第3話 「どうしたの?難しい顔して。」

 〇桐生院華音


「どうしたの?難しい顔して。」


 大部屋で『シロ』を撫でてると、母さんが向かいに座って言った。


「…難しい顔してた?」


「今もしてる。」


「……」


 本間って、どんな奴?


 喉元まで出しかけて…飲み込む。

 母さんのストレス発散の場にいる男だ。

 変な印象持たせたくねーや。


 それに…

 今、SHE'S-HE'Sはまこさんの入院で大変な事になっている。

 あれから一ヶ月経つけど…今も面会を許されてるのは、家族とSHE'S-HE'Sと…じーちゃんだけだ。


 まこさんは当然だけど…まこさんをとりまく人達の事を思うと、俺が気にする『ミッキー』の事なんて、全然クソみたいな気掛かりだと思う。


 …だけど、だ。

 俺が尊敬して止まないあの人達の危機…だからこそ。

 俺は、自分が直面してる目の前のクソみたいな小さな事も気にする事にした。

 後になって、あの時…って悔やむより。

 特別自制したり遠慮したりはしない。


 普通に…今まで通り、俺はギターを弾いて、紅美とキスをして、小さなヤキモチを妬いてればいいんだ。

 こんな愛しい日常はないって、自覚する事。

 それが…俺のすべき事だ。



「…母さん。」


「ん?」


「俺さ、紅美と結婚したい。」


「……」


「…あれ。無反応?」


 あまりにも母さんがキョトンとしたもんだから、首をすくめて反応を待ってると。


 母さんは立ち上がって俺の隣に来ると。


「…本気?」


 二人しかいないのにー…小声。


「…本気。」


「陸ちゃん、手強いと思うけど。」


「知ってる。」


「……」


 母さんは俺の膝にいる『シロ』の背中を撫でて。


「紅美の事、ちゃんと守る自信あるの?」


 あまり見ない…少し厳しめの顔付きで俺に言った。


「…あるよ。」


「……」


「反対?」


 何となく、母さんは手放しで喜んでくれるかも。なんて思ってた俺は。

 その反応に、少し顔をしかめて問いかける。


「まさか。反対なんてするわけないでしょ?」


「…こんな時に…とは思うけどさ…」


 自分の中では、こんな時だからこそ。って決めてるものの…

 弱気が口をついて出てしまうと。


「こんな時だから…ありがと。何だか、元気出た。」


 母さんは俺を見上げて笑った。


「…そ?」


「うん。陸ちゃんは手強いけど、頑張って。」


「…サンキュ。」



 こんな時だからこそ…

 そう考えながら、俺は…大ばーちゃんを思い出していた。

 じーちゃんが亡くなった夜…大ばーちゃんが…ばーちゃん(ややこしいな)に言った。


『こんな時だから、笑っていてちょうだい』と。




「微妙な反応だなと思って…ちょっとビビった。」


「ふふっ。大賛成よ。」


 母さんは立ち上がると、キッチンで御猪口に日本酒を注ぎ始めた。


「は?何してんの。」


「みんなに報告。」


「……」


 膝から『シロ』を下ろして、母さんの隣に並ぶ。

 盆にのせた御猪口は三つ。


 じーちゃんと、大ばーちゃんと、容子ばーちゃん。



「華音が結婚するのよ。」


 母さんは仏前に御猪口を並べて、手を合わせた。

 俺も少し後ろで…同じように手を合わせる。



 俺が生まれるずっと前に亡くなった容子ばーちゃんは、麗姉と誓兄の実の母親。

 そして、三年前…同じ日に逝ってしまった、じーちゃんと大ばーちゃん。


 会った事ない容子ばーちゃんはともかく…

 じーちゃんと大ばーちゃん。

