忠告



 休み時間、ぼくがトイレから出てくると、教室の出入り口で、三津谷さんと健ちゃんが話をしていた。

 内容は聞こえないけど、楽しい会話じゃなさそうなのはわかった。健ちゃんの言葉を聞く三津谷さんが不愉快そうにしているから。

 額に手を当て、伏し目がちになっている。


「お、人夢くん」


 と、ぼくに気づいた健ちゃんが振り返った。おいでおいでと手招きする。

 ぼくは、三津谷さんを気にしながら、ゆっくりと歩み寄った。


「人夢くんさ、学校終わったあとヒマ?」

「やめろ、健。人夢はいろいろと大変なんだって」


 三津谷さんの言葉を遮るように、健ちゃんが左手を出した。

「お前には聞いてない」と言いたげな顔をして、しかしすぐににっこり笑顔になった。


「どうしても人夢くんに見てもらいたいものがあるんだ」


 ちらっと三津谷さんへ視線をやってから、ぼくは首を傾げた。


「……なに?」

「俺の雄姿」


 健ちゃんは得意げに言うと、その場でクロールの動きをした。

 ……そういえば、健ちゃんも水泳を習っているんだっけ。


「プール?」

「そう。きょう、勇気がプールに来るって言ったから、人夢くんも一緒に」


 急に拝み始めた健ちゃん。お願い、お願い、と繰り返している。

 すると、ぼくの後ろの三津谷さんが大きなため息をもらした。

 なんとなく、ぼくに来てほしくないオーラを発している気がする。……だけど、目の前の健ちゃんからは承諾しなくちゃならない空気も感じる。


「うん……いいよ」

「ホント? やったー」


 健ちゃんは、満面の笑みでぼくの両手を取ると、上下にぶんぶん振った。

 されるがままになりながらも、ぼくは後ろに目をやった。教室の壁にもたれかかっている三津谷さんが苦笑いで肩をすくめた。


「健、もうやめろって。人夢が嫌がってるだろ」

「なーにを嫌がってるか。人夢くんと俺は、ゆうべを共にした仲なんだから」


 しばらく、ぼくたちのあいだに沈黙が漂う。

 たしかに、健ちゃんとの公園でのひとときはぼくにとっても大切なできごとだったけど、その言い方は絶対にヘンだ。


「勇気。人夢くんをちゃんと案内してきてよ。じゃ、人夢くん。放課後にプールでね」

「うん……」


 片手を上げ去っていく健ちゃんに、軽く手を振って、ぼくは応えた。


「あいつになんか気ぃ使わなくても、行きたくなかったんなら断ってよかったんだ」


 三津谷さんのその言い方には優しさの一片もない。刺々しさだけがやけに耳についた。

 行きたくないなんて、ぼくは言ってない。

 行きたくない雰囲気を出したのは、三津谷さんのほうだ。

 とは思っても、それを口にできるはずもなかった。ぼくは精いっぱい笑顔を作る。


「行きたくないわけなんてないよ。健ちゃんががんばっている姿を見てみたいと思っていたし」


 ぼくが言い終わるか終わらないかのところで、三津谷さんは背を向けた。

 それは他意のない、ちょっとしたタイミングのせいなのかもしれない。

 けれど、ぼくの心はもやがかかったみたいに、すっきりしない。

 きのうまでの三津谷さんの優しさは、ぼくが転校したてで、自分は学級委員長だからと片づければ、納得できる気もした。

 でも、ぼくはそう片づけたくはないし、納得もしたくない。健ちゃんみたいな間柄はムリでも、ひとりの友達として、そばに置いておいてほしいと思った。





 健ちゃんの通っているスイミングクラブは、学校から歩いて二十分くらいのところにあった。

 ぼくは、ほとんど三津谷さんの後ろにくっついていただけだから、ここら辺がどういう地名で、家と学校とどういう位置関係になるのか、さっぱりわからなかった。


「傘はそこにさしとけよ」


 スイミングクラブの入り口をくぐったところで、不意に三津谷さんが言った。

 ぼくは、自分が傘を持っていることすら意識していなかったから、すぐには行動できなかった。

 そのあいだにも、三津谷さんはどんどんと先へ進む。慌てて傘立てに傘を収め、ぼくはあとを追った。

 エントランスは意外とこじんまりしていた。限られた人しか来ないからか、お父さんによく連れて行ってもらった市民プールより質素な造りだった。

 ジュースの自販機が一つだけある。受付の窓口より先は、一段高くなっていて、脇にげた箱もある。

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