第52話 三面六足

 赤い刀身、黄金の刃。妖刀土蜘蛛がきらめき、上段からランシャに襲いかかる。ランシャは氷の大剣でそれを受けるが、ここで得物えものの差が如実に出た。精霊魔法でいかに鋭く研ぎ澄まそうと、どれほど硬く固められようと、所詮はただの氷である。土蜘蛛の刃は大剣の中ほどまで食い込んだ。だがそれでも折れないのはさすがと言うべきか。


 妖刀の連撃に継ぐ連撃で、氷の大剣はあっという間にボロボロになる。ランシャは防戦一方、それはある意味当たり前と言えた。いかに大精霊ラミロア・ベルチアの力を借りているとは言え、手にしているのは魔剣レキンシェルではない。しかも魔獅子公フンムを氷のゴーレムで封じ、毒蛇公スラを第一王子ラハムの前に足止めしている。それらと同時に妖人公ゼタの剣戟けんげきを受け止めるなど、尋常ではない胆力と精神力である。


 さらにゼタの背後から顔を見せるのは黒山羊公カーナ。真っ黒い触手を何本も伸ばし、ランシャを捕まえようとする。左腕で水色に輝くリーリアの体を支えながら、ランシャの体は宙を舞い、ひらりひらりとかわして行く。つまりジクリフェルの四賢者それぞれに四通りの戦い方をしているのだ。力の強大さだけで説明の付く話ではない。


 だからこそ、とゼタは思う。リーヌラにやって来たのは炎竜皇ジクスの指示であり、その内容はカーナを助けてザンビエンの生け贄を抹殺する事だった。だがもうそれだけでは終われない。この危険な小僧を放置してはおけない。たとえ後で炎竜皇の叱責を受けるとしても、いまここでランシャを倒さねばならないのだ。皇国ジクリフェルのために。




「うおのれええええっ!」


 魔獅子公フンムはまだ押していた。周囲を氷柱に囲まれながら、冷たい空気の中で白い息を吐き、氷のゴーレムを押し倒そうとしている。さっきまですぐ後ろに居たゼタとスラの気配がない。移動したのか。


 いつまでこんな氷のデク人形に関わっているつもりかと内なる声が聞こえる。だが同時に、こんなデク人形ごときにおくれを取るなど許される事ではないとも思う。大事なのはメンツではなく、ランシャを倒す事ではないのかと考えが浮かび、しかし戦士の誇りを失う未来に恐怖が湧き上がりさえもする。葛藤の中にフンムはあった。ただし、その葛藤に押し潰されるほど卑小でもなかった。


「押して駄目なら!」


 フンムは足を引き、身をかわした。普通ならこれでゴーレムはバランスを崩し、前のめりになるはずだ。けれど、そうはならなかった。ゴーレムはフンムが押すのをやめた瞬間に動きを止め、ただじっと押されるのを待つかのように身構えている。魔獅子公は舌打ちをすると、吐き捨てるように言った。


「なるほど、鏡の魔法か」


 おそらく押せば同じ力で押し返し、引っ張っても同じ力で引っ張り返すに違いない。だから触れなければ、このように停止する。これは戦いではない。本質的に地面を押すのと何も変わらない。戦士の誇りもへったくれもないのだ。


 おそらくスラ辺りは気付いていたのではないか。教えれば良いものを、まったく性格の悪い。もっとも、自分のメンツに配慮してくれたのかも知れないと思えなくもないのだが。フンムは苦笑した。もはやゴーレムと遊んでいる場合ではなかろう。戦線に復帰せねばならない。ただし。


 周囲をビッシリと埋め尽くし取り囲む、青白い氷の柱の群れ。さて、これは叩いて砕けるのか。


「躊躇っている場合ではない!」


 無銘にして無尽たる戦斧を振りかざし、フンムは吼えた。その狂気じみた膂力りょりょくを氷柱に叩き付ける。硬い音を立てて氷柱は砕けた。しかし、崩れない。破片は床に落ちずに宙を漂い、ゆっくりと動き出す。加速する。やがてごうごうと音を立て、フンムの周囲を回転し始めた。氷のゴーレムもまた氷柱の群れへと分解され、その回転の中に溶け込んで行く。


「足止めなどと小賢しい真似を」


 力と力のぶつかり合いともなれば、フンムは四賢者の最大戦力である。他の三名と合流させては厄介になる。そうランシャは考えているに違いない、とフンムは考え、ランシャの慧眼を褒め称えたくなった。だがそんな事をしている場合ではないのだ。


「まさか人間如きに、このフンムの正体を見せる事になろうとは」


 魔獅子公は戦斧の柄を口に咥えた。




 ネズミとも猫ともつかぬ謎の動物の姿をした氷像は、毒蛇公の喉笛に噛み付いたまま、全身を軋ませながら振り回した。何度も何度も床に叩きつける。スラは体を無数の小蛇に分けて逃げだそうとしたものの、魔法がブロックされているのか、逃げる事ができないでいた。


(ならば!)


