勇者の学校
川越 駿光
プロローグ【伝承】
燃え盛る炎と裏腹に、勇者の心が揺らぐことはなかった。
反比例するように、それこそ水を打ったようにシンと冷めきっていた。
火の海となった小さな村も。
理不尽に蹂躙された人々も。
たった今、肉片にしたゴブリンたちもこの世の理の一部なのだ、と。
どれだけ英雄として活動したところで、これらをこの世から失くすことはできないのだ、と。
そう理解していることが、彼の不気味なほど無感情な表情が物語っていた。
それでもなお、剣を抜いたのはそれを見てしまったから。
人情――と言うほど大袈裟なものではない。
ただ単に許せなかった。楽しそうに他人の『幸せ』を壊す人外を、それが自分たちの生き方だと開き直る様子を、ただ単純に、純粋に、目障りだと思ったのだ。
「おぉ……剣士様」
剣を鞘に納めたタイミングで、湧き出るように人々が姿を現した。
1人、2人……と人数が増え、気づけば20を超える数になった。
その者たちがここの村人だということは誰の目から見ても明らかだ。
おそらく、物陰からずっと見ていたのだろう。
現金なやつらだと言わんばかりに男は鼻を鳴らす。
そして考える。
仮に、男がゴブリンどもにやられそうになっていたとしたら、こいつらは今のように姿を現しただろうか……。
そんなつまらない問答は、一瞬のうちに頭の中から消し去った。
「助けてくださり、ありがとうございます。お見受けするに、さぞかし名のある剣士様なのでしょう?」
「名乗るほどではない。気にするな」
「そうはいきません。村を救ってくださった恩人の名も知らぬとなれば、村長として責任に問われます。どうか……」
村長と名乗った老人が頭を垂れる。
群衆の性なのか、他の村人たちも同じように行動した。
男はあからさまに舌を鳴らした。
「……クロノ」
その名を聞いた途端、細波のように騒めきが広がっていった。
ぼそぼそと村人たちが顔を見合わせて囁き始める。
その中で、顔をどす黒く日焼けさせた中年の男が「変わりもの勇者?」と言った声だけは、やけにはっきりと聞き取れた。
「……勇者様でしたか。どうりでお強いわけだ」
村長が咳払いをして口を開く。
誤魔化したつもりなのであろうその言動は、見るものを余計に不快にさせる。
「では女王様のご命令で、我々を助けに来てくださったのですね?」
そんなわけあるか、とクロノは呆れた。顔にかかったウェーブがかった髪を掻き上げ、ため息をつく。
いくらトマーク王国が大陸全土を支配下に置いているとはいえ、ここユテア大陸の面積は3万平方キロメートルを超える。
中央部の都市近くならいざしれず、南端の小村など国の目が届いているはずもない。
現に国指定の魔物除け魔法陣が、村に施されていないのがいい証拠だ。
「近くを通っただけだ。王国は関係ない」
「ではますます、この縁に感謝しなくては。女神ユテア様と勇者様に」
手を組んで祈りを捧げ始める村長。例のごとく村人も続く。いよいよクロノは面倒くさいと息を漏らした。
「ゴブリンは10、20の群で狩りをする。この程度で終わるとは思えんが」
その言葉にわかりやすくざわつき始める村人たち。よほど魔物に関する知識が乏しいらしい。今まで生活できたのが奇跡だったのかもしれない。
「騒ぐな。手を出したからには守ってやる。……案内しろ」
歩き出そうとしてクロノは呼び止められた。振り返ると村長はもどかしそうに手をすり合わせる。
「ごらんの通り、畑が燃やされてしまい……その、もう国に納める作物がないのです。今から植え直しても納税期限には間に合いません。……勇者様、税の免除をお願いいたします」
クロノは唖然とした。もはや呆れを通り越してイラつきさえ覚えた。
その村長の態度にクロノは覚えがあった。
これまで幾度もなく求められ、縋られ、
こき使かってきた民衆たち。
奴らは揃いも揃って、勇者を何でも屋か何かと勘違いしているとクロノは思う。
自分たちにその権利があると、当たり前だと言わんばかりの態度で、無償で助けを求めてくる。
そしてそれに応えられないと告げれば、「勇者なのに……」、「変わり者……」とくるのだ。
人々が期待する、人々が求める勇者……。
クロノは酷く吐き気を催した。
「……私は税務官ではない。王にこき使われているただの剣士だ。私にそんな権限はない」
落胆の声を上げる村人たち。ぼそぼそと陰口を叩く声の中にもう一度、「変わり者……」という言葉が聞こえた。
■
それからクロノは若い衆を引き連れて村を見て回った。
村自体は総人口50人弱が住む本当に小さなもので、1時間もしないうちに巡回の必要性はなくなった。
結果として所々の畑や家が焼かれる被害はあったものの、肝心のゴブリンたちの姿を見ることはなかった。
だからこそクロノは違和感を覚える。
ゴブリンは数だけが取り柄だと言っていいほどの弱小の魔物。うさぎを狩るのにも、5匹で1羽を袋にするような連中だ。
そんな奴がたったの5匹で人間の村を襲うだろうか――?
