第3話 ダナラムとジクリフェル

 初めに風ありき。風は世界中の水滴を集め、海を作った。風は世界中の光を集め、太陽と月と星々を作った。風は世界中の土を集め、大地を作った。風が水と土をこね、人形を作った。そして人形に光を飲み込ませると、人間となった。風を司る創造神、その名を偉大なるフーブと呼ぶ。




 ガステリア大陸全土に行き渡るフーブ信仰の中心地は、神教国ダナラム。砂漠の帝国アルハグラの北に位置する広大なダーナ連峰をまたぐ山岳国家である。首都にして聖地であるグアラグアラには巨大なフーブ神殿があり、創造神フーブの声を聞く『風の巫女』と、彼女を支える三老師が、世界平和のために日々祈りを捧げている、と伝えられていた。


 そんなフーブ神殿の最深部にある聖壇でいま、目を見開いた者がいる。三老師の一人、『遠目』ことツアト師は、虚空を見つめてニンマリと笑った。


「動き出した、動き出した」


 同じく三老師の一人、『早耳』ことコレフ師は耳を澄ませる。


「どれどれ……ほほう、なるほど。騒ぎになっておるな」


 残る一人、『大口』のハリド師は目を閉じて沈黙している。


 三人とも長い白髪を高く結い上げ、紫の僧服に身を包んで胡座をかく。背後には高い祭壇、その頂には白銀の人影が立つ。なめらかに輝く白い大きな一枚布を身にまとわせた、長い銀髪の少女。雪のように白く儚げな顔で三老師を見つめている。


「巫女よ」


 遠目のツアト師が振り返る。


「さて、いかがされる」


 風の巫女はしばし考えると、こう口にした。


「……聖滅団を」


 風の巫女の言葉に、早耳のコレフ師がうなずく。


「左様左様。ざっと二十もれば事は済みましょうな」


 それを聞いて遠目のツアト師は膝を叩く。


「問題はいつどこで仕掛けるか。さすがに明日明後日とは参りますまい」


 早耳のコレフ師は腕を組んで考え込んだ。


「左様左様。やはり、リーヌラを出立してから次の町までの間でしょうな」


 すると風の巫女が再び口を開く。


「リーヌラから三日ほどで、キリリアの峠に差し掛かります」


 遠目のツアト師は、また膝を叩いた。


「ふむ、それは名案」


 早耳のコレフ師もうなずく。


「では、それで参りますか」


 相談はまとまったようだ。大口のハリド師はまだ目を閉じて沈黙している。




 砂漠の帝国アルハグラの首都リーヌラでは、ちょっとした騒ぎが起きていた。街角には高札が立てられ、人々がその前に群がっている。その内容を簡潔に書くならばこうである。


――末姫リーリア様を魔獣ザンビエンの生け贄とする。ついては東の氷の山脈までの道中、魔獣奉賛士の補助を務める奉賛隊をリーヌラの臣民より募集する。参加者には報奨金が与えられる。希望する者は明日より三日のうちに王宮まで申し出よ。


 最初に上がったのはリーリアに対する同情の声。次いで疑問。あのゲンゼル王が、報奨金まで出して募集する奉賛隊とはどのようなものか。物見遊山のつもりで参加などすれば、とんでもない目に遭わされるのではないか、と。


 アルハグラの住民たちは、ゲンゼル王をよく理解していた。半ば神格化されていると言っても良い彼への信頼は、その冷酷さ、獰猛さ、凶暴さに裏打ちされている。豊かな生活を与えてくれる支配者としては優れているが、決して近付きすぎてはいけない。それがアルハグラに暮らす人々の共通した認識だった。


