第18話 「おーっす。」

 〇桐生院華音


「おーっす。」


 俺がルームに入ると。


「婚約おめでとー!!」


 パーン。


 大きな声と共に、希世とガクと…杉乃井が、クラッカーを鳴らした。


「…サンキュ。」


 杉乃井の表情が晴れやか過ぎて、それが若干変な気がしたが…

 嬉しさを隠しきれない俺は、口元を引きつらせて笑った。


「何だよ。もっと喜べばいいのに。顔、おかしくなってるぜ?ノン君。」


 義弟になるガクが、ドーンと俺に体当たりして言った。


「ははっ…ほんとにな。もう、気を抜くとニヤけちまう。」


 頬をかきながら言うと。


「ごちそうさまです。」


 杉乃井が…首をすくめて笑顔で言った。


 …こいつ…

 どっちが本当の顔だ?

 ラジオ収録で会った時と、ダリアで会った時…

 それに、面接に来た日の杉乃井は、今日のように…凛としていて好感の持てる女だった。


 が。


 ここ数日の事を思い出すと…好感なんてすっ飛んだぜ。


 …いや…

 謝罪されたんだ。

 あれは、もう忘れよう。



 この六日間。

 本家に織姉を訪ねるも不在で、そこにいた渉さんとお嬢さんに結婚の意思を報告した。

 その帰りに朝霧邸に寄って、希世と沙也伽の二人目の赤ん坊を見て…内心、さらに結婚に対しての気持ちに拍車がかかった。


 が、そこでミッキーが本間だと確信して…


 翌日、本間がどんな男かを見るためにオタク部屋を眺めてたら…里中さんから会長室に誘われて。

 そこでDANGERから抜けろ…って言われて落ち込んで。

 なのに翌日には、DEEBEEをやらされて…個別に面接があって。

 俺主体のバンドを作って、音楽人を世界に作れと言われた事に…罪悪感を覚えつつ、ワクワクした俺がいた。


 その翌日、初のスタジオでガクと希世と杉乃井が集まった。

 が…まさかの杉乃井にコテンパンにされて…

 ぶっちゃけ、久しぶりに音楽の事で頭がいっぱいになった。


 …俺はオンとオフがハッキリしてる。

 最近は事務所を出たら、紅美との結婚についてを考える毎日だったのに…

 それが、この日はなかった。

 それは紅美も同じだったようで…里中さんに絞られまくった新体制のDANGERの事で、頭がいっぱいになっていた。


 その翌日…

 杉乃井を見返してやると息巻いてる俺に、杉乃井が…

『好きだったのに』と言いながら押し迫り、えぐいキスをしてきた。

 それをガクと希世に見られた。

 スタジオでの練習も身が入らず、ここでも杉乃井に敗北。

 気分転換に二階堂本家に行って、柔道をするも…そこでも富樫に敗北。


 世貴子さんに誘われて、早乙女家で晩飯をいただいて…

 その帰りに、陸兄に紅美との電話を聞かれて…

 夕べ。

 紅美の家で、ちゃんと…紅美と結婚したい。と、陸兄と麗姉に報告出来た。



 …俺の人生の中で、最も濃い数日だった。

 テンパった瞬間もあったが…あれだな…

 早乙女家での晩飯。

 富樫と、世貴子さんとの時間。

 意外な事に…あれがかなり気分転換になった。



 今日は仕事が終わったら、二階堂の本家にも挨拶に行く予定だ。

 …陸兄の服にカメラを仕込んでた環さんには、ちょっと嫌味を言ってしまいそうだから…環さんが不在でありますように。

 なんて、ちょっとの苦手意識も手伝って、俺はそんな事を考えてしまってた。






「はーい、目線こっちにお願いします。」


 今日は、俺達が新体制になって早速の撮影。

 とは言っても、資料用の物らしい。

 そんなわけで、ちゃんとしたカメラマンじゃなく人事と広報の人間が来た。

 しかも、撮影スタジオとかじゃなくて…スタジオ階の通路の片隅での撮影。



「バンド名、なんでしたっけ?」


 人事がメモを片手に俺に聞く。


「……」


 ガクと希世と杉乃井を振り返ると、三人は一斉に首を傾げた。


 …そうだ…

 俺達、バンド名がねーじゃん。


「えーと…まだ決まってないって言うか…高原さんから聞いてないんで。」


 頭をかきながら答えると、その肩越しに広報がDANGERの写真を撮ってるのが見えた。

