第75話 仕事の段取りをつけて実現した新婚旅行は…

 仕事の段取りをつけて実現した新婚旅行は…

 想像以上に…楽しかった!!


 結婚して三年経つけど、あたし達は今も大学生の頃の延長のような関係と言うか…

 何となく…夫婦と言うより、友達のような恋人同士…

 あたしは誓君の事、大好きだけど…

 義兄さん夫婦のような情熱的な愛情表現は…お互いしない。


 でも、だからって不満があるわけじゃない。

 あたし達には、あたし達なりの愛がある。



「乃梨子があんなに泳げるとは思わなかった。」


 ハワイに来て五日目。

 誓君が写真を手に、感心した風に言った。


「水泳なんて何年振りだろ。泳げなくなってるかなと思ったけど、大丈夫で安心した。」


 そう。

 あたしは、周りの恋人達が砂浜でくっついてのんびりしてる中…


「ちょっと泳いでくるね。」


「え?乃梨子、泳げるの?」


「たぶん…」


 正直、あまりの開放感に何でも出来る気がしてた。


 青い空、青い海。

 そりゃあもう…

 あたしは誓君が浜辺で心配そうな顔をしてしまうほど、長い時間泳いでしまった。



「新発見。いい旅だなあ。」


 架空の飲み物かと思ってたトロピカルジュースをいただきながら、誓君の言葉に笑顔になるあたし。


 なんて贅沢な旅だろう。

 仕事もせず、毎日誓君と海に行ったりプールで泳いだり買い物に行ったり、美味しい食事を楽しんだり…


 …ベッドで…いちゃいちゃしたり…。



 ぶっちゃけ…あたしは、この旅に賭けている。

 何としても妊娠してみせる。

 その思いが誓君にヒシヒシと伝わるのは恥ずかしいと言うか…どうかなと思ったけど。

 誓君は察してくれたのか…あたしの体調を気にかけながら誘ってくれる。



「…乃梨子。」


「…ん?」


 最後の夜。

 今夜も相当頑張ってくれた誓君より先に眠ってしまいそうになってると。


「旅行…楽しかった?」


 誓君が、あたしの前髪を優しくかきあげながら言った。


「うん…すごく。」


「そっか……帰るの、嫌になってない?」


「え?」


 その言葉に驚いて、目を大きく開ける。


 帰るのが嫌になってないか…って?


「どうして?誓君は帰りたくないの…?」


「いや、乃梨子…結婚してすぐ桐生院に入ってくれて…戸惑いも大きかっただろ?」


「それは…そうだけど…でもあたし、みんなの事大好きよ?」


「…そ?なら良かった。」


「何?気になるなあ…」


 あたしが誓君の顔を覗き込むようにして言うと。


「…僕は義兄さんみたいに派手な愛情表現が出来ないから、乃梨子に届いてるかどうかわからないけど…」


「え?何のこと?」


「…愛してるよ。」


「!!」


 照れ臭そうにそう言って、あたしの額に唇を落とす誓君。


 …ああ…


「…何?」


「何が…?」


「唇尖らせてるから。」


「こ…これは…その…嬉しくて…」


「……」


 誓君は優しくあたしを抱きしめると、そっと頭を撫でながら。


「これからも…ずっと僕のそばにいてね。」


 恥ずかしそうに…そう言ってくれた。




 * * *




「さ、好きな物食べて?新婚旅行のお土産のお礼よ。」


 目の前で静香さんが笑顔になった。



 新婚旅行から帰って一ヶ月。

 四月になったと言っても、まだまだ肌寒い水曜日の午後。

 何かの代休とかでお休みをもらったらしい静香さんから、お誘いがあった。


 あたしもたまたま…今日は休みだ。

 て言うか…

 仕事はあったんだけど…

 おばあ様とお義母さんが気を使ってくれたんだと思う。


 と言うのも…



 ある意味健康体なのかもしれないけど。

 普通に、予定通り生理が来た。


 何となく…妊娠したはず。なんて思ってたあたしは…トイレで呆然としてしまった。


 そして…

 初めて、お義母さんに告白した。


「…妊娠…しなかったみたいです…」


 あたしにこんな事言われても、お義母さん困っちゃうよね…って思ったけど。


「…乃梨子ちゃん。そんな顔しないで?」


 お義母さんはあたしの頬をピタピタとして。


「赤ちゃんが欲しい気持ち、分かるよ。でも、プレッシャーに思わないようにね?」


 優しくギュッとしてくれた。


 それについては誓君も…


「落ち込む事ないよ。乃梨子が一日でも早く欲しいって言うなら、一緒に病院行くことも考えよ?」


 って…言ってくれた。



 …病院…


 本当は、すごく気になってる。

 何となくだけど…

 あたしに原因がある気がして。



「…暗いわね。」


 目の前の静香さんが、首を傾げて苦笑いした。

 あたしはハッとして顔を上げて。


「ご…ごめんなさい。」


 ペコペコと頭を下げた。


 誘って下さいって言ってたのはあたしなのに…

 せっかくのお休みを、あたしに費やしてくれてる静香さんに申し訳ない!!


