選ぶようにして口を開く。


「まあ、そうなったら何もしない。たぶんだけど」


「へたれ」


「ぶっ殺されたいなら最初からそう言えって」


「う、嘘です……」


「でもまあお前がなんでそんなにグロッキーなのかは分かったは」


 したり顔でそういう信二に、四方屋は何も言わずまた一口お茶を飲む。


「できることなら気持ちを伝えたうえで、付き合ったりしたい。そんな風に考えてるなら、うちの親指姫も、五組のシンデレラも、間違いなく痛い目に合うだけだぞ」


 なにとは言わない四方屋に対し、直接的な言い方でもって言葉を紡ぐ信二。


 心がえぐられるような辛さを感じながらも、淡々とした友人の言葉に、苛立ちよりも現実を見るための冷静さが四方屋に戻ってきていた。


「(そうだ、次元の違う女の子に恋をしてしまったんだ……)」


 そんな心の機微を見透かしたかのように、すかさず追撃が入る。


「でもさ、俺あの不可侵条約って気に食わないんだよなぁ」


 吐き捨てるかのような言葉に、四方屋はすかさずなぜと問い返す。その解答如何によっては、自分の恋の対象の名前を言ってしまってもいいと考えたからだ。すでに四人ほどに候補が絞れてしまっている信二にとっては、それはどちらでもいいことなのだが、四方屋としては、いまだ個人が特定されていないというのが強みのように感じていた。


「んなの、周りが勝手に個人の権利を迫害してるようなもんだろ? まあ、告白されすぎるのが迷惑だからそういうものを作って、身を守るっていう抑止力としての役割はあるんだろうけど、とはいえ、な」


 条約の役目はわかるが、納得は出来ない。そういう意味の気に食わない。


 だが結局のところ、反対するほどの理由もない、そういうことだろう。


「なあ、お前の恋煩いの相手って、天使じゃないんだろ?」


「違う」


 天使というのは二年五組のシンデレラと呼ばれる十人のうちの一人で、本名が「清野せいの天子あまね」であることで、そう呼ばれている。当然、非公式(本人は存ぜぬ)だ。


「じゃあ、一組の葉っぱのどっちか?」


 一組の葉っぱというのは、ある種の面白ネーミングで、二年一組に在籍する、「三沢よもぎ」と、「直葉すぐは緑みどり」のことを示している。どちらも名前から「葉」をイメージさせられるところからきているのだが、当人たちの近くにいる人間にこのネーミングが使用されているところを目撃されると、怒声が飛んでくるというある種別称となっているネーミングだ。


 二人の厳格な性格が災いし、敵が多いというのが十人の中では珍しい部類に当たると言える。


 もう一人、二学年には神格化された人物がいるが、この場では関係ない。


 十人のことを記憶で掘り出してみて、四方屋は信二に向かってツッコんだ。


「いや、てか言わねえよ」


「んだよ、言えよ。せっかくこんなところで時間つぶしてんだから、少しくらい俺に笑いを提供しろ」


「むちゃくちゃ言うな、俺は芸人じゃない」


 二人して溜息を吐くと、近くを、いかにもガラの悪そうな高校生が通り抜けていくのを見送る。同じ修学旅行生だろうか。そんな風に考えて、自分たちが現在修学旅行の真っ最中であることを改めて理解する。


 隣に座る男が、大切な時間を割いてくれているのは確かなのだ。それに答えないのは不誠実ではないか。そこまで思いいたってしまうと、なんとなく居心地が悪くなるのを四方屋は感じた。