 俺が結婚なんて、ビックリだろうな。



 ふと、廊下に目をやると。

 聖が『シロ』と一緒に連れて帰った『クロ』が、中庭に面したガラス窓から夜空を見上げてた。


 そこには居ないって思いながらも…

 俺は、クロがじーさんと大ばーちゃんを見てるような気がした。



「…俺、頑張るよ。」


 手を合わせたまま小さくつぶやくと。


「うん。応援してる。」


 振り返った母さんが、ホッとするような笑顔を見せてくれた。





 〇二階堂紅美


 ポケットでスマホが揺れて。

 あたしがそれを取り出すと…沙也伽からLINEが来てた。


 沙也伽『おはよ。あたし今日からダイエットするから、遊びに来る時おやつ不要』


 昨日、あれだけ気の向くままに食べてた沙也伽。

 どうしたんだろ。

 とは言っても、少し痩せた方が身体にはいいはず。



『おはよ。何で急に?』


 希世に何か言われたのかなと思ってそう返信すると。


 沙也伽『夕べ久しぶりに姪っ子に会ったら、あたしが誰か気付いてくれなかった_| ̄|○』


『…それは堪えるね。頑張れ』


 沙也伽『頑張る。頑張るから、ミッキーの件、進展があったら教えてね』


「…はいはい…」


 苦笑いしながら『OK』ってスタンプを送って、スマホをポケットにしまう。



 夕べ…ノン君から。


『もうおまえに会いたい』


 って…LINEが来た。

 また明日ね。って別れて…三時間ぐらいだったのに。



 付き合い始めて七ヶ月。

 ノン君は…ちゃんと女の子と付き合った事がないから、意外と鈍感だ。

 だけど、今まであたしが知らなかった面が次々と出て来て。

 あたし…日を重ねる毎に…ノン君の事、もっともっと好きになってる。


 そっけないなあ…って思う日は、両極端だけど…ヤキモチ妬いてるか、照れてるかのどっちかで。

 思った以上に情熱的だし…優しい。


 …それに、可愛い。



 あたし、ずっとノン君の隣にいたい。

 DANGERで、ノン君のギターで歌っていたい。

 仕事も恋も…両立したい。



「…おはよ。」


 ルームに入ると、ノン君がいた。

 学はチョコのお店を回ってから来るって言ってたから、もう少し遅くなるかな。



「おはよ。早いね。」


 ギターを置くと、ノン君に腰を抱き寄せられた。


「…朝までがなげーよ。」


「ふふっ…そうだね…」


 キスをして…ギュッと抱きしめる。


 ああ…

 早く一緒に暮らしたい。

 24時間…ずーっと一緒にいたい…。


 あたしをこんな気持ちにさせるなんて…




 ノン君、すごい(笑)





 〇桐生院華音


 通路のソファーに座って、オタク部屋を眺める。

 たぶん…あれが『本間三月』だ。


 言い方は悪いが、一度じゃ覚えられないぐらい印象が薄い。

 俺は覚えるけどな。



「…こんな所で何を?」


 声が降って来て見上げると、俺を不思議そうな顔で見下ろしてる里中さんがいた。


「あ…おはようございます。」


「ああ…おはよ。うちの奴らが何かしでかしたのか?」


 里中さんは立ったまま、オタク部屋を指差した。


「しでかしたわけじゃないっすけど…」


 ちょうどいいと思って、俺は立ち上がると。


「…本間って、どんな奴です?」


 里中さんに真顔で問いかけた。


 すると…


「…高原さんから、何か聞いたのか?」


 里中さんは…険しい顔でそう言った。


「…高原さん?」


 意外な名前が出て来て。

 俺は目を細めた。


 なんで…うちのじーちゃんの名前が?

