第21話 「ふっ……ふ…」

「ふっ……ふ…」


 連れて帰ったのはいいけど…きれいな男は、今にも死にそうな顔してる。


「それ、脱いで。」


 クロをバスタオルで拭きながら、きれいな男に言ったけど…

 全然…手が動いてない…

 …なんて言うか…………面倒。


 なんで…飛び込んだんだろう…



「ごめん…電気もガスも止まってるし…ストーブは…灯油ないから…」


 あたしが正直にそう言うと、きれいな男はこの世の終わりって顔をした。


 …寒いよね…そうよね…

 もう、顔色もだけど…唇の色も最悪…


 あたしの方が、ほんの少し…長く川の中にいたけど…

 無駄に鍛えられてるんだな…あたしって…

 だから何度も…死のうとして失敗してる…



「少し我慢して。」


 …仕方ない…


 あたしはきれいな男の服を脱がせた。

 こうなったら…もう…

 裸で温め合うしかない…よ…


 病院に連れて行ってくれって顔してるけど………面倒……


「こっち。」


 手を引いて、きれいな男をベッドに誘う。


「来て…」


 ピッタリと隙間がないほどに抱き合うけど…

 きれいな男は、依然ガチガチと震えたまま。


 …思ったよりは…いい身体してる…

 だけど…使い物になるかな…?


 とりあえず…

 きれいな男の首筋に唇を這わす。


 一応…クロを助けてくれたし…


「…一番手っ取り早く温まる方法だと思わない…?」


 そう言いながら、キスしてみた。


 …こんな状況じゃなかったら…

 お礼みたいに思われるのかもしれないけど…

 死にそうな顔してるこの人にとっては、迷惑でしか…ない…よね…


 …でも。


「…触って。」


 きれいな男の手を胸に当てる。

 あたしは、もう随分体温を取り戻してた。


 …うん…

 きれいな男も…少しずつだけど…手を動かし始めて…

 あー…やっぱり男って…

 こんな時でも、本能は働いちゃうのね…って…

 あたしが誘ったんだけど…


「……」


 頬を撫でながら、うつろな目をしてるきれいな男を見つめてみた。

 …第一印象で『きれいな男』って思ったけど…

 本当…きれい。

 好みとか…そういうのじゃなくて…

 ちょっと…いい拾い物をした…みたいな気になってしまった。


 死ぬために入ったあの川で…

 あたしは…


「あ…っ…」


 猫を助けるために…自分が死にかけた男と…

 …ちょっといい…セックスをした…。




「……」


 結局…きれいな男は…あたしをイカせまくった…。

 この時、あたしが思ったのは……貴重な男だ…。って事。


 あたしは…32歳。

 生い立ちについては…本当なのかどうか分からないけど…

 色々複雑で…あまり人に知られたくない。


 三年前、ふらっと遊びに行ったロンドンで…なんとなーく…そこにあったピアノを弾いて歌ってる所をスカウトされて…

 …なんとなーく…シンガーになった。


 それまでは……風俗で働いてた。


 あたしにとって…『仕事』は…まあ…仕事に生かされてる…的な…

 …でもそれも…

 いつ終えてもいい…って。



 風俗の仕事は…あたしには、合ってたんだと思う…

 …そこまで本気で気持ちいい事なんてなかったけど…

 すごく困る事もなかった。


 うわべだけのあたしと、セックスをする人。

 他の事は、考えなくてもいい。


 中には…トラブルを抱えたり…大変な子もいたし…

 その仕事にプライドを持ってる子もいたけど…

 あたしは…のらりくらりと…

 …毎日をやり過ごしてた。


 生きる事がつまらない。

 だけど…すごくつまらないわけじゃない。

 ただ…考え始めると、色んな事が重たくて…

 生きているのが嫌になる。


 どうせ…あたしの事なんて…

 気にかけてくれるのは……拓人ぐらいだ。


 その拓人も…もう何年も、ずっと忙しくしてるし…



「ん……」


「……」


 至近距離で…きれいな男を見つめた。

 あたしをイカせまくる男なんて…貴重だ…

 仕事してた時は…ほとんど…演技って言うか…

 適当に声出してるだけで…

 …初めて…こんなに燃えたかも…


「…み…」


 …み?


 きれいな男の額に手を当てる。

 体温はすっかり元通り…だと思う。

 ううん…

 たぶん…風邪はひいてる…

 …どうしようかな…

 起きて…部屋を暖めて…

 …だけど…もう少し…こうしていたい…


 きれいな男を、まるで『彼氏』みたいに思いながら。

 あたしは、その腕に収まった。


「…ず…」


「……」


 ず?


