「え?」

「なんであんた、そんなに平気でいられるんだよ!」


 我慢ならなくなって、部屋へ入ってすぐ、俺は怒鳴った。

 定岡さんから渡されたコンビニ袋をベッドに投げ、もう一度大声を上げる。


「同級生だったんだろ、信じてたんだろ、親友だったんだろ」

「しーっ」

「なにが『しーっ』だよ。俺の気も知らないで──」


 橘さんの大きな手が俺の口を塞いだ。でも、負けじと暴れてやる。

 そりゃあ、いまは真夜中で、となりの人も寝てるだろうけど、そんなの関係あるか!


「佑、ここは公共の場だから。ね」

「知るか。知るか!」

「もう少しボリューム下げよっか」


 そう言うと、橘さんは今度、自分の口で俺の口を塞いだ。

 久しぶりのディープキス。あっさりと俺は抵抗をやめ、橘さんの思いを受け止めるのに夢中になった。


「……ズルいし」


 長いキスが終わったあと、短く咎めた。

 相変わらず橘さんは目尻を下げ、俺を見つめている。


「ごめんごめん」

「キスでなんかごまかされないからな」


 と、強気に出たものの、俺の下半身はぐずぐずだった。

 助けを求めるようにベッドへ腰かけた。

 その前に橘さんは跪く。


「一つ訂正させてもらってもいいかな」

「え?」

「きみさ、神崎のことで誤解している」


 俺は勢いよく立ち上がった。橘さんも腰を上げる。


「……まさか。定岡さん、話を盛った?」

「いや、そうじゃなくて。定岡さんはたぶん、一言一句間違いなく本当のことを話したと思う。ただ、あの人の場合、真実味がこもりすぎて、話が一人歩きしちゃうんだ」

「……よくわかんないよ」

「俺と神崎はたしかに同級生で、東京で再会して飲みにも行った。けど、たったの一回きりだ。俺は、そのとき話した感じで、神崎が暴力団と関わっているんじゃないかと思ったから、そのあとに誘われても断っていた。週刊誌に書かれそうになったのは俺の不徳と、完全な油断だ。信じてたとか、信じてなかったとか、そういうレベルの話じゃない」

「でも、定岡さんは……」

「まあ、ね」


 自慢の髪を撫でながら、橘さんは「ははは」と声をもらした。


「定岡さんはああ見えて、とても義理人情の堅い人だから、俺だけが問題じゃないとフォローしてくれてたんだと思う」

「──ねえ」


 俺は腕を組んで、ずいと首を突き出した。いまは曇り一つないその顔を見据える。


「訊いてもいい? なんで、神崎は放火なんかしたんだろう。警察から逃げてるんだろう」

「それはこれからの取り調べではっきりすると思う。俺も、その辺はまだわからないんだ」


 俺は、橘さんの表情を窺ってから、ベッドに腰を落とした。

 ……現場の人間にもわからないんじゃあ、仕方ない。

 すると、橘さんもまた膝を折って、ちょっぴり神妙な顔つきで言った。


「でも、正直複雑なところはあるよ。おんなじ教室で机を並べてた仲だからね。そりゃあ、まったく知らないやつを追うときの心理状態とは違うよ」

「そういえば橘さん、なんか車を探してたじゃん?」

「ああ……。けど、あれは結局、佑を助けたときに見た神崎をほう助したやつの車じゃなかった。あのとき検問に引っかかっていたしね」

「というかさ……あー!」


 いまになって、一番に橘さんに言うべきことを思い出した。

 すかさず、橘さんは人差し指を口に当てる。


「しー」

「そうだよね。あんた、神崎の顔を見てたんだよね。そのこと、なんで俺に言わなかったのさ。百歩譲って、同級生っていうのを黙ってたことは許すにせよ、俺を襲ったのは、じつは放火で捕まっていたやつで、いまは逃げてる最中だって言ってくれても──」

「だけど、それを言われて平然としていられる自信あった?」

「う……」


 俺は見事に閉口した。


「だから、きみを不安にさせないよう情報を押さえていたんだ。もちろん、上から箝口令も敷かれていたけど」

「じゃあ、神崎は俺を襲うとき、なんで顔を隠してなかったと思う? やっぱり、大事なあんたには言いたいことがあって、わざと自分をわからせるようなことをしたんじゃないの?」


 橘さんが視線を泳がせた。

 すぐに、それも違うと返ってくると思っていた俺は、ものすごく動揺した。


「なに? まさか図星?」

「いや。なんで顔を隠さなかったのかって、そんなこと、考えもしなかったなと思って」


 そう言っておもむろに立ち上がる橘さんを、俺は唖然と見つめた。

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