第19話 「……」

「……」


 花壇の花に水をやりながら…昨日の事を思い返す。



森魚もりおがすっかりおとなしくなりました。」


 甲斐さんから会議室に呼び出されて。

 そこに行くと…森魚の父親がいた。


 十日前。

 早乙女邸で森魚に出くわした。

 嫉妬に駆られて何かしでかしそうだったあいつを…力でねじ伏せた。


 …大人げなかったかもしれない。



「あんなに痛めつけられるのは、初めてなんですよ。」


「……」


 謝罪すべきかどうか悩んだが、無言を貫いた。

 実際、森魚のあの目を見れば…あいつが早乙女千寿に何かしようとしていたのは分かる。


「相当悔しかったんでしょうね。」


「森魚はくじけないな。」


 甲斐さんが言葉を挟むと。


「ははっ…本当、中途半端なままで突き進むので…頭が痛いです。」


 父親は苦笑いをして。


「環さん。」


 キッ…と、俺を見据えた。


「…はい。」


「何度か勝手にこっちに来て、アレの気性や能力はお判りいただけたと思います。」


「……」


「アレを育てて欲しいと思っていましたが…いざとなったら…潰して下さい。」


「……」


「これでも二階堂の出、です。」


「…息子より、二階堂が大事…ですか。」


「古い頭なもんで。」


「……」



 父親は、これからの二階堂を守るために…何としても、坊ちゃんとお嬢さんの幸せと安全を最優先で。と言い放った。

 それについては、森魚が邪魔な存在に成り得る危機についても…懸念していたようで。

 でも…だからって、俺に潰せと言われても。



「…お嬢さんへの執着は…すごいですね。」


「粘着質なのは自分似です。」


 父親はそう言って苦笑いをする。

 …確か、姐さんに恋をして…だったよな。



「何度か道場で稽古されたお嬢さんを見ましたが…あの方には素質がある。」


 森魚だけじゃなく、父親も稽古を見に来てたのか。


「それは…私もそう思います。」


 あの時は思いがけぬ出来事で負けてしまったが…

 お嬢さんはこれからの稽古次第では、とんでもなく実力をつけられるはずだ。


「坊ちゃんも憂さ晴らしのような感覚で稽古されてる事がありますが…彼は元々身体能力が高いので、きっと何をやってもソツなくこなしてしまうでしょう。」


 甲斐さんはそう言った後。


「二階堂としての適性で言うと…やはり、お嬢さんに継いでいただくのが正解かと。」


 ハッキリと言葉にした。



 …そう聞いてしまうと…胸の奥にある得体の知れない気持ちが顔を出す。


 坊ちゃんには夢がある。

 だからお嬢さんは後継者になる事を名乗り出られた。

 だが…それは、決断するには早い段階でだった。


 お二人の幸せと安全を最優先。などと言われて、それが二階堂を継ぐ事なのか?と言う疑問もある。


 俺達のように、生まれた時から二階堂にいるわけじゃない。

 外の世界で育って来たお二人に…二階堂の幸せなんて…



 森魚の父親が帰った後。

