第2話 魔獣奉賛士
大通りから外れた薄暗い路地の奥。走り込んできた赤い髪のニナリは、乱れる息を懸命に整えていた。ランシャは無事だろうか。確かめに行きたい気持ちはあるものの、いま大通りに戻ればアイツらに見つかるかも知れない。そうなれば一人では逃げ切れない。しばらく隠れているしかないのだ。
だがここも安住の地とは言えなかった。
「よう、ニナリじゃねえか」
心臓をわしづかみにされたような顔で振り返れば、そこには三人の取り巻きを従えたルオール。孤児たちの最年長で体も一番大きい。事実上のリーダーと言うべきか、小さな暴君と呼ぶべきか。
「こんなところで何してる。稼ぎのないヤツは飯抜きだぞ」
すると取り巻きの一人、ジンタがルオールに近寄った。
「コイツ、またランシャと一緒に居たらしいぜ」
ルオールの眉が寄る。
「ほう。で、そのランシャの野郎はどうした。いまどこに居る」
「いや、それは」
何と答えたものか戸惑うニナリに、大物ぶった足取りで近寄るルオール。
「まさか俺さまに隠れて美味い汁を吸おうとか考えてんじゃないだろうな」
「そ、そんな事しない!」
そう言うニナリの胸倉をつかみ、ルオールは顔を寄せた。
「何だその態度は。おまえみたいなクズが、誰のおかげで飯が食えてると思ってる」
つま先立ちのニナリには、顔をそむける勇気もにらみ返す度胸もない。ルオールは殺気のこもった眼で見つめ、周りでは取り巻きたちが笑っている。ニナリが涙をこぼしたとき。
「もうやめろ」
それは面倒臭そうに聞こえる声。振り返ると、路地の反対側に立っているランシャ。キラキラと輝く何かを放り投げる。ルオールが両手で受け取った物は黄金の鎖。細かい細工が施された見事な
「俺とニナリが盗ってきた。今日の分はそれでいいだろ」
ルオールの顔が悔しげに歪んだがそれも一瞬、すぐに何事もなかったかのように余裕の笑みをたたえた。
「随分と素直だな。いつもそうなら長生きできるぜ」
「そりゃどうも。ニナリ、来い」
赤髪のニナリは慌ててランシャの元へ走り寄り、二人は背を向け路地の外に向かった。
「いいんすか、勝手にさせて」
そうつぶやいた取り巻きの一人は、自分がルオールの視線に射貫かれている事を知った。
「え、あの」
「俺さまのやり方に文句があんのか」
「い、いえ、そんな、滅相もないっす」
ルオールは腹立たしげに舌打ちをすると、黄金の鎖を持った手をジンタに向かって突き出した。
「闇市に行って、コイツを食い物に替えてこい」
「わかりやした」
うやうやしく受け取ると、ジンタは黄金の鎖を腹巻きの中に突っ込み、ランシャたちとは反対方向に走り去った。
丸い体に垂れた顔、長い白ヒゲで口元が隠れている事もあって、太った犬のような印象を与える。薄黄色い服装に同色の大きな帽子。帽子の真ん中には赤い宝石が輝く。魔獣奉賛士サイーはゲンゼル王の前で両手を合わせ、うやうやしく一礼した。
「帝王陛下にあらせられましては、ご機嫌
「挨拶など良い。時間がない、必要な物を申せ」
サイーは笑顔で大きくうなずいた。
「されば手練れの傭兵を三十名、荷物運び五十名に飯炊き二十名、計百名の奉賛隊とドルトを三十羽所望いたします」
ドルトは砂に沈まぬ三本指の足を持つ飛べない巨鳥。恐ろしく力が強く、大量の荷物を運ぶ事ができる。ただし高価だ。ゲンゼルは口元を小さく歪ませた。
「貴様、このゲンゼルの足下を見るか」
「とんでもございません。東の果て、氷の山脈までは帝国の版図の内なれど、その旅路は危険極まりのうございます。おそらく奉賛隊の大半は旅程の途中で脱落し、ザンビエンの元にまで辿り着けるのは
しかしそれで納得した訳ではないのか、王はフンと鼻を鳴らした。
「まあ構わぬ。望むがままに連れて行くが良い。それで、ザンビエンの機嫌は取れるのだろうな」
「恐れながら申し上げます。私は魔獣に関する知識においては人後に落ちぬと自負しておりますが、されど絶対はございません。相手は人智を超えた魔獣にございます。リーリア姫様の生け贄だけで事が収まるかどうかは、やってみなければわかりませぬ」
サイーは平然と首を振った。
タルアン王子はゲンゼル王の七番目の息子だが、母は第三夫人であり、王位継承権は十位であった。自分より下に居るのは末っ子のリーリアだけ。それだけに妹が可愛くもあったものの、今回の決定には正直ホッとしていた。父への覚えのめでたさを基準に決められていたら、生け贄にされるのは自分しかなかったはずだから、と。
雄々しさのない細い顔、金髪の巻き毛、ウジウジとしたハッキリしない性格、プレッシャーへの脆弱さ、どれを取ってもゲンゼルとは正反対。何故自分があんな恐ろしい王の息子として生まれてきたのか、タルアンには不思議でならなかった。もっとも、王子という立場でなければ、十六のこの歳まで生きてこられなかったかも知れない。それくらい自分の弱さには自信があった。
そんなタルアンが、王に呼ばれた。兄や姉たちは呼ばれていないのに。サイーの隣に立ち、平然と、なるべく平然と見えるように一礼した。
「タルアン、お呼びによりまかり越しました」
いま声が少し震えていなかったろうか。心臓がドキドキする。背中が汗で冷たい。逃げ出したい。そんなタルアンの気持ちを知ってか知らずか、ゲンゼル王は静かに見つめるとこう言った。
「王としてタルアンに命ずる。サイーの奉賛隊に加われ」
「……は?」
「返事はどうした」
「は、はい! う、承りましてございます!」
慌てて返事をしたが、もちろん本意ではない。しかし嫌だと言える雰囲気ではないし、そもそもそんな勇気などあるはずがない。一方それが当たり前だと思っているのか、ゲンゼル王は満足した様子も見せずにサイーにこう言った。
「ザンビエンがリーリアだけで足りぬようなら、タルアンを差し出せ」
「心得ましてございます」
え、え、何これは。何がどうなってるの。タルアンの頭の中は真っ白になった。思考が固まって停止している。足りない? 差し出す? え、どういう事なの。え……えーっ!
