第18話 フンム出陣

 砂の上に引かれたまっすぐな線。これが大水路だとするなら、その隣に描かれた丸は、ここ数日奉賛隊の歩いていたコースなのだろう。


「簡単に言えば私らは、この何日かずっと同じ場所をグルグル回ってたのさ。堂々巡りってヤツだね。ただし定期的に大水路に接近するから、水に不足は感じなかったって訳だ」


 バーミュラの説明に、隊長はまだ納得が行かない顔だ。


「いや、しかしだな。俺たちの目には大水路から離れて行くようには見えなかった」


「ああそうだ、ずっと大水路に沿って歩いているように見えていた」


「これが魔法じゃないのか」


「おそらくは催眠術の一種だろう。どうやって仕掛けたのかは知らないが、まったく見事な手口だよ」


 バーミュラは感心しきりといった様子であった。一方難しい顔をしているのはルル。


「問題はこれを誰が仕掛けたかって事だ」


「まあ、あの二人じゃねえだろ」


 ナーラムはクノンとチオンをかばった。ランシャもうなずく。


「もしあの二人なら、いつでも逃げられたはずだ」


 だが実際にはクノンもチオンもまだ隊列の中に居る。そんな危ない橋を渡る理由が思いつかなかった。


「とりあえず約束通り、シルマスまでは送って行ってやろうや。その先の事までは知らないがな」


 隊長のその言葉で、一同は納得した。




 奉賛隊はその日の夕方、食料をすべて使い果たす寸前、何とか無事シルマスに到着した。街の領主から大歓迎を受け、酒と食事が振る舞われたが、その最中にクノンとチオンの姉弟はひっそり奉賛隊に別れを告げると、街の中に姿を消した。




「一時はどうなる事かと思いました」


 街を歩きながら弟のチオンが言う。姉のクノンは優しく微笑み返す。


「なかなか得がたい経験をしましたね。それに我々以外にもあの奉賛隊を狙う者が居るというのは貴重な情報です。君はチノールに戻って仲間に詳細を伝えなさい」


風音かざね様はいかがなされます」


 先程までクノンと呼ばれ、そしていま風音と呼ばれた女は立ち止まると、手を口元に置いて考え込んだ。


「そうですね、しばらく様子を見る事にします。彼らがチノールに到着する前に目的が達成される可能性が出てきた訳ですから。楽ができればそれに越した事はありませんもの」


「しかし監視は三老師の方々が」


 チオンの言葉に、風音は首を振る。


「老師方は移動し続ける目標は得意ではないのです。なあに、心配しないでください。私だってたまには役に立って見せますから」


 冗談だとは理解している。だがチオンは笑うというより呆気に取られた。このたおやかな彼女こそが、神教国ダナラムの聖滅団において、あの風切と並び称される戦士であると知っていればこそ。




 絶壁に叩き付ける逆巻く波頭を見下ろして、真っ白い雲の峰が青空にそそり立っている。腹の内にあるのは、魔族の暮らす皇国ジクリフェル。その王宮の謁見の間にて、四賢者のうち三人が揃ってひざまずいていた。


