「これは俺の。アナタのヤツはそっちとそっちのでしょうが」


 俺は顔を上げ、自分の皿を空中に避難させた。そのまま横を向く。

 そこはあいにくの通路。たくさんの好奇の目とぶつかってしまった。

 俺はゆっくりと反対側を向き、車道を行き交うテールランプを視界に入れた。


「橘さん、ていうか刑事さん。俺、ひとつ言っておきたいことがあるんですけど」

「ん?」


 口からスパゲッティをぶら下げたまま、橘さんはこっちを見た。


「あの日、ひったくり犯を捕まえてから、俺のことほったらかしで行っちゃっただろ。俺、ああいうのよくないと思うな。結構いろんな人が見てたんだよ。ケガがなかったからいいものの、一般市民が巻き込まれたのに、警察はなんの対処もなしかなんて、また──」


 税金ドロボーみたいなこと言われるよ。

 そう続けようとしたけど、テーブルを叩いて立ち上がった橘さんに遮られた。軽い皿は、一斉に何センチか浮いた。

 橘さんは、これでもかってくらいに目を剥いている。その口には、まだ細長いものがぶら下がっていた。


「橘さん?」

「忘れてた……」


 つるっと、スパゲッティが口に収まる。

 ぼう然とそれを見上げていたら、


「橘ァ!」


 と、ものすごい怒号が飛んできた。

 その声にびっくりして肩をすくめたとき、俺たちのテーブルにだれかがやってきた。


「橘ァ、てめえ。よくも出し抜きやがったな」


 そのだれかは、橘さんまでまっしぐら。テーブルにぶつかって、ようやく足を止めた。

 橘さんの胸ぐらをむんずと掴み上げる。


「そんなに俺を交番勤務に下ろしたいのか。恩を仇で返しやがって。どうせカオリの肩もみを独り占めしようっつう目論見だろうが、そうは問屋が卸さねえんだよ。おらァ!」

「違うんですよ、定岡(さだおか)さん。出し抜こうなんて、そんなつもりはなかったんです。パチンコの邪魔しちゃいけないと思って、突き止めたあとで連絡しようと思ってたんです。けど、ついつい声をかけちゃってたんです」

「ああァ?」


 それまで橘さんに息巻いていた男が、ぐいっと視界を変えた。

 俺を見下ろす。

 寒気に襲われるほどのメンチ切りだった。


「俺は蔦屋敷署の定岡ってもんだ。お前、名前はァ?」


 と、男が顔を近づけてきた。頬に唾がかかる。


「名前はァ? って訊いてんだ」

「はい、真中です」

「よし。ちょっと顔貸せ」


 定岡という刑事さんは、俺から皿を取り上げると、乱暴にテーブルへ置いた。

 手首を取られる。そのまま引きずられるようにして、レジまで向かった。


「あとから来るやつが払うから」


 オーダー表をウェイトレスに押しつけ、定岡さんはファミレスを出た。橘さんの車を見つけるや、その後部座席に俺を押し込んだ。

 はたから見たら、俺がなにかやらかして警察に連れていかれるみたいじゃないか。


「あの、これは一体どういうことですか?」


 運転席の定岡さんに訊いてみたが、なにも返ってこない。

 それから少し遅れて、橘さんが助手席に乗り込んだ。その反動で車が左右に揺れる。

 あろうことか橘さんは、まだ少し残っていたスパゲッティを、皿ごとお持ち帰りしていた。デザートにと注文したチョコレートパフェもある。グラスを股に挟むと、フォークをくわえ、器用にシートベルトをしめた。

 こうなるともう俺にはなにも言えない。


「タイムリミットまで時間がねえ。急ぐぞ」


 サイドブレーキのそばにあった、どこかでよく見る赤色灯。定岡さんは窓から腕を伸ばし、それを車の上につけた。

 車内にまでサイレンが響き渡る。

 じつにがさつなハンドルさばき。思いもよらないところへ、俺の体は持っていかれる。

 助手席の橘さんは口をもぐもぐさせ、こっちへ顔を向けた。


「あの夜の一部始終を見ていた人から、署に、非難ごうごうの電話が入ったんだ。なんで、巻き込まれた人を保護してやらなかったのかって。それで、うちのブー課長がえらい剣幕で怒っちゃってさ。すぐに署へ連れてこないと地域課へ異動させるって」


 俺は、体を真っ直ぐにして、深く頷いた。

 ほら見ろ。この人たちのあの対応は、やっぱりいただけないものだったんだ。


「まんなかクン。パフェ食べる?」


 ……なのにこの態度だよ。市民の味方であるべき警察官なのに、この奇行だよ。

 フォークをくわえた橘さんは、俺の目の前にパフェグラスを出した。

 その満面の笑みとてっぺんが溶けかかったパフェを見て、俺は天を仰いだ。


「そろそろ本気で急ぐぞ。いいか、まんなか。ちゃんとシートベルトして、舌を噛まないように歯を食いしばってろ」


 まんなかじゃなくて真中です、というツッコミは、もはやできなかった。

 赤色灯をつけた覆面パトカーはある意味無敵だ。ジェットコースターも目じゃない絶叫マシンぶり。

 危うく、さっき食べたカルボナーラが口からこんにちはしてきそうだった。




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