魔物化被害者の会
魔女の屋敷に住まい数日、俺は剣の訓練を再開した。
衣食住が満足できる水準に落ち着き、畑の野菜や野草、釣りなどの食材確保が午前に解決する様になったのを機に過去の日課を再開したのだ。
忘れてはいけない。
俺たちは命を狙われる身の上であり、一度は勇者に敗戦しているのだ。
数日ぶりに刀を振るう。
折袖から預かった唐傘を模した鞘に収まる仕込み刀は刃こぼれもなく、刀身に汚れの一つも見つからない。手入れが行き届いているのか、或いはあれが初めての使用だったのかもしれない。今まで扱っていた木刀とは違う、ずしりと手に馴染む重みがある。この重みは命のやり取りをする武器の重みだ。
「……なるほど」
俺にとって訓練は身体との対話でもある。
同じ型、同じ速さでの動作を毎日繰り返せば、そこに生じる差異は俺の体調によるものだと分かる。理屈は分からないが、経験上気持ちの落ち込みでも動きのキレや体力の消耗は変わる。そうして俺の今を測ると不思議にも以前より遥かに研ぎ澄まされていた。訓練の暇もなく過ごしたこの数日だったが、思えば初めての実戦を経験した。積荷を担いで山道を歩きもした。何より心のあり方が影響を与えるというならずっと俺を苦しめていた真央との関係を修復した今のコンディションが悪いはずがない。
しばらく身体を動かしながら解明していく。
身体能力だけじゃない。視力や聴力が冴えている。これは恐らく山での暮らしに体が適応した結果だろう。昔、野生に近い生活を送る部族の視力が都会の人間の数倍にもなると聞いたことがある。
そして、第六感、証明されていないこの感覚の真相を俺は直感というものは視力、聴力など五感と経験則の複合による感覚だと考えているのだが、それが目覚め始めた様に感じるのだ。
俺の感じる第六感の感覚は小さな違和感だ。
何もないはずの場所が不気味に感じる、落ち着かない印象を受ける程度。しかしそれをきっかけにして五感で探ればその違和感は次第に形作られる。
例えば、魔女の屋敷から距離を置いた一軒家ほどの草原地帯、訓練に適したこの地を囲む木々雑木林。なんの変哲もないはずのその林だが、そこに感じる違和感は風向きが変わると微かに香る人の匂いだった。
「そこにいるんだろ? 出てこい……2人ともだ」
「……すごいわね」
「あぁ、想定以上だ」
俺の声に応え、それは茂みから現れた。
薄紅色の髪をした事務員の様な制服姿の女性と、彼女より頭ひとつ長身の男性は青髪で右腕にサラシを巻いていた。
「まず敵意はない……信じてくれるか?」
「こちらの呼びかけに応えたのだから最低限は信じてもいい。ただ、信頼を得る手段があるなら出し惜しみはしないで欲しいな」
落ち着いた口調で青髪の男が言う。
俺は少し焦り苛立っていた。既に彼らは明らかに俺たちを目的にしている事だけは判明した。問題は彼らが何人で来ているのかだ。もしかすると既に真央の身にも変化があるかもしれないと思うと悠長には対応できない。
「私たちも魔物化被害者よ。今は『魔物化被害者の会』を名乗って仲間の保護を優先して行動しているわ」
「魔物化被害者という証拠は?」
薄紅の女性の言葉に鋭く返す。
これは、信用の話であると同時に、この土地に現れた者達の上下関係の決定も兼ねたやり取りだった。彼女達が敵味方無関係に、俺たちがこの地に関連づけられるならばここで下に出るわけにはいかない。
「私たちが魔物化被害者だと証明したら、信じてくれるか?」
「少なくても勇者という線は消える」
なるほどと、青髪の男うなづいた。
どうやら彼は冷静な男らしく、俺の考えは見抜かれている様だった。その上、先ほどから姿勢が変わらない。半歩開いた足、腰のベルトにかけた右腕は積極的な敵意はないが、咄嗟の攻撃に備える様な姿勢であり、彼が戦闘職である事を思わせる。
確かに俺は彼らが魔物化被害者だとしても無条件に信用はしない。
