宣戦布告

@araki

第1話

「そこにあるの取って」

 ソファーにいる兄が指を指しもせずに命令してくる。どうせテーブルにあるおはぎのことを言っているのだろう。すぐ後ろにあるというのに。

「はい」

「あんがと」

 やはりこちらを見向きもせず礼を言う兄。彼はパソコンをカタカタ打っている。遅くに帰ってきて、真っ先にすることがこれだ。くたびれたスーツ姿で仕事する彼は落ち武者に似ていた。

「急ぎの仕事なの?」

「いや、日常業務のうち」

「なら家でやんなくてもいいじゃん」

「やらないと終わらないんだよ。うちは慢性的に人手不足だから」

 おかしい。単なるルーチンワークで持ち帰り残業は明らかに問題だろう。元々スペックの低い兄だが、ここまでかつかつになるのは会社が悪いのではないかと思う。 それに、うちはここだ。

「たまには息抜きしたら? 明日は休日だよ」

「それは朗報だ。存分に時間を使える」

「休みの日もパソコンと戯れてるじゃん、最近」

「戯れてない。むしろ戦ってるんだ」

 確かに、兄の表情には余裕がない。目の下のクマもひどい。よく眠れていないのだろう。

「手伝ってあげようか?」

「どうやって」

「画面をたたき割ってあげる」

「フレンドリーファイヤーは余所でやってくれ」

 そう話しているうちにも、兄は目まぐるしい勢いで文字が打ち込まれていく。全てアルファベット。英語もろくにできないくせに。意味が分かって打っているのか、甚だ疑問だ。

 ――……つまんない。

 私はため息をつく。最近は日課だった対戦もろくにできていない。今の戦績は兄の勝ち越し。このまま勝ち逃げするつもりなのだろうか。絶対に許さない。

「そろそろおはぎ食べたら? 固くなっちゃうよ」

「ああ、確かに」

 そう言って、兄は画面から目を離さずにおはぎをつかみ、そのまま口に運ぶ。

 途端、兄は倒れた。

「おっと」

 近くに控えていた私はぎりぎりのところでパソコンをキャッチする。このまま落下させたい衝動に駆られるも、そんなことで泣き崩れる兄は見たくない。

「……ちゃんと効いてるね」

 耳を澄ませば兄の寝息が聞こえてくる。半信半疑で買った品だったが、まともに効果があって安心した。

 ――さて。

 まずはこのパソコンを隠そう。それから兄のスマホも。電源ケーブルも念のため仕舞っておいた方がいいかもしれない。

 きっと、明日起きた兄は焦り顔で私を問いつめるに違いない。そんな彼に私は言ってやるつもりだ。仕事したくば私と戦え、と。

「明日は絶対勝つからね」

 心地よさそうにソファーで眠る兄。その寝顔に私は不敵に笑った。

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