 意外な名前が出て来ただけじゃない。

 里中さんの顔つきが、ここまで険しくなるなんて…


「……」


「……」


 里中さんは恐らく…内心『しまった』とでも思ったのか、口を一文字にして顔から表情を消した。


 でも、もう遅い。

 俺は見たぞ。

 バッチリと。



「里中さん。本間って…紅美と…」


 カマをかけるつもりで、さわりを言っただけなのに。


「……」


 里中さんは瞬きもしない状態になった。


 本間と紅美の事に…じーちゃんが絡んでる。

 それって…


「…里中さん…話して下さい。」


「……」


「俺達の事、ですよね…」


「……」


「お願いします。」


「……」


 里中さんはうなだれたように大きく息を吐くと。


「…後で連絡する。まだ誰にも何も話すなよ。」


 俺の肩に手をかけて…そう言った。




 〇二階堂紅美


「えっ。」


 目の前で驚いた声を出して、目を真ん丸にしてるのは…織姉。

 わっちゃんと空ちゃんは、『紅美が相談したい事があるって』って…内容は言わずに連絡をしてくれてた。


 それで…今日。

 やっと織姉に会えたんだけど…


「…ノン君て…桐生院のノン君?」


「うん…」


 本当は一緒に来たかったけどー…ノン君は高原さんに呼び出されて居残り。

 これを逃したら次はいつ会えるか分からないから、あたしだけ織姉に会いに来た。



「ただーい…あっ、紅美。久しぶり。」


 洋館のソファーでお茶をいただいてると、泉ちゃんが帰って来た。


「うわ…泉ちゃん…」


「ん?」


 本当、いつぶりかな。

 久しぶりに会う泉ちゃんは…元々細かったけど、今は…なんて言うか…

 細いけど、筋肉質っぽく見えた。



「…鍛えてんの?」


「え?あー、まあ…ここんとこドイツとアメリカの現場が続いてたからねー。よく走ってたから鍛えられちゃったよ。」


 泉ちゃんはあたしの隣に座ると、ガハハって今までと変わんない笑顔。


 …そっか。

 泉ちゃん、今は海外の現場なんだ。

 確かに、聖君と別れた噂を聞いてからは…あまり姿を見かけなくなった。



「で?今日はどうしたの?」


「あっ、それよ。泉。紅美、結婚したいって。」


 織姉が慌てたように言うと。


「あー…華月の兄ちゃんと?」


 泉ちゃんは、前髪をかきあげながら、さらっと言った。


「えっ…泉、知ってたの?」


 織姉が眉間にしわを寄せる。


「うん。父さんが言ってた。」


 泉ちゃんは立ち上がると、キッチンに行ってコーヒーをカップに注いで。


「そっかー。いよいよ結婚かあー。」


 って、ニッと笑った。


「環、あたしには何も言わなかった…」


 唇を尖らせる織姉。


「紅美が結婚って、陸兄泣いちゃいそうだよね。」


「…それ。何か勘付いてるのか音楽の話題以外聞く耳持たない。話があるって言ってもスルーするし。」


「陸…」


 織姉が頭を抱える。


「あたしもさ…生い立ちを知って、一生誰とも結婚しない、ずっと父さんと母さんのそばにいる。って思ってた頃もあるんだけどさ…」


「そんなの関係ないっしょ。紅美は紅美だから、その紅美の事を嫁に欲しいって言ってくれる男の胸に飛び込んじゃえばいいんだよ。」


 そう言った泉ちゃんの横顔が…何だか寂しそうに見えた。


 お互い気持ちが通じてても…どうにもならない時もある。



「何でも協力するから、困った事があったら言って?」


 織姉の言葉を聞いて…ふと思い出した。

 早乙女さん…早乙女さんも言ってくれた。

 想い合ってる者同士には結ばれて欲しい…って。



「…ありがと。織姉。」


 あたしは…

 この想いを…ちゃんと形にしたい。


 ノン君と、結婚して…幸せになりたい。




 〇桐生院華音


「……」


「にゃー。」


「……」


「…にゃっ…」


 頭を抱えて考え込んでる俺の膝に、シロとクロが来た。

 クリスマスイヴに、聖が連れて帰って来た猫達。


 …たぶん、その頃熱心に会ってたであろう女の所から…連れて帰って来た猫達。



 あれ以来、聖は以前にも増して仕事に打ち込むようになった。

 ばーちゃんが身体を心配してるけど、今は仕事にでも打ち込んでないと…やってられないみたいだ。



「…華音?どうしたの。照明もつけないで。」


 帰って来た母さんが、そう言ってスイッチを押すと。

 自分がそれまでどれだけの暗闇にいたのかと思い知らされるほど…明るさに包まれた。


 その眩しさには…シロとクロも目を細めた。



「…母さん。」


「なあに?」


 キッチンでエプロンをしてる母さんに、背中を向けたまま…問いかける。