「毒蛇公スラは命に別状ございません」


 とは妖人公ゼタ。


「生き恥をさらしているとも言えますな」


 それを嗤うのは黒山羊公カーナ。


「随分と嬉しそうだな、黒山羊公」


 怒気を込めた魔獅子公フンムに、カーナは大げさなほど首を振って見せた。


「滅相もございません。ワタクシはもし自分がその立場ならと考えてみたまで。スラ殿への悪意などまったく、いやまったく」


「陛下の御前である。双方控えよ」


 ゼタが冷たく言い放ち、他の二人は頭を下げた。玉座の少年、炎竜皇ジクスは相変わらずブカブカの鎧を身にまとい、両脚をぷらぷらさせながら話を聞いている。


「それじゃあさ」


 不意に放たれたジクスの言葉に、三人の賢者は身を固くした。


「次はフンムに任せていい?」


 魔獅子公は驚いたように目を見開き、しばし呆気に取られていたが、突然雄叫びを上げた。その言葉の意味を理解したのだ。


「おお、おお! 我が君よ、我らが主君よ! 待ちわびておりましたそのお言葉、よくぞご決断召されました!」


「お待ちください、陛下」


 それはゼタの声。


「フンムを前線に立たせるは、ザンビエンに正面切って戦いを挑む事に他なりません」


「妖人公、僭越であるぞ!」


 吼えるフンムを手で制し、ジクスは言った。


「ザンビエンはもう気付いてるよ。そこまで愚鈍じゃない」


「ですが」


「もしザンビエンを確実に倒す機会があるとするなら、それはいましかないんじゃないかな。みすみす見逃しては後悔する」


 その大人びた言動は、普段のジクスを思えば不釣り合いなほど。ゼタは頭を下げた。


「陛下の御心のままに」


 対してフンムは胸を張り、声を張り上げた。


「我ら獣魔軍団、命をかけて粉骨砕身、御身のために働きましょうぞ!」


「いやはや、何とも賑やかな事でございますな」


 黒山羊公カーナは鼻先で嗤った。しかし。


「ところでさあ、『謀略』のカーナ」


 ジクスに二つ名を呼ばれるなど滅多な事ではない。これにはさしものカーナも緊張した。


「……は? 何でございましょう、陛下」


 ゼタとフンムも瞠目している。しかし炎竜皇ジクスは平然と、満面の笑顔でこう言った。


「いま隠してる事、全部教えて」




 奉賛隊がシルマスに入って四日目の昼。本当なら昨日出発するはずだったのだが、折からの砂嵐で延期を余儀なくされていた。リーヌラやキリリアで砂嵐といえば数時間で去るのが普通である。しかし今回のシルマスでは、一昼夜に渡って吹き荒れ続けている。街に出る訳にも行かず、窓も明けられない。リーリアは退屈していた。


 これはおかしな話だと言える。東に進めば進むほど、氷の山脈に近付けば近付くほど、リーリアの命は短くなる。それを悲しみ恐れているはずなのに、前に進めない事を退屈に感じてしまうのだ。リーリアはいつしか旅を愛していた。


 領主は奉賛隊のために、街一番の宿を確保しておいてくれた。食事も酒も食い放題飲み放題、何もかもゲンゼル王に取り入るための投資なのだろうが、その果実が実るかどうか、リーリアにはわからなかった。とは言え、とりあえずは有り難い。


 外に出られないので、広い宿の中を散策する。すると、ある部屋をのぞき込む者たちが居た。奉賛隊の荷物運びや飯炊きだ。何を見ているのだろうと近付くと、部屋の中から金属音が響いてきた。


「もう一度!」


 これは誰の声だろう、ウィラットか。


「ああもう!」


 これはランシャの声だ。リーリアが後ろの方から部屋をのぞき込むと――随分と広い部屋だった――中で二人の男が剣を振るっていた。


 両手で打ち込むのはランシャ。それをウィラットが片手で軽くいなす。


「弓取りに剣で負けるのは情けないな」


「知るかよ、そんな事!」


 しかしリーリアの素人目にもハッキリわかるほどの、ランシャのへっぴり腰。打ち込む剣にも勢いがない。三度、四度と打ち込んで、すべて片手でいなされてしまう。


「不甲斐ないねえ、もちょっと腰を入れらんないものかい、腰をさ」


 それは部屋の隅に座る魔道士バーミュラの声。明らかにへばっているランシャは、剣を下ろして肩で息をした。


「これ……意味あるのか」


「あるに決まってんだろう」


 バーミュラは馬鹿にしたように笑う。


「おまえ、いつまでレキンシェルに振り回されるつもりだい。そんなんじゃ、お姫様を守れないよ」


「俺は」


「まずは魔剣を使いこなす事だ。サイーの遺産なんて物は全部その後の話さ。ここまで何とか来れたのは、たまたまなんだよ。この先、もっと強い化け物が出てくるかも知れない。そうなったらどうする、ランシャ。お姫様を放って逃げ回る気かい」


 しばらく息を整えていたランシャだったが、何も言わず剣を握り直し、ウィラットに向き直る。


「そうそう、いい子だ」


 バーミュラはうなずいた。


 リーリアは何も言わずに黙ってその場を離れ、早足で部屋に戻る。そしてベッドに飛び込むと、うつ伏せのまま両脚をジタバタ動かした。何故かはわからないけれど、そうしないと全身から火が出そうだったのだ。




 砂嵐は夜半に過ぎ去り、空には星も輝いた。翌朝は快晴。早々に朝食を済ませた奉賛隊の面々が、気温の上がらぬうちに出発しようとシルマスの街の外で隊列を組み始めたそのとき、バーミュラが叫ぶ。


「何か来るよ!」


 身構える傭兵たちの耳に届く、遠い銅鑼どらの音。街の外、砂丘の向こうに揺らめく影が。ウィラットが魔弓を構え、千里眼でそれを見つめた。


「何だ……これは」


 その中央、先頭に立つのは黄金の鎧を身にまとった人の姿。ただし、頭部は獅子だ。後ろには、銀の鎧を着た三頭の類人猿。二頭が銅鑼を支え、一頭が打ち鳴らす。そしてさらに後ろには、人の背丈ほどもある、巨大なイノシシの群れ。



