言い切ってしまってから、はっとなった。

 あの顔のほうは完全に見れなくて、いまの言葉をごまかすようにスーツの腕を引っ張った。


「あんた、出張帰りなんだろ? こんなところで油売ってていいのかよ」


 その手を、逆に取られる。

 おもむろに腰を上げ、橘さんが体を寄せてきた。顔も近づける。


「佑。女の子とはつき合えないってどういう意味? つうか、なんの告白?」

「……」

「こんなに近づいてるのに、きょうは嫌がらないんだね。どうしてだろう?」


 この距離感にも絶句していると、橘さんの顔がさらに迫ってきた。

 思わず目をつむったとき、唇に柔らかい感触があった。俺は、ぱちっと目を開け、されていることにびっくりしてまた閉じる。

 男であるからには、挑んでみたことはあっても、一方的にされる状況は知らなかったから、しばし硬直した。

 ファーストキスを奪われた女の子みたいだと思って、はたと我に返った。


「な、なにするんだよっ」


 力の限り橘さんを押し退ける。

 図らずとも隙を突けたのか、橘さんがベッドに尻もちをついた。でも、すぐに体勢を整える。


「なにって。さっきの告白はこういうことなんじゃないの?」

「俺はただ、女の子とはつき合えないかもって言っただけで」

「それはつまり、俺のことが気になるからなんでしょ?」

「……っ」

「ほら。反論しない。きみらしくもない」


 閉口するしかなかった。

 橘さんの言っていることは図星なんだけど、なにかが違う。なにか違うんだけど、俺の心中の的は射ている。


「少しは脈ありかなって自負しててよかった」

「……」

「食事に誘ったとき、きみは、俺と行くのが嫌なんじゃなくて、俺が大食いなのが嫌なんだと言った。久しぶりに会ったときは嬉しそうにしてくれたし、急に帰るとなったら、ちょっと残念そうにしてくれた。なにより、俺のバカに、サムいサムいと言いながらもつき合ってくれた。それがすごく嬉しかった」


 また立ち上がった橘さんは、さっきとは違って、迫ってくることはなかった。

 今度は、俺のほうから近寄る。あの胸におでこをくっつけた。

 髪に触れてくる手のあったかさが、とても心地よかった。だれかに撫でられるって、こんなにもドキドキするものかと、ただただ驚いていた。

 もっと、この胸の奥深くまで浸かってみたいと思ったとき、玄関でものすごい音がした。


「橘ァ!」


 とっさに橘さんから離れた俺の目に入ってきたのは、同じくスーツ姿の定岡さん。ずかずかと部屋へ上がってくるや、一直線に橘さんの胸倉を掴んだ。

 相変わらずのメンチ切りは、自分がされているわけじゃないのにゾッとなった。


「てめえェ。だれが駅で解散だっつったァ。ガキの遠足じゃねえんだぞ!」

「ていうか、さ、定岡さん。どうしてここが……」

「走って追いかけてきたに決まってんじゃねえか」


 走って……って。だから体育会系にもほどがあるっつうの。

 とばっちりを食らわないように、俺はそれとなく後ずさり、二人のやりとりを見守った。


「バツとして俺の報告書も書け!」

「ひえ~っ」


 橘さんは額に手を当て、がっくりと肩を落とした。

 定岡さんが、ふっと俺に視界を移した。

 まさしく、蛇に睨まれたカエル状態。土足は勘弁してくださいも言えなかった。


「悪いな、まんなか。邪魔したな」

「い、いえ。ぜんぜん」

「おらァ、橘。行くぞ」


 ヤクザ張りの巻き舌だ。

 定岡さんは、橘さんの後ろ襟を持ち上げるようにして、表へと促した。

 二人の背中を見送ったあと、ようやく胸を撫で下ろす。

 しかし、そのドアがまた開いた。

 ネクタイの曲がっている橘さんが顔を出し、俺へ向かってなにかを投げた。


「佑、お土産。それと、あとで電話するから」

「橘ァ!」


 いま行きますと言う大声を聞きながら、慌てて手を伸ばした。

 なんとかキャッチして、玄関を見たときには、橘さんの姿はなくなっていた。

 紙袋を開けてみて、びっくり。

 ストラップなのはいいけど、絶対にだれも買わなさそうな変な人形がついている。

 まさか、これを俺につけろと?

 携帯電話に頓着なしかと思ったら、そうでもないらしい。

 ……が、このセンス。

 目の前でストラップをぶらぶらさせてみて、いやな予感に襲われたのは言うまでもない。夜中になってうちへとやってきた橘さんの、仕事用の携帯に同じものを見つけ、俺はしばし呆然となった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る