「…バンドを辞めたいって…思った事ある?」


「……」


 俺の問いかけに母さんは無言で。

 だけど冷蔵庫から何かを出して俺の隣に座ると…


「あるわよ。はい。」


 そう言って…俺の前にビールを置いた。


「…意外だな。ないって言うかと思った。」


「あたしの、恥ずべき過去。」


「…恥ずべき過去?」


「そ。」


 それから母さんは手際よく…料理を始めた。

 俺はゆっくり仰向けになって…天井を見つめたまま、今日…じーちゃんに呼び出された時の事を思い返した。



 里中さんと一緒に会長室に行くと…


「すみません。」


 まず…里中さんが、じーちゃんに謝った。


「いや…そろそろ言わなきゃいけなかったから、ちょうど良かった。」


 じーちゃんは、俺と里中さんに『座れ』と促して、コーヒーを入れてくれた。



「華音。」


「…はい。」


 さすがに…事務所では俺も大っぴらに『じーちゃん』とは言わない…つーか、言えねー。

 極力、タメ口もきかないようにしてる。

 親父やアズさんなんて、いまだに『高原さん』って呼んでるぐらい…ミュージシャンには、雲の上の存在だ。


 そんなじーちゃん…高原さんは。

 俺と里中さんの前にコーヒーを置いて座ると…


「DANGERの今後についてだが…」


 足を組んで…少し首を傾げた。


「…はい…」


「おまえとガクはDANGERを脱退しろ。」


「……」


「……」


「……はい?」


 何を言われたのかすぐには理解出来なくて。

 俺は…呆れたような顔で、じーちゃんを見た。



 今…じーちゃん、なんつった…?

 DANGER…俺とガクが…何だって?


 俺がキョトンとしたままじーちゃんを見てると。


「おまえとガクは、DANGERを脱退だ。次のバンドも決めてある。」


 じーちゃんは…真顔でそう言った。


 …脱退…?


 俺とガクが?


 次のバンド…

 次のバンドって、何だよ…!!


 膝に置いた両手が震えた。

 何で…何で急に…


「…何が…」


 色々聞きたいと思うのに、言葉が出て来なかった。

 そんな俺を察したじーちゃんは…


「…元々、紅美と沙也伽と沙都、三人でやってた頃のサウンドを聴いた事はあるか?」


 少しトーンを和らげて…言った。


「…あります…」


「おまえが加入して、確かにDANGERは格段に上手くなった。だが…」


「……」


「紅美の…どこか毒気のある独特な雰囲気がなくなった。」


「……」


「ただの、カッコいいロックバンドになった。」


 ただの…カッコいいロックバンド…


 …何だよ…

 それじゃ…いけねーのかよ…


 じーちゃんがテーブルに置いてたリモコンを操作すると…俺が加入する前のDANGERの音源が流れ始めた。


「……」


 それは…紅美がギターを弾き殴りながら…歌ってる曲で。

 ベースの沙都、ドラムの沙也伽…スリーピースながら、迫力満点…



「DANGERは幅広くロックをやってたが…俺の中ではブルースロックが一番だった。」


「……」


「何より、紅美の声が一番活かされるからだ。」


 …それには…反論出来なかった。

 紅美の声は…何を歌わせてもカッコいい。

 俺は…そう思ってて…

 だから、バンドとしてカッコいい楽曲を作り上げるには…

 ハードロックで正解だと思ってた。


 だが…その結果、渡米した時…グレイスに言われた。

 紅美の声は、DANGERのサウンドに合わない。と…


 …結局あれは…

 俺が、そうさせてしまってた…って事か…?



「ロックバンドは世界中に穿いて捨てるほどいる。」


「……」


「その中で生き残るには、そのバンドの最高の形を出すべきじゃないか?」


「…つまり…」


 俺は…じーちゃんの目を見る事が出来なかった。

 いつの間にか組んでた自分の指を見ながら…


「つまり…俺の加入は…余計だった…って事か…」


 低い声で言った。


「…余計とは言っていない。通過点としては、良かったと思う。」


 …通過点…


「だが、DANGERの完成形に…」


「……」


「おまえは、いなくていい。」


「……」



 その後…

 どうやってルームに帰って…どうやってうちに帰ったのか…覚えてない。


 紅美からは、『織姉に応援してもらえる』ってLINEが来てて。

 それに対して…返信に悩んでると。


『呼び出し、何だったの?』


 …それに対して…悩んで…



 俺は…




 電源を落とした。

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