「人間如きに奇襲も奇策も必要ない! 正々堂々、真正面から蹂躙じゅうりんするのみ! 前進せよ!」


 魔獅子公フンムが吼えると、雪崩を打ったようにイノシシの群れが走り出した。そこに天から降る光の矢の雨。だがフンムが手にした戦斧を振るうと、彼と三頭の類人猿の頭上に飛来した矢は風圧に吹き飛ばされる。一方イノシシの群れは針山の如く全身に矢を刺しながら、その足は止まる事なく怒濤のように奉賛隊に突っ込んだ。かに見えた。


 突き上げる拳がイノシシを跳ね飛ばす。それは巨大ないくつもの砂の拳。地中から次々に現れる拳は敵を跳ね上げ、壁を作り、イノシシの侵攻を食い止めた。さしものフンムもこれには唸る。


「おのれ、魔道士か」




「まったく、やりやすいったらありゃしないね!」


 言葉とは裏腹に緊迫した表情でバーミュラは怒鳴った。


「ウィラットは魔弓でイノシシを撃ち続けな。ハリネズミにしておやり。撃ち漏らしはザッパ、おまえらの仕事だ。牙にだけは気をつけな。リーリア、ケガ人は任せるよ。タルアン、おまえさんはジャイブルに猿どもの相手をするようにお言い。そんで最後にランシャ」


 バーミュラは振り返った。


「大将首を獲っといで。いまそれができるのはおまえしか居ないんだ、いいね」


 ランシャは無言でうなずき、走り出す。リーリアはしばらくその背を目で追っていたが、左手の青い指輪に触れると小さくつぶやいた。


「いと賢き水の精霊よ。彼をお守りください」




 側面から回り込み、目指すは砂丘の向こう。ランシャは砂に足を取られながら走った。


「向こうまで飛んで行くなんてできないのか」


 その言葉に耳元でレクが返事をする。


「サイーはできてたぞ」


「やり方はわかるか」


「無茶言うな」


「だろうな」


 後でバーミュラにたずねるしかないだろう。もっとも、生きて帰れたらの話だが。レクが呆れたように言う。


「おまえ、死ぬのが怖くないのか」


「死ぬのは怖いさ。ただ」


「ただ?」


「自分が死ぬかも知れないって事に、実感が湧かない」


 魔剣は鼻先で笑う。


「なるほどな、おまえ怖がり方を知らないんだ」


「怖がり方……」


「人間が嫌いなヤツは、たいてい自分自身の事も嫌いだ。だから自分を大事に思えない。怖がるってのは、自分を大事にする思いの延長線上にあるんだよ。大事じゃないから真剣に怖がれない」


「こんなときに説教する気か」


「いい機会じゃねえか。今度の相手はたぶん、おまえでも怖がらずにはいられないヤツだぜ。盛大にビビってみりゃいい。まあビビり過ぎて死なれちゃ困るけどな」


 そんな会話はもう続けられない。黄金の鎧を身にまとった、獅子の頭を持つ巨体が見えてきたからだ。その前に割り込んだのは、銀の鎧を着た三頭の巨大な類人猿。怒声を上げて胸を叩きながらランシャに走り寄ってくる。そこに。


 突如白昼の虚空を切り裂く稲妻が、類人猿たちを撃った。空に響き渡る声。黄色い髪と黄色いマントの少女が浮かぶ。


「こなたは雷の精霊ジャイブル。いにしえの盟約により悪しき獣魔どもを討ち果たさん」


 ランシャはジャイブルと類人猿たちを右に回り込み、黄金の鎧へと近付いた。魔剣を握る右手に力が入ると、白い羽根のような刃が伸びる。そして立ったまま動かない大将首に向かって、一気呵成に斬りつけた。


 しかし、刃は鎧に食い込まない。ただ、相手の全身は氷結した。けれど、それは一瞬。


 フンムが左腕を振り上げただけで、全身を覆う氷は砕け散った。魔獅子公の燃える目がランシャを捉える。


「面白い」


 振り下ろされる左手からランシャは何とか身をかわした。凄まじい衝撃波で砂がえぐれ吹き飛ばされる。


「ザンビエンの力を宿す魔剣レキンシェル。人間の扱える力で、果たしてこのフンムを斬れるや否や、試してみせい」

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