 故に表立って批判する者は居なかったが、この奉賛隊に必要な人員が果たして集まるかどうかについて、否定的に考える者は多かった。




「ええっ、どうして!」


 夜、孤児たちの集まるねぐらで、悲痛な声を上げたのはニナリ。灯明の薄明かりの下でパンをかじりながら、ランシャは平然とこう言った。


「盗まなくても金がもらえるからな」


「いや、それはそうだけど」


「俺たちには親がない。親がないから信用もない。だからマトモな仕事には就けない。でも生きて行くには金が要る。その金をくれるって言うんだ、こんな上手い話があるか」


「ランシャ……」


 そこに聞こえる、馬鹿にしたような声。


「その話が上手すぎるって思わねえのかよ」


 長いテーブルの端に座る、ルオールがこちらを見つめている。


「ちょっと考えりゃ、臭えってわかるだろうが」


 それをランシャは冷たく見つめ返す。


「何だ、心配してくれるのか」


「……てめえ、ふざけてんじゃねえぞ」


 ルオールが立ち上がる。周囲の孤児たちが慌てて逃げ出した。しかしランシャは平然とパンをかじり続ける。


「上手すぎようが臭かろうが、俺には選り好みしてる余裕はない。もう行くと決めたんだ」


「だったら行け! 行って勝手に一人で死にやがれ!」


 怒鳴り散らすとルオールは、憤然と部屋から出て行った。ランシャはパンを口に詰め込んでつぶやく。


「ああ、どうせ一人で死ぬさ」




 大人たちが闇を駆ける。松明を手に、悪魔のように目を光らせて。


――生け贄だ。生け贄を捧げよ


 フーブは生け贄を禁じているよ。そんな事をしたら呪われるよ。


――生け贄を探せ。生け贄を選べ。生け贄を決めよ


 やめてよ、やめてよ、連れて行かないで。


――ランシャ


 ああ、またリン姉の夢だ。


――ランシャ、お願い


 リン姉、悪いけど俺には無理だ。


――私を、助けて


 リン姉……じゃない?




 翌朝ランシャが目覚めたとき、また一人きり。ねぐらにはもう誰も居ない。何か夢を見たような記憶がある。だが嫌な夢だったのかどうか、よく覚えていない。まあいい、とにかく王宮に向かおう。ランシャはゴシゴシと顔をこすって立ち上がる。腹が鳴っているが、それは無視した。




 ラダラ海に面するガステリア大陸南西部は断崖絶壁が延々と続き、砂浜はない。それ故に港もなく人も住まない。ここに近づくには陸路、猛獣の跋扈する密林を踏破しなければならないが、それで得られる物がある訳でもなく、従って獣道の一本すら見当たらない。


 そんな人跡未踏のジャングルの上空には、常に厚い雲の峰がそびえ、その雲の中には人の知らぬ、魔性の者たちが暮らす国があった。


 皇国ジクリフェル。支配領域は空。雲の頂に鎮座まします宮殿には、今日も賑やかなファンファーレが鳴り響き、声楽隊による『呼び出し』に応じて、四賢者が謁見えっけんの間に姿を見せる。


「妖人公ゼタ閣下、御出座」


 先頭を切って現れたのは、黒衣の上から赤いマントを羽織った、背の高い黒髪の女。腰に黄金の鎖がきらめく。先般アルハグラの首都リーヌラに現れた、あの女であった。今日は老爺ヤブを連れていない。


「魔獅子公フンム閣下、御出座」


 次いで現れたのは、人の体に雄獅子の頭を乗せた巨躯。同じく赤いマントをひらめかせ、大股で進み出る。その白銀のリングメイルに包まれた巨体が放つ威圧感は、空間を歪ませるかの如きである。


「毒蛇公スラ閣下、御出座」


 その次は、体を見せずに赤いマントの上から突き出すコブラの頭部。まがまがしさでは当代随一。マントを引きずりながら、音もなく這い寄るように歩く。感情のない目には、いったい何が映るのか。


「黒山羊公カーナ閣下、御出座」


 最後に姿を現わしたのは、真っ黒い山羊の頭部。捻れた二本の角、常に微笑んでいるような目と口元。周囲に不愉快さを撒き散らしながら赤いマントを揺らす。そのマントの下からは、八本の黒いヒヅメがわらわらとのぞいていた。