「…泉…」


「……」


 いずみ。


 きれいな男の左手を取る。


 …結婚指輪は…ない。

 でも…彼女持ちかぁ…。

 …まあ…当然…よね…


 あたしはベッドから出ると適当に服を着て。


「にゃ~。」


「クロ、風邪ひいてない?」


「にゃっ。」


「シロも元気?」


 猫達を撫でて餌をやって…


「…買い物…」


 あ…

 お金持ってない…


「……」


 ゆっくりと…きれいな男の、鞄を開ける。


「……」


 名刺入れから一枚、それを取り出して眺めた。


 桐生院きりゅういん きよし


 …すごい名前…


 て言うか…

 若いのに…社長なんだ…。



 鞄の中は、財布と名刺入れと…スマホだけだった。

 夕べ…鞄があまりにも軽かったから…営業に出てきますって社外に出て、あたしが働いてる店に来てたサラリーマンみたいなもんかなって…

 ちょっと…そんな風に思ってた…


 社長だろうがサラリーマンだろうが…そういうのは、さほど興味ない。

 あたしが…一番興味があったのは…

 …あたしと、身体の相性が良かった事。


 あんなに…気持ち良くなるなんて…



 あたしは、こんな性格だし…

 実年齢は32だけど、お店では歳を誤魔化して働いてて…友達も、作らなかった。

 色々…聞かれるのも、詮索されるのも、好きじゃないから。


 だけど、女の子達の集まってる部屋で、みんながどんな会話をしてるかは…聞き耳立ててた。


 どこどこのホストと結婚の約束をした。

 顔が良くてお金があれば。って子や…

 毎回指名してくれるお客さんが、この仕事をやめて結婚してくれって真剣にプロポーズしてくる。

 顔はいまいちだけど、身体の相性が良くて誠実だから。って子…

 色々だった。


 …あたしは…

 思いがけず、モテてしまう。

 なぜだろう。

 拓人が言うには、すごく面倒臭い女らしいのに。

 …自分でも面倒臭いとは思うけど…

 その辺は…好みもあるだろうし…



 いつか…って。

 いつか、あたしが生きて大事にしたくなる男が現れるかもしれない。

 十代後半から二十代中盤の頃は…そんな事も夢見てた。

 王子様みたいな人が…(見た目)


 って願望から…

 何でも買ってくれる人が…(大富豪)

 って願望に変わって…

 それから…自分が稼いでしまってからは…

 何でも言う事聞いてくれる人…(召使い)