 …本間はサポートメンバーだからか、写真には入らないらしい。

 女ばかり四人のDANGER…

 慣れないからおかしな気もするが、華やかさはダントツに上がった。



「…プレゼントですか?」


 ふいに耳元で言われて、驚いて肩を揺らすと。

 至近距離に杉乃井がいた。


「紅美さんの胸元に光ってるの、昨日まではありませんでしたよね。」


「……」


「あら、華音さんの胸元にも。」


「……」


「ペアなんて、素敵♡」


 こ…こいつ…


「あっ、ほんとだ。ペアのネックレス?」


「ノン君、そういうのしちゃうんだ~。」


 ガクと希世に茶化された俺は…


「…おまえら、婚約指輪ってちゃんと渡したか?」


 目を細めて聞いた。


「まあ…安物だけど、俺はちゃんと買って渡したぜ?」


 ガクは威張ったように得意顔で言ったが…希世は目を細めて首をすくめた。


「い…いや~…俺は…できちゃった婚だったし…」


「あら、それじゃあ婚約指輪はなし?」


 杉乃井のツッコミに。


「うっ…え…えーと、結婚指輪はちゃんと…」


「二人ともドラマーだからって外してるよね。」


 ガクからも突っ込まれて。


「…えー…」


「婚約指輪を用意する代わりに、ペアのネックレスですか?紅美さん、喜ばれたでしょ。華音さん、気が利きますね。」


 困った顔をしてる希世に対して、まるで嫌味のように…杉乃井は俺を絶賛。


 が…


「いや…今朝一緒に指輪を見に行ったら、そこで『何でサプライズで買っておかなかったんだ』って言われてさ…」


 それには、ガクと杉乃井も目を細めて苦笑いになった。


 そう。

 高階宝石で、千幸兄に言われた。


『千里は婚約指輪は買わなかったが、結婚指輪はサプライズで買ったぞ』と。


 …親父ならやりそうだが、俺はサプライズなんて…全く頭になかった。



「どうせなら、本人が気に入るものがいいと思ってそうしたんだけど、はー…サプライズだなんて、思いもしなかったぜ。」


 前髪をかきあげながら、DANGERに目をやる。


 今まで…紅美とペアと言えば…

 俺の誕生日に、ケリーズで勝ったブレスレット。

 …ペアっつっても、あれはなぜか大勢でお揃いになった。

 沙都はいまだにあれを大事に左手首に着けたままだ。


 そんなわけで、サプライズし損ねたお詫びに…

 紅美は、そんなのいいって言ったが、俺の気が収まらなくて。

 実際、色々選ぶの楽しかったしなー。

 これはこれで、栄養をもらえた気分だ。



「意外ですね。華音さんて、女の子の喜ぶ事なら何でも知ってそうなのに。」


 腕組みをして、首を傾げた杉乃井がそう言うと。

 ガクと希世までが『そうだそうだ』なんて同意した。


「…高評価してもらって悪いが、俺はそんなに遊んでもないし学んでもないぜ。」


 そこそこに頭はいいが、それで何でも出来ると思われるのも困る。

 実際、親友の曽根は、俺が真剣にやって失敗した事に対して『手を抜いたな』なんて言いやがる。


 …完璧な奴なんているかよ。



 * * *


「いらっしゃい。」


 …いた。

 完璧な奴。


 …あ、失礼。

 完璧な、人間。



 二階堂の本家に顔を出すと、織姉もだが…環さんもいた。

 ついでに…


「…咲華?」


「あっ、見つかっちゃった。」


 リズを抱えた咲華が、リビングにいた。


「おまえ、なんでここに?」


「ジェットで帰るけど、帰ってみちゃう?って誘われて。」


 そう言って、咲華は環さんを目配せした。


 …帰ってみちゃう?って…

 アメリカと日本をそんなに簡単に。

 …二階堂の頭ん中は分かんねーが、咲華がそれに染まるのは、何となく嫌な気がした。



「海は。」


「海さん、今少し大変な現場で、二週間ほど不在なの。」


 俺と咲華がやり取りしてると。


「サクちゃんがこっちに帰ってる方が、海も安心かなと思って。」


 織姉がお茶を出しながら言った。


 まあ…そうか。



「沙都と曽根は?」