 四賢者は階段の前まで進み出ると、横一列に並んで膝をついた。正面の階段の上には、赤く輝く宝玉で作られた椅子。その無人の玉座に向かって頭を下げる四名。刹那、宙に浮かぶ炎。それは回転し、膨張したかと思うと、人の形を取り玉座に座る。


 人型の炎がかき消えた後、そこに居たのは、頭の左右と額から三本の角を生やした十歳くらいの子供。ブカブカの甲冑を身に着け、不満げに頬を膨らませている。声楽隊が声を揃える。


「炎竜皇ジクス陛下、ご顕現」


「これ、きーらーいー!」


 幼い炎竜皇は手足をジタバタさせた。黒衣の女、妖人公ゼタが顔を上げた。


「我らが偉大なる陛下におかれましては、ご機嫌麗しきご様子」


「うるわしくなーいー!」


 そう言うと、不意にジタバタをやめた。


「何するかもう決まってるんでしょ、ボクいらないじゃないか」


「そうおっしゃいますな」


 魔獅子公フンムが顔を上げた。


「陛下のご裁可なくしては、我らとて動けぬのです」


 毒蛇公スラはつぶやく。


「四賢者、炎竜皇あってのもの。いわゆるハリボテ」


 黒山羊公カーナが高笑い。


「ほっほっほ、スラ殿は地味なくせに手厳しい」


「一言、余計」


 スラの目が無表情に見つめたが、知らぬ顔を決め込むカーナである。


 炎竜皇はあきらめの表情でため息をついた。


「それで、ボクは何すればいいの」


 黒衣のゼタが言う。


「アルハグラのゲンゼル王が、魔獣ザンビエンに対して生け贄を送る模様にございます。これはアルハグラに打撃を与える好機。我らにご命令くだされば、必ずや大きな戦果を上げてご覧に入れましょう」


 獅子頭のフンムが胸を叩く。


「陛下、このフンムにご命令くだされ。人間どもなど微塵の肉片にしてやりましょうぞ」


 しかし、炎竜皇は首をかしげる。


「だけどさあ、それやっちゃったらザンビエンが怒らない?」


「ほっほっほ、さすがご明察」


 黒山羊のカーナが大きくうなずく。


「魔獣ザンビエンは魔界、神界、人界のすべてにとって禁忌。正面切って生け贄を奪いなどすれば、この皇国ジクリフェルが脅威にさらされましょう」


「ならばザンビエンごと倒せばよかろうが」


 怒鳴るフンムの隣で毒蛇のスラがつぶやく。


「短慮、短絡、単細胞」


「何だと貴様!」


 それをゼタの静かな声が制する。


「陛下の御前である。控えよ」


 フンムは顔に怒りを浮かべながら、何とか口を閉じた。炎竜皇はスラを見つめる。


「何かいい方法があるの」


 コブラの頭は小さくうなずいた。


「人の事は人に。ダナラムの動き、見る」


「そんなもの、弱者の戦法ではないか」


 フンムの悔しげな言葉を嘲笑うかの如く、カーナは言った。


「負け戦よりは随分とマシでありましょう。ひとまず神教国ダナラムの出方を見るのは、ワタクシも賛成であります。陛下、ここはご慎重に、ご慎重に」


 炎竜皇ジクスはしばし考え、妖人公ゼタに目をやった。


「ゼタはどうすればいいと思う」


 だがゼタは、その問いには答えない。


「覇王に躊躇ちゅうちょは不要でございます」


 満面の笑みを浮かべて。


「陛下のお心のままに」


 それが不満だったのか、ジクスは少し口を尖らせたものの、すぐに決断した。


「じゃあ、今回はスラに任せる」


 毒蛇公スラはまた頭を下げた。


「ご命令、承る」

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