 に変わって…


 今では、もう…何も期待なんてしてない。

 あたしはとことん恋愛とか、結婚には縁がないんだろうって。

 …やっと、気付いたから。


 あたしはモテるのに…何度か会うと、みんな『君、思った感じと違うね』って…去って行った。


 思った感じと違う。

 …みんな、あたしの事…どう思ってたんだろう。



 名刺を戻して、財布を開けると。

 あたしはそこから一万円札を一枚抜いた。


 …使わせていただきます。


 心の中で断りをして、寝室に向かって手を合わせた。






 あ。


 買い物を全部終えて、家に帰り着いた所で…気が付いた。

 桐生院 聖の着替え…買ってない…


「……」


 両手に持った荷物をゆっくりと置いて。

 そう言えば…拓人用の服が何着かあったな…って思い出した。


 三畳分ぐらいの納戸で、それを探してると…あったあった。

 まだ封を切ってない下着も出て来た。

 背格好同じようなもんだし…大丈夫だよね。

 …あと、寒そうだから…これも出しておこう。


 あたしは着替え一式と、あたしが着てたはんてんを持って寝室へ。

 小さなダイニングキッチンから一段降りた場所にあるだけの、リビング兼寝室。

 他にも部屋はあるんだけど…あたしは一度座るとそこから動かないから…

 全然用がない。



「……」


 よく寝てる。


 三枚重ねた毛布の上にはんてんをかけて、ベッドの脇に座る。

 マジマジと寝顔を見つめてみるけど…やっぱりきれいな男は寝ててもきれいだ。

 …拓人も…美形だけど…


 あれ、整形だし。



 きゅるるる…


「…お腹すいた…」


 空腹な事を、自分の腹の虫に教えられて。

 あたしは寝室の引き戸を静かに閉めると、キッチンに立った。


 …まだガスも通ってない。

 そう言えば、ガス屋さんていつ来るんだっけ…

 来る日を書いてたカレンダーも…死ぬ気になったから捨てちゃったし…

 …カレンダーなんて、持つだけ無駄だって分かった。

 死にたくなるたびに、捨てちゃう。

 …もう、10個ぐらい捨てたかもだけど…


 とりあえず…

 コンビニで買ったカセットコンロと、食料を並べる。

 パン…は…袋から出すだけでいいとして…

 スープ…温めて…


 あ。

 ストーブ。

 ここに引っ越した頃、拓人が部屋に投げっぱなしにしてた使わないストーブを勝手に取りに行った。

 買って来た灯油をそれに入れて、寝室の隅に置いてやかんを乗せた。


「にゃー。」


「しー…もう少し寝かせてあげて?」


「にゃっ。」



 寝室の引き戸を閉めながら。

 あたしは…

 自分が『桐生院 聖』を、飼ってる気分になってきてた…。




『ぶぇーっくしょん!!』


 寝室から盛大なくしゃみが聞こえた。

 続いて…『にゃー』って…シロとクロの声も。


 …起きた…


 引き戸の擦りガラス越しに寝室を眺めてると、のんびりと起き上がった塊が、服を着てるのが見えた。


 …あたし…ちょっとワクワクしてる…かも。

 拾って帰った『桐生院 聖』…ちょっとレベル高いし…


 ずっと見てたのがバレるの嫌だし、カセットコンロにかけてる鍋に集中した。


 でも…楽しみ…

 …早く来て。



「えーと…おはよう…ございます。」


 引き戸が開く音と共に、その声が聞こえて。

 あたしは振り返る。

『桐生院 聖』がちゃんと服を着て。

 あたしを…見てる。


「あ…おはようございます。」


「…えー…あの…あ、これ、ありがとう。」


 自分をポンポンと叩く桐生院聖。


 …ふふ…寝ぐせ…可愛い…


「あ…いえ。スーツは今乾かしてるので…もうしばらくそのまま…」


「あ、それはー…どうも…申し訳ない…」


「それと…鞄はそこに。一応…中身確認して下さい。」


 あ。

 一万円『お借りしました』って…言いそびれた…


「あー…はい…」


 しゃがんで鞄の中身を見てる桐生院 聖。

 ああ…どうしよう…

 …社長だし…いいよね?

 まだお金あったし…


「大丈夫そうです。」


「そうですか…体調は…?」


 首を傾げて問いかけると、何だか…じっと見られてしまった…


「あの…」


「あ、はい…大丈夫。ちょっとくしゃみが…出るぐらい。」


「良かった…」


「え…えっと…昨日は…助けてくれて、ありがとう…」


 あ。

 もしかして…この人…

 あたしが先に川に入ってた事…気付いてない…?


「…いえ…あたしこそ…猫…」


「あ、君の猫だったの?」


「…はい…」


 変にドキドキした。

 先に川に入ってたなんて…自殺中でした…ってバレるよね…


「名前…聞いていいかな。俺は…」


 ドキドキしてると、ふいに自己紹介が。


「俺は…高原 聖。」


 …え?


 少しだけ…目が点になった。

 …高原?

 名刺には…桐生院…って…



「あたしは…」


 じゃあ…あたしも…

 いつもの名前を言えばいいだけ…。


「あたしは、前園まえぞの 優里ゆうり…です…」


「前園…優里…ちゃん。」


 優里ちゃん。

 …ちゃん!?


「…あたし、きっと…あなたより年上…」


「え?そんな事ないだろ。俺、25だぜ?」


 25…若い…!!


「…32歳です…」


「……はっ!?」


「……」


「あっ…ああああ、ごめん。全然…そんな歳に見えないから…」


「そんな歳…」


「あっ!!いやっ、違う!!ととととにかく、32歳とは思えない!!肌艶いいし、しわなんてないし、めっちゃ綺麗だし!!」


「……」


「いやほんとマジで!!俺より年下かと思ったぐらいだから!!綺麗だし可愛い!!」


「……」


「ほんとに!!嘘とかお世辞とかじゃなくって!!マジで可愛い!!」


 あたしの事…可愛いって言ってくれる男は…山ほどいた。

 山ほどいたけど…


 身体の相性が良くて若くて社長で。

 名刺と違う名前を名乗った男は初めて。


 ………大事にしよう。

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