第8話 ようこそ新居

 翌朝も、さくらは汗をじっとりかいて起きた。


「やだ……」


 また、濃厚な夢を見てしまった。これでは、淫乱扱いされても仕方がない。

 しかも、相手が類ではなかった。玲だった。


「なんで、どうして」


 願望ではないと思いたい。どうして、玲が出てくるのだろうか。

 夢とはいえ、一階に下りてゆくのが恥ずかしい。さくらはのそのそと、着替えた。


***


「おはよう、さくら。寝不足か」


 当然、玲は普通に話しかけてきた。昨日と同じように、朝食のしたくをしてくれている。


「う、うん。ちょっと。顔、洗ってくるね」


 なにを動揺している、自分。情けない。

 わざと冷水で洗ったら、少しだけ落ち着いた。台所へ戻る。


「手伝う」


 腕まくりをしてさくらはごはん作りに参加する。


「さくらって、きれいになったよな」

「ぶっ!」


 手のひらから飛び出たミニトマトが、台所のシンクにころんと転がってしまった。


「やだ、玲ってば!」

「ごめん、いきなり」

「急に、どうしたの」

「出逢ったときは正直、まじめないいこちゃんなだけだった。でも、今は表情もやわらかいし、肌もきれいだし」

「きょうだいになって、八年だよ。変わるって。それに、褒めてもなんにも出ないよ!」

「いろんな男にちやほやされるのも分かる。てか、類の力だな」

「まあね。玲には申し訳ないけれど、類くんってすごいよ」

「そうだな。類はすごい」

「認めるんだ」

「さくらを、類に託してよかったと思っている。俺だったら、お前をこんなにきれいにできなかった。でも、困ったことがあったら遠慮なく言えよ」


 困ったこと……いやいや、深い意味ではないと思う。久しぶりの京都生活、家族と離れ離れの生活を心配してくれているのだ。


「ありがとう」


 さくらは笑顔で答えた。



「せめて、類とさくらちゃんが愛をはぐくんだ和菓子屋さんへGO!」


 聡子にせがまれて、天神さん横の老舗和菓子屋さんでおやつを食べた。季節の和菓子を折り詰めにしてもらい、医院への差し入れとした。

 なんだかんだで、京都生活をいちばん楽しんでいるのは、聡子だった。


***


 そして、今日から本格的に住むことになる、シェアハウス。

 片倉医院の近くで夕食を終えたあと、玲が近くまで送ってくれた。


 とうとう、さくらはやって来た。


 午後九時。この時間なら、ハウスの住人もいるだろう。緊張する。二ヶ月とはいえ、なかよく、なれたらいいなと素直に思う。


 自分の家にもなるのだし、こんばんは、ではないだろう。おじゃまします、はもっと違う。インターホンは押すのか、ドアノック?


 鍵を開け、声をかける。


「こんにちはー!」


 いちばん、無難そうなあいさつにしてみた。


 リビングから明かりが漏れている。在宅のようだ。

 スリッパの音が、ふたつ。いいや、ふたりだから、四つ?

 さくらは息を止めて待った。


「きたー!」

「待ってた!」


 玄関まで、足早に駆けてきた女子、ふたり。


「は」


 初めまして、シバサキ東京本社の総務部から来ました、柴崎さくらです。二ヶ月と、短い間ですがお世話になります……考えてきたあいさつがあったのに、冒頭の『は』しか言えなかった。


「今夜は、さくらさん歓迎会や!」

「座って座って!」


 リビングのテーブルの上には、お菓子が山積みだった。あと、アルコール類。


「キュートやで、さくらさん」

「広告のまんまやん」


 注目されるのは仕方ない。

 シバサキの広告塔で、社長夫人。類の妻。あおいの母。聡子会長の義娘。


「ええと。まずは、手洗いうがい、いいですか?」


 まじめに答えたら、大爆笑を誘ってしまった。



「うちは、河原由香(かわはらゆか)。入社四年目。よろしゅうな」

「仙川はずみ(せんがわはずみ)。うちは三年。河・川コンビ」


 ふたりとも、京都出身だという。

 ごはんは食べてきたばかりだが、乾杯を受ける。


「よろしくお願いします。柴崎さくらです」

「ああもう、固いなあ!」

「飲みよし!」


 ふたりとも、押しが強い。いろいろ、聞きたくて仕方ないというふうで、目を輝かせている。

 まあ、分かる。普通の女子だったのに、小説かドラマの主人公みたいな生き方だもん、自分。


 由香は、シバサキ京都店の副店長。軽くパーマをかけた肩下の髪が、しゃべるたびに揺れている。顔のパーツは全体的に控えめな大きさだが、色が白くて公家っぽい。


 はずみは、京都店の事務を仕切っている。経理も社員の勤怠も、アルバイト募集もはずみの担当。ぱっつん前髪に、ショートカット。まさに、はずむような明るさ。


「ええと、ルイくん、やのうて、ルイさん。ルイさんの奥さんなんやね」

「ええ、まあ」

「聡子会長の娘はん!」

「そうですね」

「「『世紀の天使』の母!!」」


 ……誰が最初に言い出したのか、発信源は分からないけれど、あおいのキャッチコピーは『世紀の天使』だった。

 北澤ルイの『天使のほほ笑み』を踏まえているのかもしれないけれど、かゆい。歯が浮く。というか、今世紀まだ八十年も残っているのに。


「さくらさんは、時短出勤て聞いとるけど」

「はい。午前中を中心に働くつもりです。母のサポートがメインです」

「会長、臨月でふたごかあ。おなか、大きいやろね」

「京都店のみなさんにあいさつできなくて、残念がっています。気持ちは元気で前向きなのですが、その……やっぱりリスクが高い出産なので」


 四月一日の入社式では、事前に収録した聡子の動画メッセージを流すことになっている。


「うんうん。支えてあげなあかん」

「うちらも協力するし」

「ありがとうございます、母に伝えておきます」

「けどなあ、さみしいやろ。ルイさんに逢えない日々は」

「……がんばります!」


 ちょっといいこちゃんになってしまったけれど、さくらはひとまず同居人とのご対面イベントを乗り越えた。


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