第5話 「な…なん…で…?」

 〇二階堂紅美


「な…なん…で…?」


 あたしの口から出たのかと思ったその言葉は、隣にいる沙也伽が言ったものだった。


「何で…?何で…うちからノン君とガクが脱退?それに…希世きよって…希世はDEEBEEなのに?DEEBEEはどうなるの?」


 沙也伽は…高原さんに言うんじゃなくて…希世に向かって言ってた。


 ガクは何も知らなかったのか…何だかあたふたしてて。


 …だけど。

 ノン君と希世は…もう知ってたのかもしれない。



 …そっか。

 ルームに来た時…少しウキウキして見えたのは…

 …この事か。



「DANGERもDEEBEEも、後で個別に会長室に来い。まずは…詩生しおからだ。」


 高原さんがそう言ってスタジオを出て行って。

 みんな…気まずそうに片付け始めた。


 あたしは…

 あたしは、真っ白になりかけた頭の中を整理しようと…


「あんた何してくれたのよ!!」


 突然、沙也伽が希世に殴りかかった。


「さっ…沙也伽!!」


 沙也伽の腕を必死で掴もうとするんだけど…

 増量した沙也伽の力は、思ったよりすごくて。


「てっ…」


 殴られた希世は…小さくそう言って、沙也伽に背中を向けた。


「沙也伽、やめよ。希世が悪いわけじゃないよ。」


 沙也伽の腕を両手で掴んで…自分に言い聞かせるようにつぶやく。


 …そう。

 誰も悪くないんだ。

 ただ…音楽の…


「あたしの代わりに叩いてた内に感化され合ったの!?誰も頼んでないのに、なんで代わりなんてしたのよ!!」


「……」


 沙也伽の悲痛な叫びに…胸がズキズキした。



 あたし達は…希世が来てくれて、助かってた。

 ドラムマシンで合わせるよりずっと、気分が乗るからだ。

 この結果は、あれが招いたものだとは…思いたくないけど…


「沙也伽。」


 低い声で沙也伽を制したのは、里中さんで。


「決めたのは希世じゃない。高原さんだ。」


 その一言は…誰にも文句を言わせないものだった。



 …そう。

 高原さんが言う事は…絶対。

 いくらあたし達が抗ったところで…かなわない。


 それに…

 高原さんが決める事は…


 いつも正しい。



 だけど、そんな事より。



 あたしは…

 ノン君が何の相談もしてくれかった事が…



 悲しかった。







「……」


「……」


「……」


「……」


 ルームには…沈黙が続いてた。


 詩生ちゃん、会長室で何話してるんだろ。

 希世が抜けたら…DEEBEEは…どうするのかな。


 あたしは目の前の静けさが怖くて、自分達の事よりDEEBEEの事ばかり考えた。



「…悪かった。」


 長い沈黙の後、そう言って頭を下げたのはノン君だった。


「何、その謝罪。」


 沙也伽が冷たく言い放つ。


「…昨日、じ…高原さんに言われた。DANGERを抜けて…新しいバンドを組めって。」


 それまで自分の足元を見てたあたしは…ゆっくりノン君を見た。


 …昨日?


 呼び出されたのは…その話だったの?


「その時は、絶対ないって思っ」


「あー、そう。昨日はないって思ってたのに、今日はもうありなわけだ。へー、すごい。ノン君のDANGERに対する思い入れって、こんなもんだったんだね。」


 沙也伽はノン君の言葉を遮って、早口に…まくしたてるように言った。


「…沙也伽。」


 あたしが隣で沙也伽の腕を掴むと。


「あんたは悔しくないの?知ってたの?」


 沙也伽は…今まで見た事ないような顔で、あたしをキッと睨んだ。


「紅美は何も知らない。俺だけが高原さんから聞いてた。」


「はあ?紅美にも言ってなかった?何それ。ねえ、何それ。」


「……」


 ガクは…組んだ指をもてあそびながら、何か考えてるみたいだったけど…言葉にはしない。


 ただ…本当に…

 沙也伽の怒りが大き過ぎて…



「高原さんの望むバンドをやるのも、悪くない。そう思ったのは確かだ。だけどまだ承認したわけじゃない。個別面談でちゃんと話し」


「じゃあ断るの?」


「…沙也伽、だからそ」


「断らないの?沙都さとが抜ける時、あんなにDANGERにこだわったクセに、何なのよ!!」


「……」


 沙也伽の叫びは…なぜか…あたしの胸を傷め付けた。


 あたしが脱退するわけじゃないのに。



 その理由を…考えようとした。

 ノン君とガクが脱退するとして…あたしと沙也伽だけじゃ何も出来ない…?