「…何か、悩みでも?」


 相変わらず首を傾げたままの静香さんは、手にしたフォークの動きを止めたままあたしを見つめた。


 悩み…


「……」


 その時ちょうど…隣の席に、子供連れの女性が座った。

 あたしの視線がそこに釘付けになると。


「…なるほど。」


 静香さんは何かを察したように小さく頷いて。


「食べたら買い物付き合ってくれる?」


 あたしの目を見て言った。




「子供が欲しいけど出来ない…って悩んでる?」


 食後のお茶もせず、静香さんはあたしをお店から連れ出した。

 あの場でこの話は出来ないと思ったようだ。


「…はい…」


「だよねえ…女って、まずはいい歳になると『結婚はまだか』って言われて、結婚した途端に『子供はまだか』って。一人産んだら『一人じゃかわいそうだから、早く二人目作れ』とかさ。」


「……」


 あたしは一人っ子だったけど…

 両親は周りからそんな事言われてたのかな…



 あたしが遠慮がちに静香さんを見てると。


「あ、何?結婚しないのかって?」


 …意外に鋭い静香さん。


「何て言うか、あたし…家族が大好きでね。」


「家族…」


「そう。両親と兄二人と弟と妹。ほんと仲良し家族。誰も家から出てないし、兄弟誰も結婚してない。でも両親も何も言わない。」


 ある意味すごいと思った。


 桐生院家みたいな早婚家系が周り(早乙女家や朝霧家)に多い事に気付いただけに、静香さんの家族は特種にも思えた。


「彼氏が出来た時期もあるんだけど、なかなかうちの家族について来れる相手っていなくてねぇ。」


 あたしの頭の中には、ライヴ会場で腕を振り上げてる静香さんがよみがえってた。

 確か…ご家族でDeep Redのファンって聞いたから…


「音楽好きな人ならついていけそうな気がするけどなあ…」


 つい思ってた事を口にすると。


「と思うでしょ?あたしもそんな期待を何度かしたんだけど…うちの家族の熱が凄すぎてダメだったみたい。付いて行けないって何人に言われたか…」


 静香さんは首をすくめて唇を尖らせた。


「…彼氏優先にはならないんですか?」


「……」


 あたしの問いかけに、静香さんは目を大きく見開いて。


「それよ…そこが問題なのよ…どうやっても、あたしの中で彼氏が最優先になる事なんてないのよ。て事は…あたしって、そこまで人を好きになれないのかもしれないわ…」


 ずずーんと重たい音が聞こえるような雰囲気でうなだれた。


 …そこまで人を好きになれないのかも…


 それは昔のあたしも思ってた。

 だけど、あたしには静香さんのような熱を持てる何かもなかったし…


「…でも、ビートランドには音楽好きな人たくさんいそうだし…いつか静香さんと最前列で腕を振り上げてくれる人が見つかりそうですよね。」


 本当に正直な気持ちでそう言うと、静香さんはパッと顔を上げて笑顔になった。


「ありがと。でも本当に焦ってないの。結婚なんて、したい時にするのが一番じゃない?」


「は…はい…」


「あたし、今は仕事が楽しいし。結婚してる場合じゃないって感じ。」


 静香さんの笑顔を見てると、元気が出た。


 仕事が楽しい…か…


 ……仕事と言えば…。

 あたしはふと、静香さんの連絡先を知りたくなった理由を思い出した。


 あたし達が働いてた広告代理店。

 静香さんは…あの会社で女性にしては異例の速さでチーフに就任したと聞いた。

 それほど仕事が好きだったはず。

 それを…


「もう、今までは趣味だった事がすぐそこにある仕事って、幸せでしかないわけよこれが。」


「……」


 でも…。と、思った。


 静香さんが会社を辞めたのは、あたしの両親が絡んでるんじゃないか…聞きたいと思ってた。

 でも。

 今、こんなに幸せそうな静香さんを見ると…それをほじくり返したくない自分もいる。


 あたしだって…

 もう、あの両親の事は忘れたい。って、ハッキリと…そう思ってる。


 あたしの家族は、桐生院家のみんなだ。



「…静香さん。」


「ん?」


「…ありがとうございます。」