 スラは氷像に体を巻き付ける。単純な話だ、放さぬのなら締め上げて破壊すれば良い。しかしその巻き付けた体を、スラはすぐにほどかなければならなかった。相手に触れた部分が一瞬で凍り付いてしまったからだ。まるでザンビエンの呪いの氷のように。ただし、この氷の魔法はザンビエンのものほど面倒臭くはない。触れるのをやめれば溶けてしまう。


 とは言え、だ。こうも振り回され続け、床に打ち据えられ続けていては身が持たない。さてどうしたものか、さすがのスラも途方に暮れそうになったとき。


 玉座の間に咆吼が轟いた。




 咆吼はゼタとカーナの動きを止め、ランシャに一呼吸つく時間を与えた。魚の骨のようになった氷の大剣が、本来の姿を取り戻す。ランシャの左腕の中でラミロア・ベルチアはつぶやいた。


「大きいのが来るぞ。どうする」


「どうもこうもない。まだ限界じゃないんだ。戦う」


 そう答えるランシャに、ラミロア・ベルチアは苦笑する。


「おまえのような者を、向こう見ずと言うのだ」




 玉座の間に立ち込める煙。内側から響く咆吼。突然、突き出す獣の足。鋭い五本の爪を備えた毛むくじゃらの足が、一つ、二つ、三つ、四つ、そして五つ、六つ。いつしか煙は薄れ、その向こうに赤い灯火が六つ揺れる。それが三対の眼の輝きだと明らかになるには数秒を要した。煙の中から現れた影には頭が三つある。三面六足、そして紅蓮に燃える炎のたてがみ。巨大な獣魔の体は、玉座の間の三分の一ほどをみっしり埋め尽くしていた。


 この巨体はさしものランシャも想定外。フンムの周囲を回転していた氷柱の群れは回るスペースを失い、壁際に一塊となっている。三つ頭の魔獅子の口からオレンジ色の火球が放たれ、三方向からランシャに襲いかかった。


 ランシャの周囲を守るように立つ水の壁。だが火球が止まったのは一瞬。焼けた石の表面で水が弾けるような音と共に、ランシャとリーリアの体は跳ね飛ばされた。その飛んで行く方向には、スラの姿が。氷の大剣が宙をはしり、スラの頭部を狙う。毒蛇公が思い切り全身をねじると、食いつかれていた喉の肉がえぐり取られたものの、ランシャの剣はスラをかすめ、謎の動物の氷像を斬り割った。




 故意か、偶然か。考えるまでもない。


「偶然な訳があるか」


 スラは血のしたたり落ちる喉を震わせた。飛ばされたランシャはもう立って大剣を構えている。その背後には水色に輝くリーリアと、第一王子ラハム。これを狙って飛ばされたに違いない。


「スラよ、そこを退けい!」


 雷鳴のように響き渡る魔獅子の声。スラは急いでゼタとカーナの元に向かった。再び三つの火球が飛び、ランシャをオレンジ色で包んだかに見えた直後、熱い湯気が沸き立ち玉座の間を覆った。しかしフンムは理解している。この程度で死ぬ相手のはずがないと。




「やれやれ、こんな狭い場所で本性を見せるなど、戦士の誇りはもうどうでもいいのでしょうか」


 呆れ顔の黒山羊公を、ゼタは横目で見やった。


「戦士の誇りは主君や国があってこその物。誇りを捨てねば守るべきを守れぬのなら、潔く捨てるのは戦士らしいと言えるだろう」


「はあ、そんなものですかねえ」


 ゼタは反対側に視線を向ける。スラの喉元からはまだ血が流れ落ちている。


「血が止まらないのか」


「ザンビエンの呪いほど酷くはない」


 そう言うと、スラは小さくため息をついた。


「治癒魔法が効かない。あの小僧、嫌な魔力の使い方をする」


「最初に会ったときに殺しておくべきだったよ。まったく」


 ゼタの後悔も先には立たず。もうもうと立つ湯気の向こうから、ランシャの姿が現れた。




「我が主君の御業に比べれば、この程度の火球など児戯に等しい」


 魔獅子の三つ頭のうち一つがそう言った。


「おまえはそれを知っているのだ、これくらいでは驚くまい」


 別の一つがそう続け、


「だが役にも立たぬ人間を背に守り、どこまで耐えられるかな」


 最後に残った一つがそう笑った。


 ランシャにまだ余裕はある。ラミロア・ベルチアの底知れぬ力を借りているのだ、大抵の事は恐れるに足らない。ただしそれは自由に身動きが取れればの話。いま、彼の背後にはラハムが居た。直裁に言えば、ランシャはラハムの命などどうでもいい。だがリーリアにとってはそうではない。もしここでラハムが死ねば、彼女は自分自身を責めるだろう。そして心に重荷を背負い込むのだ。そうなる事は火を見るよりも明らかだった。


 ランシャは動けない。一歩も引けない。リーリアの心を守るために。ただしその真っ直ぐさは相手に見透かされる。


「そうだ、良い事を思いついた」


 フンムの頭の一つが言った。


「おまえがそこから動かぬというのなら、我が動こう。我が力をもってこのリーヌラを滅してくれよう」


 別の一つの頭も続ける。


「リーヌラの民の悲鳴が、その姫に届かねば良いのだがな」


 三つ目の頭がまた笑った。


 露骨な挑発ではあるが、フンムは嘘をついていない。本当にやるつもりだとランシャは思う。けれど、それでうかうかこの場を離れれば、ゼタたちがラハム王子を殺すに違いない。さりとて何も手を打たずにフンムがリーヌラの民を殺せば、リーリアは自分が許せないだろう。どちらに転んでも結果は同じ。もう詰まれている。……いや、そうだろうか。


「ラミロア・ベルチア」


 ランシャは不意にフンムに背を向け、後ろを振り返ると、不審げな顔で見つめる水色のリーリアにこうたずねた。


「俺を殺せるか」




 三つ頭の魔獅子は天井を頭で突き破った。撒き散らされる泥の破片。上層階のない屋根の向こうには青空が広がっている。


「見よ、絶好の死滅日和ぞ! リーヌラはいまより地獄と化す! 己の無力さに絶望するが良い、ランシャ!」


 だが咆吼を上げ見下ろすフンムの眼前で、ゼタが、スラが、カーナが見つめるその前で、ランシャの体は力を失い、崩れるように倒れ込む。その意味を誰に問うまでもない。そこにあるのは、死。皇国ジクリフェルの四賢者は言葉を失った。

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