 複雑な想いが顔に出ていたのか…甲斐さんが俺を見て言った。


「…環、お嬢さんを好きなのか?」



 * * *



 スコップを持ってしゃがみこむ。

 花壇に咲き誇った花々の手入れは、気が付いたら進んでやってしまっていた。



「……」


『お嬢さんを好きなのか?』


 マーガレットを眺めながら、甲斐さんの言葉を繰り返し考える。


 好きか嫌いか、と聞かれると。

 好き。と言うしかない。

 お嬢さんを嫌いな者など、二階堂にはいるはずがない。


 だが、甲斐さんの言った『好き』が、恋愛対象のそれだとしたら…それはあり得ない。

 お嬢さんは雲の上の存在。

 それに、外から来た方で、まだ17歳。

 俺のこの胸の奥につっかえている気持ちを、甲斐さんが読み取ったのだとしても…それは、色恋という気持ちではない。


 ハッキリ口にはしなかったものの、俺が眉間にしわを寄せて首を傾げた時点で。

 甲斐さんは『ああ、悪かった』と苦笑いをした。

『在り得ないよな』という表情だった。




「…これ、なんて花?」


 ふいに隣にお嬢さんがしゃがみこんで、そう問いかけられた。


「…お嬢さん…」


 考え事をしていたせいで、その気配に気付かず驚いたが。

 すぐに立ち上がって一歩退いた。


 そして。


「勝手なことして、すみません。」


 深く頭を下げた。


「なんていう花なの?」


 視線は…白い花。


「…マーガレットです。」


 お嬢さんが植えられたのはチューリップだけ。

 その他の花は…万里と沙耶と俺で勝手に植えた。


 …もしかしたら、気に入らない…?


「気に入らないようでしたら、全…」


 ギュッ


 ……え。


 頭を下げたままの俺に。

 突然…立ち上がったお嬢さんが抱き着いた。

 この状況がにわかには信じられなくて、ゆっくりと体勢を起こす。


 俺の背中に回ったお嬢さんの手。

 胸に押し当てられた顔。



「…お嬢さんみたいな花だなって、みんなで植えたんです…」


 そうつぶやくと、背中に回されている手に力がこもった。


 ああ…お嬢さんが戻って来られた。

 勝手に、そう思った。



 リビングから、坊ちゃんと万里が見ている気配があったが、お嬢さんは俺から離れなかった。

 俺は棒立ちしたまま…お嬢さんを見下ろすだけ。


 …白い肌…伏せた目に…長いまつ毛…


 その表情は、今までのどれよりも…柔らかく優しい。

 もっとお顔を見たい。

 そう思ってしまい、前髪をすくおうと…いや、俺は土いじりをして手が汚れてる。と、踏みとどまる。


 だが…伝えたい気がした。

 俺は、何があっても…あなたの味方です…と。


 それで俺は、右腕を少しだけお嬢さんの背中に近付けた。

 抱きしめるとか、抱き寄せるとか、そんな大それたことはできない。

 こうして俺を抱きしめてくださってる事だけでも…本来あり得ないのに。


 しばらくそうしていると…



「なっなっ何してるーっ!!!!」


 けたたましい声が響いた。


「はっ…」


 かしら!!