 もう一人、誰か…ベースがいれば、DANGERとしてやれないわけじゃないよ。


「……」


 そう考えた途端、あたしの気持ちが軽くなった。


 ……何だろ、これ。



「ノン君、ガク、悪いけど…ちょっと外に出てて。」


 あたしが二人に言うと、ノン君は唇を噛みしめて…無言で立ち上がった。

 ガクは沙也伽の様子を気にしてたけど。


「大丈夫だから。」


 小声でそう言うと、ルームを出て…そっとドアを閉めた。



「沙也伽。」


 あたしは、沙也伽の肩にガシッと手をかけて身体を向き合わせる。


「……何よ。」


 沙也伽は…すごく低い声で。

 涙で化粧もハゲハゲで。

 ついでに鼻水でカピカピになってる鼻の下が…汚いよ、ねえ。


「…ふっ…」


「なっ何笑ってんのよ!!あんたはー!!」


 沙也伽に掴みかかられそうになって、あたしはさっと椅子から立ち上がると。

 ティッシュボックスを手にして戻って。


「落ち着こうよ。」


 一枚抜き取ったティッシュで、沙也伽の涙を拭いた。


「…う…うう…」


 泣き始めた沙也伽を、そのまま抱き寄せる。


 …DANGERの事…本当に大事にしてくれてる沙也伽。

 自分が休んでる間に、こんな事になって…って、色々思い悩んでるんだろうな…


 …でも、暴力はダメだー。

 希世、絶対痛かったよ。



「あのね。」


「……」


「ノン君とガクが脱退したとしても、あたしは沙也伽と一緒だよ?」


「…紅美…」


 沙也伽が顔を上げて、あたしを見る。


「終わるわけじゃない。また生まれ変わる。それだけだよ。」


「……」


 あたし…たぶん、高原さんと同じことを思ってたのかも。

 DANGERにノン君は、もったいないって。

 そして…ノン君のギターに合うベースを弾けるガクも…。


 意外な事に…って言うか、むしろあたしの方が罪悪感なほど。

 ノン君とガクの脱退は、あたしの気が軽くなる気がした。



「沙也伽…ごめん。あんたが休んでる間に希世が来てくれて…あたし、久しぶりの生音に楽しんじゃってた。」


「…それは…」


「ごめんね。ノン君とガクと希世が『合う』って感じたとしたら、その時だよね。でも、ほんと…希世を責めるのは違うから。」


「……」


 沙也伽はガックリとうなだれて…


「…だよね…分かるよ…あたしだって…あんたが行方不明の時、あんたのお父さんが来てくれてたの…助かるって思ってたからさ…」


 つぶやくように言った。


「…でもさ……」


「沙也伽がどれだけDANGERを大事にしてるかは分かるし、あたしだってそれは同じ。だけどさ、高原さんが決めたんだよ?」


「……」


「ノン君とガクは認められた。それは、沙都の時と同じようにさ…あたし達、メンバーとして喜んで送り出してあげようよ。」


「…まだ承認してないって…」


「きっとするよ。って言うか、させてあげようよ。あたし達の手前、そう言うしかなかったんだから。」


「……」


「ね?会長室に行く前に、頑張れって言おう?あたし達は…また、新しくやるだけだよ。」


 あたしの言葉に、ゆっくり顔を上げた沙也伽は。


「…あんたは…あたしを見捨てない?」


 弱気な声。


「ぷっ。何よそれ。見捨てるとかじゃないから。あたしと沙也伽は、絶対一緒。これからもずっとよ。」


「……」


「デビューする前の曲とかさ、練り直してやっちゃおうよ。あれなら二人でも出来そうだし。」


 四人から二人になった。と思うと…半減って気がするけど。

 あたし達は元々三人だった。

 それなら…一つ足りない何かは、何かでカバーすればいい。



 あたしと沙也伽は通路の椅子に座ってたノン君とガクに謝って、高原さんの話を受けるように言った。


 ガクはまだ実感がないみたいで戸惑ってたけど…ノン君は、みんなの前なのにあたしを抱きしめて…


「…紅美、ごめん…」


 小さく謝った。


 …謝る事なんて、ないよ。

 て言うか…謝らないで。


 ホッとした。

 なんて…



 あたしこそ…


 ごめん。


 だ。





 しばらくすると、里中さんがノン君とガクを呼びに来て。

 二人が会長室に向かった。



「…紅美。あたし…DEEBEEのルーム行って来ていい?」


 沙也伽が、そう言って鼻をかむ。


「あっちはあっちで大変な事になってないかな…」


「…それも気になるし…希世に謝りたいから…」


「……」


 沙也伽の背中をポンポンとして、一緒にDEEBEEのルームに行くことにした。


 並んでDEEBEEのルームに向かってると、彰がルームから出て来たけど……明らかに、不機嫌そうだ。


「……」


 あたしと沙也伽に気付いた彰は。


「…おまえら、どーすんの。」


 すごく、イラついた表情であたし達の前に立った。


「…まだ呼ばれてないから…何とも。」


 当たり障りのないよう、そう答えると…


「まったく…冗談じゃない…」


 彰は吐き捨てるように言った。


「…DEEBEE、どうなるの?」


 うわー…沙也伽、それ聞く!?


「…解散だよ。」


「えっ!?」


 それには…沙也伽と同時に大声を出してしまった。


 か…解散…?


「で…でも、抜けるのは希世だけでしょ?」


「…ハリーもアメリカに戻るんだってさ。」


「え…」


 彰はポケットに手を入れたまま。


「…ノン君の実力はさ…確かに認めるよ。」


 低い声で言った。


「だけどさ…だからって、今あるバンドを崩してまで…」


「……」


 彰はガシガシと頭をかいて大きく溜息をつくと、エレベーターの方を向いて。


「一生…DEEBEEやってくんだって…漠然と思ってた俺がバカだったよ…」


 …その言葉は…

 きっと、誰もが思うんだ。

 あたしだって、沙都がいた頃から…そう思ってた。


 だけど沙都がいなくなって。

 ガクが加入して。

 一度、『これからどうなるんだろう』って想いをしたにも関わらず…


 また…一生、DANGERでやっていきたい。

 やっていこう。

 なんて…能天気に思ってた。



「…彰、どうすんの?」


 沙也伽の問いかけに、彰はポケットに手を突っ込んだまま…


「…もっとテク磨いて、ノン君の横でサイドギターに徹するか…って打診もあった。」


「……」


「腐ってもDEEBEEのギター…ずっとやって来たんだぜ?そんなの………」


 彰はそこまで言うと…イラついた顔をして歩いて行った。


 あたしと沙也伽は、その背中に…

 何も…言葉をかける事が出来なかった…。

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