しかし、クロノの疑問はすぐに解消されることになる。
1人の村人が慌てた様子で駆けてきて声を荒げた。
「た、大量のゴブリンが! アニタの家に! ……こ、こどもが!」
聞くや否や、クロノはマントを翻した。同時に怒号に近い様子で案内を求め、瞬く間に駆けていく。
そこから3分もしないうちに、クロノはある民家にたどり着いた。
案内を求めた村人は結局、クロノの足についていけずどこかに行ってしまったが、他の村人たちがその民家の前で群がっていたおかげでわかりやすかった。
「道をあけろっ!」
その声に野次馬が割れ、玄関へ続く道ができる。こういう時、団体意識が刷り込まれた群衆というのは扱いやすい。
クロノは足を進め、勢いよく玄関の扉を開けた。
「――っ!」
息を飲んだ。
クロノとて長年戦いに身を置き、様々な修羅場を乗り越えてきた。もはや滅多なことでは驚かず、面を食らうことも少なくなった。
だがこれは、面を食らった――驚いたと言わざる負えなかった。
その民家の有様は惨劇の一言。
床は真っ赤に染まり、あちらこちらに血溜まりが出来ている。そこら中に肉片や臓物が転がっており、鉄臭さと贓物の酷い臭いが充満していた。
だがそうじゃない。クロノはそんな光景、幾度も目にしてきた。はっきり言って見慣れている。
そうではなく、クロノが驚いたのはその惨劇を作り出した張本人。
その者が幼さが抜けない、小さな小さな少年だったことだ。
「――」
転がっているゴブリンは20を超えているだろう。並みの剣士でも手を焼く数だ。
一歩踏み込んで室内に入ると、その少年は反射的にクロノの方を向いた。いや、構えをとったと言うべきだろうか。
少年が手にしていたのは、一般的な片手剣よりも小さく作られた短剣。冒険者がよく予備の武器として身につけている品物だ。
しかし長いこと放置され、ロクな手入れもしていなかったのだろう。所々錆びている上、刃こぼれが激しい。
「そんな物で、斬ったのか……」
さらに一歩、少年に近づく。ガチャリと短剣が鳴った。
小刻みに揺れ、息遣いも荒い。その目は前を見ているものの、おそらくはなにも視えていないだろう。
もしかしたら目の前にいるクロノさえ、少年にはゴブリンに写っているのかもしれない。
――それでもクロノは足を進め、平然とその短剣が届く距離まで間合いを詰めた。
「ひっ――!」
少年の息を飲む声がして、短剣が振られる。震える両手は短刀を握ったまま、頭上高く振り上げられ、そのままクロノの顔へ下ろされる。
……その前に、風を切る手刀が少年の意識と短刀を落すことになった。
崩れる少年を腕に抱える。眠るその顔は、どこにでもいるただの少年に思えた。
しかしなんだろうか。その少年の顔にクロノは胸を騒つかせるなにかがあった。
あるいは、どこかなつかしいような……。
「これはいったい……」
いつのまにか入ってきたのか、後ろに村長の姿があった。臭いがキツイのだろう。口元を抑えながら吐き気を我慢している様子だった。
「村長、この子は?」
腕に抱えた少年を見せる。村長は一瞬、息を飲むと驚いた様子で近づいた。
「メスト……。まさか、この子がやったのか?」
「この家の子か?」
「ええ。この家のアニタという娘が、育てていた子どもです」
「母親ではないのか?」
「なんでも友人から預かったとか。私どもも詳しいことは……」
「その女はどこに?」
村長が視線を落とす。その先に、綺麗なブロンド髪が特徴的な女性が横たわっていた。
歳は30代前半ぐらいだろうか。
酷く争った後があり、上半身が露わになるほど乱暴された身なりは、ここでどんな卑劣なことが行われたか容易に想像できる。
そしてそれは、幼子を狂気に晒すには十分すぎる理由だ。
「今晩は皆を一箇所に集め夜を明かせ。もう数時間もすれば夜明けだ。それまで私が護衛する。……それと、この家には誰も近づけるな」
村長は黙って頷いた。
■
アニタと呼ばれていた女は、その村の人気者だった。片田舎には珍しい容姿と、その愛嬌の良さは村の活性化に大きく貢献していたらしい。
そんな彼女が亡くなったという悲報は瞬く間に広がり、村人はまさに泣き面に蜂と言った状態だろう。
それでも誰一人としてアニタの家に近づかないのは、現場を実際に見た村長の説得のおかげかもしれない。
