私が知るあなたの知らない私

村良 咲

第1話 日常

 ピピピピッピピピピッピピピピッ……

 

 覚えてもいない夢から急激に引き離され、無理やり現実に連れ戻され目を覚ました。


 小学校に入学するときに母が買ってくれた、いつもと同じ音の鳴る目覚まし時計の上のボタンを押し止めると、閉じたままの目の中で、ぼんやりと、あれ?今日って、何曜日だっけと……あ、日曜か。じゃあ、もうちょっと寝て……え?、あれ?いや、月曜だ。頭の中で、昨日、何してたっけ?と思い起こしながら、今日は月曜だと確認してから目を開けた。


「ふぅ~~~っ。めんどくさいなぁ」


 寺井愛美は大きな溜め息と共に、えいっと、身体を起こすと、身支度をするために部屋を出た。


 家から学校まで、自転車で、約30分。その30分が、億劫でたまらない。毎日、同じ時間、同じ道筋を通って通う高校は、県内でも噂になるほどのお嬢様学校だ。そういえば聞こえはいいが、言い方を変えれば、ただただ規則に厳しい女子高ともいえる。


『良妻賢母』を掲げるこの高校は、いつの時代の教えを守り続けているのだろう?と思わなくもないが、規則や礼儀作法に厳しいだけあって、いまだに社会や企業からの評判はとてもよく、県外からもここに通わせたい親は多いという話はよく聞くけれど、ここに通う子たちは、ほとんどが自分の学力に合っただけだろうと思う。評判を聞いて選んでここにきた子は、遠方から来ている寮生の中のほんの少しだろうと思われる。愛美は前者で、自分の学力に見合った高校へきたというだけのことだった。


「あ、図書館へ返す本を持って行かなきゃ」


 ベット横、サイドボードの目覚まし時計の横に置いた『十三の夜を超えて』という、タイトルからは想像し難いミステリー小説を手提げに入れると、急いで制服に着替えて部屋を出た。


 今日もこの時期にはしょうがないと思うが、梅雨の曇り空だ。


 雨にはならないと、朝食を食べながら観た朝の番組で言ってはいたが、外へ出るとムッとした湿気が身体にまとわりつき、不快なことこの上ない。


「あぁーーーっ、自転車で行くの、いやだなぁ」


 この時期、自転車を漕いでいると、ジメっとした空気の中で、じんわりと肌が汗ばむ感じがあまり気持ちのいいものではない。


 学校に着く頃には、自分の身体が梅雨の嫌な匂いを纏っているような気がして、誰かにそう言われないか気になる。まあ、もちろん誰もが似たような匂いを身体に纏ってはいるのだが。


 そんなこと考えながら漕ぎ出した自転車は、家の前の道路を左に進み200mほど先の橋を渡らずに手前を右折し、そこから更に200mほど先の、つぎの交差点で止まった。


「今日も私が先か」


 ほぼ毎日のことだが、高校へ一緒に通う江森純は、いつも私よりも待ち合わせ場所にくるのが遅れる。でも、それでいい。


 2年以上こうして通学していると、何度か自分の方が遅れることがあったが、いつも待っている方なのに待たせたことが気まずくて、純はもちろん自分がいつも待たせてごめんねと口にすることが度々あったが、いざ自分がそれを言うことになると、なんとなくモヤモヤするのだ。それはたぶん、いつも待ってるんだから、たまにはいいじゃないという気持ちが根底にあることに、愛美も気付いてはいた。それでも、だからこそ、自分がいつも先にいて待つという姿勢でいる心地よさのほうが、愛美には気持ちいいのだった。


「おはよう。待たせてごめんね~」


「おはよう。ねえ純ちゃん、今日の帰りに図書館に寄りたいんだけど、どうする?」


 この「どうする?」には、一緒に行くか、それとも別々で帰るかという問いでもあったのだ。


 図書館は、帰り道とはだいぶそれている場所にあり、遠回りになるのだ。ただでさえ30分の、しかも帰りは長い坂道を、ときには自転車を下りて登らなければならないので、遠回りさせるのは申し訳がなく、何なら別々でも構わないよという意図が込められていた。


