四
言い切ってしまってから、はっとなった。
あの顔のほうは完全に見れなくて、いまの言葉をごまかすようにスーツの腕を引っ張った。
「あんた、出張帰りなんだろ? こんなところで油売ってていいのかよ」
その手を、逆に取られる。
おもむろに腰を上げ、橘さんが体を寄せてきた。顔も近づける。
「佑。女の子とはつき合えないってどういう意味? つうか、なんの告白?」
「……」
「こんなに近づいてるのに、きょうは嫌がらないんだね。どうしてだろう?」
この距離感にも絶句していると、橘さんの顔がさらに迫ってきた。
思わず目をつむったとき、唇に柔らかい感触があった。俺は、ぱちっと目を開け、されていることにびっくりしてまた閉じる。
男であるからには、挑んでみたことはあっても、一方的にされる状況は知らなかったから、しばし硬直した。
ファーストキスを奪われた女の子みたいだと思って、はたと我に返った。
「な、なにするんだよっ」
力の限り橘さんを押し退ける。
図らずとも隙を突けたのか、橘さんがベッドに尻もちをついた。でも、すぐに体勢を整える。
「なにって。さっきの告白はこういうことなんじゃないの?」
「俺はただ、女の子とはつき合えないかもって言っただけで」
「それはつまり、俺のことが気になるからなんでしょ?」
「……っ」
「ほら。反論しない。きみらしくもない」
閉口するしかなかった。
橘さんの言っていることは図星なんだけど、なにかが違う。なにか違うんだけど、俺の心中の的は射ている。
「少しは脈ありかなって自負しててよかった」
「……」
「食事に誘ったとき、きみは、俺と行くのが嫌なんじゃなくて、俺が大食いなのが嫌なんだと言った。久しぶりに会ったときは嬉しそうにしてくれたし、急に帰るとなったら、ちょっと残念そうにしてくれた。なにより、俺のバカに、サムいサムいと言いながらもつき合ってくれた。それがすごく嬉しかった」
また立ち上がった橘さんは、さっきとは違って、迫ってくることはなかった。
今度は、俺のほうから近寄る。あの胸におでこをくっつけた。
髪に触れてくる手のあったかさが、とても心地よかった。だれかに撫でられるって、こんなにもドキドキするものかと、ただただ驚いていた。
もっと、この胸の奥深くまで浸かってみたいと思ったとき、玄関でものすごい音がした。
「橘ァ!」
とっさに橘さんから離れた俺の目に入ってきたのは、同じくスーツ姿の定岡さん。ずかずかと部屋へ上がってくるや、一直線に橘さんの胸倉を掴んだ。
相変わらずのメンチ切りは、自分がされているわけじゃないのにゾッとなった。
「てめえェ。だれが駅で解散だっつったァ。ガキの遠足じゃねえんだぞ!」
「ていうか、さ、定岡さん。どうしてここが……」
「走って追いかけてきたに決まってんじゃねえか」
走って……って。だから体育会系にもほどがあるっつうの。
とばっちりを食らわないように、俺はそれとなく後ずさり、二人のやりとりを見守った。
「バツとして俺の報告書も書け!」
「ひえ~っ」
橘さんは額に手を当て、がっくりと肩を落とした。
定岡さんが、ふっと俺に視界を移した。
まさしく、蛇に睨まれたカエル状態。土足は勘弁してくださいも言えなかった。
「悪いな、まんなか。邪魔したな」
「い、いえ。ぜんぜん」
「おらァ、橘。行くぞ」
ヤクザ張りの巻き舌だ。
定岡さんは、橘さんの後ろ襟を持ち上げるようにして、表へと促した。
二人の背中を見送ったあと、ようやく胸を撫で下ろす。
しかし、そのドアがまた開いた。
ネクタイの曲がっている橘さんが顔を出し、俺へ向かってなにかを投げた。
「佑、お土産。それと、あとで電話するから」
「橘ァ!」
いま行きますと言う大声を聞きながら、慌てて手を伸ばした。
なんとかキャッチして、玄関を見たときには、橘さんの姿はなくなっていた。
紙袋を開けてみて、びっくり。
ストラップなのはいいけど、絶対にだれも買わなさそうな変な人形がついている。
まさか、これを俺につけろと?
携帯電話に頓着なしかと思ったら、そうでもないらしい。
……が、このセンス。
目の前でストラップをぶらぶらさせてみて、いやな予感に襲われたのは言うまでもない。夜中になってうちへとやってきた橘さんの、仕事用の携帯に同じものを見つけ、俺はしばし呆然となった。
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