「でもなぁ、天使じゃなくて、葉っぱでもなければ、もう一人しかいないんだけど、親指姫は無理だからありえんだろ…」


 と、隣ではブツブツと信二が一人で思考していた。そして、全否定されていた。


「(いや、もう言わなくてもいいだろ、こいつには)」


「んで、結局誰なん?」


「親指姫」


 やけくそだった。もう何でもいいやと思っての暴露。めんどくせえと吐き出した。


 そして、当然の反応ながら、信二は「はっあああぁっっ!!!???」と、発狂した。






 親指姫というのは、鷲崎由利亜を示す敬称である。


 小柄な容姿と愛らしい相貌。


 その二つのみを尊重しての敬称なので、深い意味は全くない。


 その親指姫に対しては恋愛不可侵の十人のなかで唯一、二学年だけでの共通認識があった。


「チビ姫に告白するってことは、死ぬってことだぞ!!?」


 信二は驚きのあまり立ち上がると、四方屋に向かって叫んだ。


 そう、全校生徒の妹的存在の鷲崎由利亜に対して告白を行うということは、全校生徒を敵に回し、殺戮されるということを意味していた。


「お、お前、本気か?!」


 問う信二に対し、四方屋は目を伏せ重苦しくうなづく。


「好きは抑えられないとか、そんな話じゃ収まらない次元の話をしてるんだぞ!?」


「わかってる……、わかってるけど…でも、さ……」


 言葉を詰まらせる友人に、これ以上言ったところで意味がないと悟ると、あきれた様子で首を左右に数度ふり、力なく腰を下ろした。


「やっぱ…ダメかな……?」


 少しの間の後、口を開いたのは四方屋だった。


 指を絡めるように握る手は、力が入っていることが見て取れた。だがそんな風にしたところでその男のしようとしていることの重大さは変わらず、ただ一人、この場でこのことを聞いた信二は、かける言葉を見失った。


 それでも、何か言わなければと口を開いた。


「確か、親指姫には彼氏がいるって聞いたけど……?」


 言ったあと、余計なことだと悟る。


 そんな信二の気持ちを推し量ることもなく、四方屋は反論を口にする。


「それは嘘だったってきいたよ……。冗談で言ったのが広まったんだって」


 冗談、その言葉で思い出したことが信二の口から漏れ出る。


「そういえば、男の家から登校してるとか」


「…………」


 反論がなかった。


「え、これマジなの?」


 焦る信二は何も考えずに四方屋に聞いてしまう。


 苦汁をなめるような顔をした四方屋が、言うには、


「写真とか、そういうのも出回ってるから、もしかしたら嘘ではないかもしれない。そのことを聞いたうえで、告白しようと思ってたんだ」と。


 一日目の四方屋の計画というのは、京都に到着し、昼食休憩時に行くレストランで、一人になる時間を見計らいことの顛末を聞き、その解答如何で告白場所の指定を述べ、二日の夜、つまり今日の夜にホテル近くの橋の上で告白という段取りを取る予定でいたのだ。


 残念なことにというべきか、計画の杜撰さが招いた結果というべきか、現在、今日の夜の予定は風呂とバイキングのみとなっていた。


「んでも、写真もあるんだろ、じゃあもう決まりなんじゃない?」


「もしかしたら違うかもしれないだろ。それに、鷲崎さんがそんな穢れた存在なわけがない」


 男の家にいたとしても、きっと何かほかに理由があるに違いない。


 四方屋はそう考えていた。ちなみに、信二は、「実は学校での顔が超絶作りこんだもので、家には帰らず男とやりまくる日々を送ってるびっちなんじゃ?」という、まあ大凡男子高校生が思い浮かべる淫乱を妄想していた。


「だから、聞けるタイミングを見計らってたんだけど、いつも誰かといるし、一人でいるところに出くわさない。そもそもほとんど出くわすことがない……」


 うなだれる四方屋に、信二は「そりゃ、あんだけ厳重に警備されてて、一人でいるところに出くわすってのは無理な話だろ」と当然の反応を示した。


 鷲崎由利亜への告白。


 それは同学年の凡人では、成し遂げ得ない偉業。


 そういうことなのだ。


「でも、でもさ…付き合うとか、そういうんじゃなくていいんだ…。ただ、俺みたいなやつもあなたのことが好きですって……そういう気持ちが伝わればそれだけでもいいんだ……」


 細々とつぶやかれた言葉は、信二の耳に溶けていき、結局、友人の告白を手伝うことになる。






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