「図書館か……う~ん、今日はいいにしようかな」


「うん、じゃあ、また明日ね」


 朝なのに、また明日ねとは変な挨拶だと自分でも可笑しくなったが、高校ではクラスも専門教科も別な2人は、滅多に顔すら合わせることがなく、純も笑顔で、「じゃあ、また明日ね」と返答し、橋を渡って車が滅多にこない堤防をそんな話をしながら並んで走っていたが、次の橋を渡ると交通量が多く、坂道に入って行くので、目で合図しながら、いつものように、純が前を行き一列となり学校まで進んだ。


 純と下駄箱まで一緒に行き、そこからまるで正反対の場所にある教室に向かうため、左右に分かれた。


 2年生になったばかりの頃、1日おきに互いの教室に近い階段を2人で使っていたが、なんとなく非合理的感があり、どちらともなく下駄箱で別々に行こうと口にして、今はそうしている。


 教室に入ると、待ってましたとばかりに明美がやってきた。


「マナ、おはよう。ねえ、見た?中間の順位。もう貼ってあるよ」


「あ、おはよう。そうなんだ、まだ見てないけど……」


 どうせ私が一位でしょ。心の中でそう呟いた。


 あまり勉強が得意な方ではない子たちが集まる高校の中では、これまたあまり勉強が得意でない愛美でも、同じ専門教科のクラスの中では、トップでい続けることができていた。中学の時にはそんなことは万が一にもあり得ないことだったので、愛美は今でもこの現象に不思議なほどに居心地の悪い思いを感じていた。


「私、10位までに入ったんだよ!!ありがとう、マナが一緒にテスト勉してくれたおかげだよ~」


「えっ、ホント!?よかったね。10位以内に入るのって、はじめてじゃん」


「そうなんだよ。あと、芙美ちゃんも10位以内に入ったんだよ。私たちの中から3人って、すごいよね」


 私たち、とは、クラスでいくつかできているグループの一つで、私たちは6人でグループを作っていた。


 このグループという括りが何を指すのかというと、たぶん、お昼ご飯を一緒に食べるということを指すのだろう。女子高にありがちな話だ。中でも、多少の出っ歯をいつも気にしている明美とは一番仲が良く、体格のいい芙美とはその次に仲がいい。芙美が一番仲がいいのは、芙美とは真逆の、クラスの中でも一番華奢な真理で、6人のグループも、そんなふうに特に2人ずつ仲がいいという形を取っていた。


 愛美は、クラスのどの子たちとも割とうまく付き合っていて、苦手な子には付かず離れずし、それは多すぎる女子の中では、自然と距離を置くことが不自然ではなかった。


「さあ、授業を始めるぞ」


 高校でも朝の会なるものがキチンとあり、朝見たら帰りまで目にすることがなくても不思議はない担任が、今日は珍しく1時間目の授業で、朝の必要事項を話した後、そのまま授業に入った。


 廊下側の一番前に座る愛美は、返された95点の日本史のテストを、返る前から間違いに気付いていたその場所に赤ペンで直しを入れると、『もうやることがないですよ』とばかりに、ぼんやりと自分の机に座る担任に目をやりつつ、その視線は、どんよりと曇る外へ向いた。


 右手で頬杖をついたまま、『ふぅ~~~』と、誰にも気づかれないように深い溜息をつくと、だんだんと上がり始めた気温でますます感じるジメジメ感にうんざりしていると、いつからかこちらに視線を向けていた担任と目が合った。


『あ、ヤバイ』ぼけ~っと外を眺めていたことを誤魔化すように、テスト用紙を指さし、『終わりました』と、声に出さずに唇だけで伝えた。


「直しが終わった人は解答用紙を持って来て、このプリントを取りに来てください。答えが同じの問題が違う傾向で書かれていますから、時間までこれをやっていてください」


 同じ答えか。なんかめんどくさいな。答えが同じならこんなのすぐにできちゃうじゃん。また時間が余っちゃうよ。


 心の中で担任に毒づきながらその答えが同じ違う問題をもらい、机に戻るとスラスラと答えを書きながら、暇を持て余した脳内で、昨夜のMASATOとのやり取りを思い出していた。



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