 あたしはそう言って、静香さんに深々と頭を下げる。


「え…えっ、何これ。どうしたの?」


「…何となく…言いたくなりました。」


 本当に。


 あたしの悩みは…子供が欲しいのに出来ない事。

 それを、子供のいる人に励まされると…なぜかますますコンプレックスが大きくなる。


 …分かってる。

 誰にも悪気なんてなくて、真剣に励ましてくれてるんだ…って。

 受け取る側のあたしにも、曲がった気持ちが多少なりともあるんだ…って。

 それでも…素直になれない事の方が多い。

 そして、自己嫌悪に陥る…の繰り返し。



「よく分かんないけど…ま、またこうやって一緒に出掛けましょ?」


 笑顔の静香さんにあらためて励まされる。



 だけど…あたし達が一緒に出掛ける事はなかった。


 なぜなら…この数週間後。


 静香さんは…




 〇桐生院 誓


「…乃梨子。」


 三日前から笑おうとしても笑えない様子の乃梨子の背中に、そっと声を掛ける。


 新婚旅行から帰って二ヶ月。

 仕事は今まで通り、順調。


 ただ…周りも楽しみにしていたかもしれない乃梨子の妊娠は、今も兆候がないまま。



「おめでたい話なんだから、落ち込むのは失礼だろ?」


 後ろから乃梨子の頭をポンポンとしながら言うと。


「…そうなんだけど…」


 乃梨子は暗い声でボソッとつぶやいた。


「…あたし…醜い女決定戦で優勝するなあ…って思って…」


「……」


 そんな決定戦なんてないけど、乃梨子は勝手に開催するらしい。



 乃梨子の元上司で、現在はビートランドの社員になった世良静香さんが…

 妊娠して結婚する事が決まったそうだ。


 いつだったか、世良さんと出掛けて楽しかった様子を聞かされてた僕は。

 そのおめでたい報告に、乃梨子が沈まないわけがないと思った。


 本来なら、自分がどうであれ…手放しで祝福する出来事だけど。

 今の乃梨子には無理だよな…

 そしてそれには、僕も責任を感じる。



「…乃梨子。近い内に、病院に行ってみよう?」


 顔を覗き込むようにして言ってみると。


「病院…」


 乃梨子は目を細めて僕を見上げた。


 …なぜか病院には行きたがらない乃梨子。


「…二人に原因があるのかもしれないし、ちゃんと調べて前に進もう。じゃないと、乃梨子が何かの決定戦で優勝するたびに落ち込むのは僕も辛いよ。」


 ゆっくりと抱きしめながら言ってみると…


「誓君………って、あたし、やっぱり優勝するんだね…」


 自分で言ったクセに、また落ち込んでる。


「…乃梨子。」


 僕は小さく息を吐いて、真剣な声を乃梨子の耳元に落とす。


「落ち込むのは早いと思わない?僕達、何の努力もしてないよね?」


「っ…」


「今までも乃梨子が嫌がってたから強くは言わなかったけど…病院に行って検査をして、それから今後の事を考えようよ。」


「…今後の事…って?」


 僕が今までになく真剣な声だったからか、乃梨子は恐る恐る顔を上げる。


「…原因が分かるなら治療をするとか。とにかく何か行動を起こさないと、何も変わらないだろ?」


「……」


「何もしてないのに、ただ落ち込むなんて…時間の無駄じゃないかな。」


「……」


 僕を見上げてた乃梨子は、眉間にしわを寄せて暗い表情になった。


 …子供を欲しがるわりに、病院を嫌う理由が分からない。

 本来なら、とっくに検査に行ってていいレベルだと思う。



「…誓君、怒ってる…?」


「怒ってるって言うか…少し呆れてる。」


「……ごめんなさい。」


「……」


 正直に言ってしまって、後悔した。


 妊娠、出産という女性にしか出来ない偉業。

 それを軽く見てるつもりはないし…デリケートな問題なのも分かってるつもりだ。

 なのに…少し言い過ぎたかもしれない…



「…ごめん。」


 乃梨子の頭の上に顎を置いて小さく謝る。

 そして…密かに決心した。



 僕だけでも…検査に行こう。

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