それは、魔物化被害者も思考は人間と変わらないからだ。何かの利益で同族に危害を加える者がいないとは限らないし、なにより他の魔物化被害者に出会う事を真央がどう思うのか分からない。喜んでくれるのか、或いは嫌な記憶を蒸し返すきっかけになるのかもしれず、魔物化被害者たちにとっても魔物化の原因と噂があった真央をよく思わない存在が紛れていても不思議ではないのだ。
「あーもう! 面倒臭いわ。これでいいでしょ!?」
「なっ!! おい!?」
薄紅の髪の女性が突然服を脱いだ。
羞恥の色もなく脱ぎ捨てた上着の下には健康的な肌と、その胸部を覆う様に髪と同じ色の体毛があった。彼女はどうも青髪の彼とは対照的に直情的な思考の様だ。
「私は魔物化被害者の毛利優子(モウリユウコ)。ウサギの胸や腰に毛が生えているのと、体重が軽いわ。だいたい、ウサギを155センチ程度にしたくらいね」
「……なるほど……」
正直に言えば動揺していた。
前述の通り魔物化被害者である証明は前提ではあるが、彼らを信用するピースとしては完全ではない。ただ、俺の行いが女性に肌を晒す原因となった事には罪悪感があった。
「優子君……もう服を着なさい。……洗馬君も、思うところはあるだろうが一先ず私たちを信じてくれないか? 私たち総勢30名からなる『魔物化被害者の会』はきたる『筆頭勇者』との戦いを前にリーダーを求めてきている」
「あなたのことよ? 洗馬杉雄君」
「なぜ……いや、まずは場所を変えよう……」
なぜ、俺なのかという疑問は不要だろう。
彼らの言葉を信じるならば、魔物化被害者を守護する人間、人間でありながら魔物を名乗る男『魔王の従者』の名は、確かにそういう意味を持つ。
俺は彼らを魔女の屋敷に招くつもりだったが、その前に畑に向かう。
真央の安全の確認と、彼らを真央に合わせるためだ。
「そうか、これが君が私たちを信じる条件か」
「……そう思ってもらっていい」
「るるー♪ るるるー♪」
風の吹き抜ける野原、作られたうねの道に彼女はいた。
軽快な歌声を響かせ、手にした古ぼけたジョウロの軌跡を虹が追いかけ、歌に誘われるように水しぶきやスカートが風に舞う。その姿は贔屓目をいくら捨てても『魔王』には程遠い美しさだ。
「真央……」
「あ、あなた……え!?」
俺の声にこちらを見た真央が一瞬戸惑いを見せた。
……分かっていた事だ。だが、それでいい。
「安心して、彼らは『敵ではない』よ」
「……そう……なんだ」
真央は、俺の意図を理解した様だった。
俺は、青髪の男を見る。
「あとは、お前たち次第だ」
「あぁ、ただ私は口下手でね。こういう事は彼女に任せている」
「……!! なるほど……」
俺が真央から目を離した時間は長くない。
毛利優子はその数分、たったそれだけで月影真央の手を握り、その心に触れていた。
「辛かった? 泣いていいよ。だってさ、私たち悪くないでしょ?」
「う……あああああぁぁぁ!! ああああぁぁ」
真央は毛利優子の胸に顔を埋めて泣いた。
ただ感情を発散する為だけの言葉を叫びながら、力の限りに泣いていた。
悔しかった。
それは、俺の見たことのない真央だった。偽物の俺では出来なかった事で、だから分かった。彼女たちは、必要だ。
「これで、認めてくれるかな?」
「あぁ……だが……」
それを察し、青髪の男が俺に言った。
そうさ。認めるしかないが、これだけは言っておこう。
「だが?」
「俺は彼女(毛利優子)が嫌いだ」
「ふっ……なるほど、それは良い。全員が仲良くとはいかないさ。私達は人間なのだから」
男は微笑し握手を求めた。
彼の名前は長久手竜司(ナガクテリュウジ)と言った。握手に応じると彼の右肩から掌までを覆うサラシの下にある爬虫類の鱗の硬い感触が伝わった。
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