「環!!おまえ、おまえは!!」


 そう言って俺に殴りかかりそうだった頭に。


「父さん。」


 お嬢さんが抱き着かれた。


「あっ、え…?」


 突然の出来事に…頭は目を見開いて固まられる。


「…織…」


 俺の時と同様。

 お嬢さんは何も言わず、ただ…頭に抱き着いて…じっとしてらっしゃる。


「……」


 頭の目から、ポロポロと涙がこぼれた。

 俺は静かにスコップやホースを片付けて。

 坊ちゃんの手招きするリビングに入った。



「…親父、今なら何でも買ってくれそーだな。」


 お嬢さんの気持ちが戻られた事が、誰よりも嬉しいはずの坊ちゃんは。

 涙目なのを隠すように…笑いながらそう言われた。



 * * *



「うう~…う…うううっ…う~…」


「かっ頭っ!!」


「うわっ!!なっ何をする!!」



 昨日から、何度…こんな場面を見ただろう。


 頭が鼻歌をするたびに、誰かが『大丈夫ですか!?』と頭に駆け寄る。

 最初は万里で…次がお嬢さんだった。



「あれが鼻歌なんて…」


 頭に額を張り倒された沙耶が、唇を尖らせる。


「お嬢さんが音痴って噂は聞いてたけど、まさか頭からの遺伝だったとはね…」


 万里が小声でそう言いながら、相変わらず縁側で唸り続けてる頭を見る。



 お嬢さんが戻られて…頭はゴキゲンだ。

 頭だけじゃない。

 坊ちゃんもそうだし…俺達全員が明るい気持ちになっている。

 だから頭の鼻歌も分からなくはないが…


「かっ頭、どうされたのですか!?」


「…甲斐さんまで…」


 報告書を手に訪れた甲斐さんにも、身を案じられ。

 気持ち良く鼻歌されているであろう頭は、拗ねた顔でガックリとうなだれた。


 …鼻歌…

 二階堂に、そんな事をする人間がいただろうか。

 頭のそれを聞いたのも初めてだ。

 そもそも、二階堂の者は歌う習慣がない。

 今でこそ、音楽を聴く事は増えたものの…昔は潜入捜査に必要ならば。という考えだったらしい。


 奇しくも坊ちゃんは音楽方面への夢を持たれている。

 二階の自室で控えめに好きな音楽を聴かれていた坊ちゃんのために、先日…万里がリビングでも手軽に音楽を楽しめるように…と視聴機器を作った。


 …二階堂は、少しずつ変わってきている。

 それは頭の望まれている事。

 だが…変わる事を望まない古株は多い。



「何ていう曲ですか?」


 本来ゴキゲンであるはずなのに鼻歌を否定された感じで、ついには黙りこくられた頭の隣に正座して問いかける。

 だが、頭はチラッ…と俺に視線だけを向けて、口をへの字にされたまま。


「何か思い出の曲なのですか?」


 しつこく問い続けてみると…


「…ああ、そうだな。」


 頭が空を見上げた。


「イマジンだ。」


「え?」


「イマジン。」


 残念ながら、タイトルを聴いても分からなかった。

 頭が知ってるのに俺は知らない。

 …俺も相当な二階堂脳だと思った。


「はあ?昨日からみんなを震わせてる親父の鼻歌、『イマジン』なんだ?」


 新学期が始まって、学校から帰られた坊ちゃんが。

 庭から俺と頭を見て大笑いされた。


「なんだ、陸…知ってるのか。」


 笑われた事には動じず、頭の興味は坊ちゃんが『イマジン』を知ってる事の方だった。


「知ってるよ。超有名な曲じゃん。」


 それを聞いた万里と沙耶が、同時に目を細めた。


 …二人も知らなかったらしい。



「俺が正しい『イマジン』を聴かせる。」


 坊ちゃんがそう言って二階に上がって。


「正しいとは何だ…」


 頭が愚痴るのが微笑ましかった。


 俺達はてっきり、坊ちゃんが音源を持って降りて来られると思ったが…坊ちゃんの手にはギターがあった。


「親父、歌いたくなっても邪魔すんなよ。」


「失礼なっ!!」


 頭の文句に目もくれず、坊ちゃんはギターを弾きながら…歌い始めた。



「……」


 その歌は…

 争いのない世界を。

 みんなが、ただ生きている今を。

 みんなが、平和である世界を。

 それをみんなが願って仲間になれば…世界は一つになる。

 それらを想像して。という…夢のような歌詞だった。


 …夢のような…



 坊ちゃんの歌声を聴く頭を見る。

 伏し目がちに、何かを思い出しているような…切ない横顔。

 …この歌は、頭が目指している二階堂の在り方かもしれない。

 そんな世界を目指して…二階堂は先に進まなくてはならない…



「坊ちゃん!!すごい!!感動しました!!」


 歌い終えた坊ちゃんに、沙耶が抱き着く。

 気が付くと、歌声に引かれたのか…あちこちから人が集まって来ていて。

 普段姿を見せない輩までが庭にいた。



「どーだよ。親父が知ってる『イマジン』と違ってただろ?」


 坊ちゃんがギターを万里に渡しながら言うと、頭はゆっくりと立ち上がって。


「いや…おまえよりももっと素晴らしい『イマジン』を、私は知ってる。」


 威張ったようにそう言われた。


「えっ、誰に歌ってもらったんだよ。」


「それは内緒だ。」


「えー!!気になるだろー!?」


 庭に集まっていた輩達が、その微笑ましい光景に口元を緩めながら持ち場に戻る。

 俺も、そろそろだ…と腰を上げた。



 最近は…お嬢さんの護衛に行くふりをして、センサーだけを近場に残し…俺は姿を消している。

 年頃の二人に張り付くのは…正直趣味が悪い。


 それに最近…

 …なぜか、お嬢さんと目を合わせるのが…辛い。



 この気持ちは、何なんだろう…。

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