「相変わらずツアーの合間にレコーディング。」


 そうか。

 それなら……って。


「おまえ、夕べの中継、ここで見たのかよ。」


 ふいに、夕べの俺の告白が中継されてたのを思い出して言うと。


「あっ、バレちゃった。」


 咲華は悪びれる風でもなく、ペロリと舌を出した。


「…帰ってる事、親父と母さんは知ってんのか?」


「ううん、まだ。二人にはあっちで急な訪問のサプライズされたから、今度はあたしもと思って。」


 ここでも…サプライズのワード。

 ったく…

 みんなサプライズ好きだな。



「内緒にしといてよ?明日ぐらいにコッソリ帰るから。」


「分かった。」



 それから…

 夕べの中継の事で盛り上がって。

 俺はくっそ面白くないが、紅美が幸せそうだから…まあ、いいとして…


「あっ、リズ。それダメよ。」


 三日前に一歳を迎えたリズは、もう歩き回ってて…目が離せない状態だ。



「少しスマートになったと思ったのは、歩き回るようになったからか。」


 リズを捕まえて抱えると。


「びゃっ!!」


 変な声と共に、頬にビンタをくらった。


「ぶっ。」


「こらっ!!リズ!!お顔にパチパチはダメって言ったでしょー!!」


 咲華に叱られたリズは、一瞬唇を突き出したが。

 次の瞬間…


「ちゅー…」


 唇を尖らせて、叩いた俺の頬にキスをした。


「わあ…ノン君いいなあ。あたしもリズちゃんにキスされたい。」


 紅美が悶絶しそうな顔で言う。


「…その前にビンタされなきゃいけねーんだぜ?結構な力だ…」


 そう言いながらも、俺も内心は悶絶だ。

 …可愛すぎる…


「リズ、何か欲しい物があったら言え?」


 リズの頬を撫でながら言うと。


「ママが新しいお洋服が欲しいって言ってまちた~。」


 背後から、可愛くない裏声。


「海に買ってもらえ。」


「ケチ。」


「何でケチだ。」


「ふふっ。もう…ノン君とサクちゃんって、コントしてるみたいだよね。」


 お茶を飲みながら、紅美が笑う。

 …双子でコントなんて、するかよ。

 俺は芸人じゃないっつーの。



 #####


 ふと、ポケットでスマホが震えて。

 それに気付いたのか、リズがポケットに手を伸ばした。


「あ、リズ。それはおじちゃんの大事だから、ダーメ。」


「おじちゃんって呼ばせるな。」


 咲華にリズを渡しながら、スマホを手にする。

 すると、そこにはガクからのLINEが。


『ノン君お疲れ。今日のバンドの写真、ハウスに上がってるよ』


 おー…なるほど。


 うちの事務所では、オンラインストレージでデータを共有する『ハウス』というものが各アーティストに振り分けられている。


『ついでに…こないだの杉乃井さんにコテンパンにされたリハの映像、スタジオのカメラに残ってたから突っ込んどいた』


「マジか。」


 つい、口に出して言ってしまって、みんなに注目された。


「何。何か変わった事?」


 紅美が心配そうに俺を覗き込む。


「いや…ハウスに興味深い物が上がってるって、ガクから連絡がきたから。」


「へえ、どんな?」


「…こないだ、杉乃井にコテンパンにされた映像。」


 俺がそう言った途端、紅美は眉間にしわを寄せたが。


「…見たい。」


 俺の手を引いて、ソファーに座った。


「何?華音の新しいバンド?あたしも見たい。」


「なんでおまえが知ってんだよ。」


 まだ組んで数日の事。

 当然、俺からは知らせてない。


「おばあちゃまと長電話で。」


「ばーちゃんか…」


「楽しみだって言ってたわよ?」


「…頑張る…」


 そんなわけで…紅美とは反対側に咲華が座って。

 織姉と環さんは…


「いいわよ、気にしないで。リズちゃんはあたし達が見てるから。」


 向かい側に座って、リズを抱えてくれた。



 俺は、右側に紅美。

 左側に咲華を従えて。

 一昨日、コテンパンにされた映像を…重い気持ちだが、反省の意も込めて見始めた。


「…何これ…すごく上手い…」


