二
玄関でスニーカーを取り、ぼくの部屋へと伸びる廊下から庭に出た。その途端、ロクちゃんの激しいボディアタックを受けてしまった。
雑種でも、しっかりとしつけられているみたいで、やたらと吠えたりはしないけど、妙に興奮しているのが目に見えてわかって、ちょっぴりこわかった。
中型犬なのに、大型犬にも、それ以上にも思える。
そんなロクちゃんに、ぼくはへっぴり腰になりながらも、持ってきた綱をなんとか首輪につないだ。
その瞬間に、勢いよく走り出したロクちゃん。ぼくは、引っ張られるようにして家を出た。
きょうの空は快晴。ここ数日続いていた雨がうそのように雲一つない。
一清さんが言っていた通り、ロクちゃんの散歩は、五番目のお兄さんの豪さんの仕事だ。
じつは、豪さんにはまだ会っていない。顔も知らない。
ぼくは、お兄さんたち全員に会ったことがあるわけじゃなかった。
一清さんこそ、一緒に暮らすことになる前から会っていたけれど、三番目のお兄さんの広美(ひろみ)さんや四番目の善之(よしゆき)さんとは、最近会ったばかりだ。
お母さんとお義父さんが入籍することに始まり、東京でラーメン屋さんをやること。お母さんも一緒に行かなきゃならなくなったこと。ここに残るとぼくが決めたこと。その結果、お兄さんたちと一緒に暮らさなければならなくなったこと。
たくさんの大事なことが急速に決まっていって、初めて顔を合わせてから、あまり日が経っていなかった。
そういえば、広美さんや善之さんも交えた夕食会で、一清さんが二番目のお兄さんである次郎(じろう)さんの名前を出したとき、お義父さんの様子がガラリと変わった。
空気がすごく悪くなったって、このぼくでもわかるくらいに。そして、それをなだめたのはお母さんだった。
どうやら、ずいぶん前から次郎さんは独立していて、長いことあの家には帰ってきてないらしい。
ロクちゃんに引っ張られながら、ぼくはその日のことを思い出して、肩をすくめた。
人通りの少ない道を行く。
二週間くらい前から、豪さんは合宿に出かけていて、いまも留守。高校二年生だと聞いているけれど、どういった合宿なのかまでは知らない。
それに、学校のものではないらしいんだ。
「わわっ。ロクちゃんっ」
そういろいろと考えごとをしていたら、さらに強い力で綱を引かれた。ロクちゃんが全速力で走り出したのだ。
ただでさえ走りっぱなしで疲れているのに、もっと駆け足にされたぼくは、足がもつれて転んでしまった。
その拍子に綱が放れた。あっと思ったときには、もうロクちゃんの姿は見えなくなっていた。
ひざの痛みもこらえ、ぼくは立ち上がった。ロクちゃんが消えた角を曲がる。
少し先に公園がある。
囲むようにぐるりとあるブロック塀の上から、すべり台やジャングルジム、青々と茂る木々が顔を覗かせている。
ロクちゃんはあそこに行ったに違いない。ぼくは直感的にそう思い、一目散に公園へ向かった。
「ロクー! わかったからやめろって!」
公園に入ってすぐそんな声が聞こえた。
ぱっと目をやると、しっぽを激しく振っているロクちゃんが、しゃがんでいる誰かの背中に前足を乗せていた。
「ロクちゃん!」
ぼくは駆け寄った。
きのう、この町に越して来たばかりで、さっそく知らない人に迷惑をかけてしまった。
泣きたい気持ちを押さえ、すばやく綱を拾い上げると、必死にロクちゃんを引っ張った。
「ロクちゃん!」
「あれー?」
ぼくが一生懸命になっているさなか、それまでしゃがんでいた人がおもむろに立ち上がった。
ロクちゃんは今度、その人の腰に前足をかける。
「この犬、キミのだっけ?」
ロクちゃんを撫で、そう目を丸くしたのは、ぼくよりちょっとだけ背の高い男の子。有名スポーツメーカーのロゴが入った上下おそろいのジャージを着ている。
いまどき珍しい坊主頭を掻いて、その人はもう一度、視線でぼくを窺った。
「ぼくの……です」
綱を緩めて、ぼくは俯いた。
正確に言うなら、ぼくの新しい家で飼っている犬だ。
しかし、それをぜんぶ言ってしまったら、余計なことまで説明しなきゃになりそうで、ぼくは黙ってることにした。
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