玄関でスニーカーを取り、ぼくの部屋へと伸びる廊下から庭に出た。その途端、ロクちゃんの激しいボディアタックを受けてしまった。

 雑種でも、しっかりとしつけられているみたいで、やたらと吠えたりはしないけど、妙に興奮しているのが目に見えてわかって、ちょっぴりこわかった。

 中型犬なのに、大型犬にも、それ以上にも思える。

 そんなロクちゃんに、ぼくはへっぴり腰になりながらも、持ってきた綱をなんとか首輪につないだ。

 その瞬間に、勢いよく走り出したロクちゃん。ぼくは、引っ張られるようにして家を出た。

 きょうの空は快晴。ここ数日続いていた雨がうそのように雲一つない。

 一清さんが言っていた通り、ロクちゃんの散歩は、五番目のお兄さんの豪さんの仕事だ。

 じつは、豪さんにはまだ会っていない。顔も知らない。

 ぼくは、お兄さんたち全員に会ったことがあるわけじゃなかった。

 一清さんこそ、一緒に暮らすことになる前から会っていたけれど、三番目のお兄さんの広美(ひろみ)さんや四番目の善之(よしゆき)さんとは、最近会ったばかりだ。

 お母さんとお義父さんが入籍することに始まり、東京でラーメン屋さんをやること。お母さんも一緒に行かなきゃならなくなったこと。ここに残るとぼくが決めたこと。その結果、お兄さんたちと一緒に暮らさなければならなくなったこと。

 たくさんの大事なことが急速に決まっていって、初めて顔を合わせてから、あまり日が経っていなかった。

 そういえば、広美さんや善之さんも交えた夕食会で、一清さんが二番目のお兄さんである次郎(じろう)さんの名前を出したとき、お義父さんの様子がガラリと変わった。

 空気がすごく悪くなったって、このぼくでもわかるくらいに。そして、それをなだめたのはお母さんだった。

 どうやら、ずいぶん前から次郎さんは独立していて、長いことあの家には帰ってきてないらしい。

 ロクちゃんに引っ張られながら、ぼくはその日のことを思い出して、肩をすくめた。

 人通りの少ない道を行く。

 二週間くらい前から、豪さんは合宿に出かけていて、いまも留守。高校二年生だと聞いているけれど、どういった合宿なのかまでは知らない。

 それに、学校のものではないらしいんだ。


「わわっ。ロクちゃんっ」


 そういろいろと考えごとをしていたら、さらに強い力で綱を引かれた。ロクちゃんが全速力で走り出したのだ。

 ただでさえ走りっぱなしで疲れているのに、もっと駆け足にされたぼくは、足がもつれて転んでしまった。

 その拍子に綱が放れた。あっと思ったときには、もうロクちゃんの姿は見えなくなっていた。

 ひざの痛みもこらえ、ぼくは立ち上がった。ロクちゃんが消えた角を曲がる。

 少し先に公園がある。

 囲むようにぐるりとあるブロック塀の上から、すべり台やジャングルジム、青々と茂る木々が顔を覗かせている。

 ロクちゃんはあそこに行ったに違いない。ぼくは直感的にそう思い、一目散に公園へ向かった。


「ロクー! わかったからやめろって!」


 公園に入ってすぐそんな声が聞こえた。

 ぱっと目をやると、しっぽを激しく振っているロクちゃんが、しゃがんでいる誰かの背中に前足を乗せていた。


「ロクちゃん!」


 ぼくは駆け寄った。

 きのう、この町に越して来たばかりで、さっそく知らない人に迷惑をかけてしまった。

 泣きたい気持ちを押さえ、すばやく綱を拾い上げると、必死にロクちゃんを引っ張った。


「ロクちゃん!」

「あれー?」


 ぼくが一生懸命になっているさなか、それまでしゃがんでいた人がおもむろに立ち上がった。

 ロクちゃんは今度、その人の腰に前足をかける。


「この犬、キミのだっけ?」


 ロクちゃんを撫で、そう目を丸くしたのは、ぼくよりちょっとだけ背の高い男の子。有名スポーツメーカーのロゴが入った上下おそろいのジャージを着ている。

 いまどき珍しい坊主頭を掻いて、その人はもう一度、視線でぼくを窺った。


「ぼくの……です」


 綱を緩めて、ぼくは俯いた。

 正確に言うなら、ぼくの新しい家で飼っている犬だ。

 しかし、それをぜんぶ言ってしまったら、余計なことまで説明しなきゃになりそうで、ぼくは黙ってることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る