 紅美がスマホの画面を見て、息を飲んだ。

 咲華は…


「…ん?」


 首を傾げて、スマホに顔を近付ける。


「見えねーっつーっ。」


 笑いながら咲華の頭をどかせると。


「…キーボードって…誰?」


 俺と紅美の顔を見て言った。


「誰って…新しいメンバー。」


「杉乃井…幸子さん。」


「幸子…」


 咲華は俺と紅美の顔を見た後、もう一度スマホを見て…


「正面からの写真はないの?」


 やけに真剣な顔で言った。


「……」


 俺は一旦映像を止めて、今日撮った写真を開く。


「これ。こいつ。」


「……」


 咲華はスマホを手にして、その写真をマジマジと眺めて。


「…さっきの映像、もう一回見せて。」


 俺にスマホを返した。


「…何だ?知り合いか?」


 そんな咲華の様子に、織姉と環さんも…黙って咲華を見てる。


「これ…」


 咲華は、キーボードを弾く杉乃井を見て。


「別人ね。」


 俺の目を見て言った。


「…うん。やっぱり別人。」


 咲華にそう言われて。

 俺と紅美は…しばらくキョトンとした。


「…は?」


「咲華ちゃん、杉乃井さんが別人って…どういう事?」


 紅美の問いかけに、咲華はスマホを手にして。


「だって…」


 左手の人差し指を、顎に当てて言った。


「写真は女の人だけど、スタジオで弾いてるのは男の人だもん。」


「!!!!????」


 咲華の言葉に、俺と紅美は言葉も出ないほど驚いた。


 す…杉乃井が…

 あの日の杉乃井が…

 男…!?


「この写真は…今日ね。」


 咲華は、写真と今の俺の服が同じなのを確認して。


「今日は練習なかったの?」


 俺に問いかけた。


「…あった。」


「どうだった?」


「昨日今日と、こんな弾き方じゃなくて…俺達に合わせてたっつーか、まあ…良かった。」


「ふーん…」


「……」


 咲華の『ふーん…』が。

 まだ他に何か言いたそうな気がして。

 俺は無言で続きを待ったが、咲華は映像をじっと見るだけで何も言わなかった。


 すると…


「はっ…」


 隣で紅美が小さな声を上げた。


「…何だよ。」


「…て事は…ノン君…」


「あ?」


「……」


 紅美が俺を見上げて…わざとらしく、握りしめた左手で自分の唇を…


「………あ。」


 俺を押し倒して、えぐいキスしたのは…

 男…男の杉乃井だったのか…!?


「ま…マジか…_| ̄|○…」


 何ならソファーから崩れ落ちたい衝動に駆られた。

 かなり…かなり激しいキスだったんだぞ!?

 あんなキスを…お…おと……

 男と……


「…いや。」


 俺は姿勢を正すと。


「おまえ、何をもってこれが別人で男って言うんだよ。」


 スマホをぐいぐいと咲華に見せながら言った。


「確かに…極端に様子は違ったが、本人から『八つ当たりした』って謝罪されたんだぜ?」


 そうだ。

 それに…確かに目付きは険しかったが、杉乃井だった。

 女の、杉乃井だった。


 俺が、杉乃井が男だと言われた事に反論したのがおもしろくなかったのか、紅美は目を細めて俺の肘をついて。


「じゃあ、環兄にも見てもらおうよ。」


 少し唇を尖らせて言った。


「い…っ…そ…そこまではしなくても…」


「何でよ。気になるじゃない。」


「飲み比べや食べ比べならともかく、人相比べなんて咲華に出来るかよって思うのが普通だろ?」


「あっ、何それ。失礼ね華音。」


「実際おまえ鈍いじゃねーか。」


「まあまあ…じゃ、ちょっと拝借しようかな。」


 俺達があれこれ言ってる所に…不意に、環さんが割り込んだ。

 あ。と思った時にはスマホを取られてて。


「……」


 教えてもないのに…操作して画像と映像を見比べて。


「…弾いてるのは男だな…」


 俺には残念そうに。

 だが…咲華には。

『よく出来ました』と言わんばかりの目をしてみせた…。

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