ジンタは闇市に向かっていた。ただし遠回りで。他の孤児たちに見つからない場所、入り組んだ路地の奥にある空き家、自分だけの隠れ家に入ると、腹巻きの中から黄金の鎖を取りだした。床に座り込んで鎖を置き、三分の一ほどの長さのところにナイフを当てた。そしてナイフの背をレンガで叩く。
これが純金なら切れるはずだ。ルオールの命令は、この鎖を闇市で食い物に替えてくる事。だが全部とは言われていない。駄賃をもらって何が悪い。この世は馬鹿正直じゃ生きていけない、それがジンタなりの真実だった。
「……あれ、おっかしいな」
ジンタは首をかしげた。さっきから叩いているのに、黄金の鎖は切れるどころか傷一つつかない。もっと強く叩かなきゃいけないのか、ジンタはレンガを大きく振りかざした。その手首が背後からつかまれる。そのまま握り潰され、骨が砕けた。あまりの痛みに叫び声さえ上げられない。
ジンタの視界の端に、手首をつかむ白い服を着た小柄な老爺が映った。その向こうには背の高い黒衣の女。そんな馬鹿な、いつの間に。
「あのときの盗人とは違うようですが、いかがいたします、閣下」
老爺の言葉に、女は小さく微笑んだ。
「そんな事はどうでもいいよ」
「左様ですな。では、罰は
老爺はニッと微笑んだ。長く鋭い二本の牙を見せて。
「運が良かっただけだ」
空は暮れ、気温が下がって行く。そろそろねぐらに戻る時間だろう。広場の片隅に腰を下ろすランシャの隣に、不満げなニナリが立っている。
「でも、お宝は手に入ったじゃないか」
「アイツらはただ者じゃない。ちょっと間が悪ければ、間違いなく殺されてた」
「だけど」
「おまえは相手がヤバいかどうかを見極められない。二度と余計な事はするな」
そう言って立ち上がるランシャの眼は冷たい。ニナリは何も言い返せなかった。ねぐらに向かって歩き出したランシャだったが、その足はすぐに止った。広場の向こうから駆けてくる見知った顔。ルオールの取り巻きの二人だ。
「おい、おまえら」
上から目線で声をかけてきたが、ルオールが居ないせいだろう、自信のなさが透けている。
「まだ何か用か」
不機嫌そうなランシャに怯えたのか、二人はニナリの隣に回り込んだ。
「いや、用って事もないんだけど」
「ジンタ、見なかったか」
これにはランシャも不審な顔になる。
「いつも一緒に居るのはおまえらだろう。何で俺に聞く」
「そ、それはそうなんだけど」
「おまえらの盗ってきたあの鎖、アレを闇市で食い物に替えてこいってルオールさんがジンタに言ったんだ。でも、それっきりジンタが帰って来ない」
ランシャは馬鹿にしたようにため息をついて見せた。
「だったら持ち逃げしたんじゃないのか」
だが取り巻き二人組は首を振った。
「それはない。アイツにそんな度胸はない」
「そうだ、ジンタはズルいヤツだけど、一人で逃げるような度胸はないんだ」
何とも自信たっぷりにそう言い切る。ランシャとニナリは顔を見合わせた。何か嫌な感じがしたが、これといって捜す当てがある訳でもない。一旦ねぐらに戻るしかなかった。
しかし、ねぐらには戻れなかった。その入り口に人だかりができていたから。遠巻きに見つめる近隣の者たちが、口々に神の名をつぶやく。「アル・フーブ」と。視線の先に転がっているのは、切断された生首、両腕と両脚、そして真っ二つにされた胴体。つなぎ合わせればジンタになるのは間違いなかった。
ニナリは全身を震わせてランシャを見つめた。
「これ……これ……まさか」
「忘れろ」
しかしランシャは氷のような眼で見つめ返す。
「ジンタは運が悪かった。それだけだ」
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