数時間経ち、うっすら日が照らし始めてきたころ、クロノは村の広場を離れた。もう危機は去ったと確信したからだ。
足を進めるのはアニタの家。村人たちが目を覚ます前に、ゴブリンの死体を詳しく調べておきたかったのだ。
普通ならゴブリンの死体など、調べたところで、得られるものはない。
せいぜい低級魔法薬の素材が手に入るぐらいだろう。
しかしクロノには、どうしても気になることがあった。
今夜あの家で、何が起こったのか。それを知らなくてはならない。そんな使命感にも近い衝動が、クロノには湧き上がっていたのだ。
しばらくして例の民家が視界に入ってくる。民家は村の中心から外れた場所にあり、その位置も不運だったと言わざる負えない。
家が見えて、クロノはすぐ異変に気付いた。
閉めたはずの玄関の扉が開いている。そこから血と肉片の引き摺った跡が外へと続いていた。
足を早め、家の中を確認する。
数時間前まで地獄絵図だった室内は、まるで何もなかったように日常の光景を取り戻していた。
さすがに臭いが完全にとれているわけではなかったが、ご丁寧に窓を開けて、換気までされている。
クロノは背中をなぞられるような不気味さを感じた。同時にまさかと、嫌な予感が走った。
血の引き摺り跡は、村の外れからさらに外れた薄暗い丘まで続いていた。伸びっぱなしの林を抜け、視界が開けた所でクロノはようやく足を止めることができた。
「……」
偶然か、それとも何かの前兆か。
夜は明け、東から眩い朝日が覗き始めている。
その何でもない朝日が。
あるいはその陽によって照らされたこの光景が、クロノには強く幻想的で神秘的なものに見えたのだ。
視界いっぱいに広がる貧しい墓。そして、その中央に立つ少年の背中が――。
「……死んだもの全員の墓を作ったのか?」
近づいて少年の背中に問いかける。
死体を担いで運んだのか。その背中はもはや血の色に染め上がっており、手足は、土と肉片がこびり付いて黒く変色している。
「……アニタが、どんな悪い奴も死んだら同じだって言ってたから。だから、埋葬ぐらいはしてあげようって」
少年は振り向くことなく、ただじっと目の前の一番大きな墓を見つめる。その墓がいったい誰のものなのか。それがわからないほどクロノは馬鹿ではない。
「母親の仇でも、か」
「アニタは母親じゃないよ。お母さん達は、僕が生まれてすぐ旅に出たって」
つまり両親は冒険者か、とクロノは納得した。
冒険者の子供が孤児になることは珍しい話ではない。最近では冒険者管理協会が、孤児となった子供たちを保護する施設を作ったとも聞いている。
大人の理想に振り回される子どもたち。この少年もその一人なのだ。
「だがお前にとっては、母親だったのだろう?」
少年は応えない。かわりに背中に背を負った短刀がカタカタと揺れた。
「その剣は?」
「お母さんが置いていった物だって聞いた。いつもは部屋に飾ってるんだけど、戦いごっこする時に使っていいって」
「じゃあ、剣術を誰かに習ったわけじゃないのか?」
小さく頷く。クロノは驚きを隠せなかった。この数時間で何度、面を食らったことか。
幼い少年がゴブリンの群れを蹴散らしたこと?
もちろん、それもそうだ。しかしそれだけではない。
クロノが一番気になっていたのは少年の使った剣。手入れをサボった錆だらけのその剣で、ゴブリンに致命傷を与えたという事実である。
普通に考えれば刃物として機能するはずがない。
……しかし手段がないわけでもない。
魔力の応用。握った手から武器へ魔力を浸透させ、機能・性質を向上させる手法。
俗に言う『強化』の魔法だ。
けして難しい魔法ではない。しかし訓練なしに、ましてや田舎で平凡に暮らしてきた子どもが、おいそれと使える術ではない。
そしてなにより気になるのは、『強化』の術は歴代の勇者たちがこぞって使った、言わば『勇者の技』であることだ――。
「ボウズ、名は?」
「……メスト」
「メスト。お前はこれからどうするんだ?」
少年は応えない。否、答えられないのだ。
それを知っていて、あえてクロノは問いかけた。そして予想通りの沈黙に、続けて言葉を投げる。
「路頭に迷うつもりなら、俺が拾ってやろうか」
少年が振り向く。この時にしてようやく、2人は顔を見合わせた。少年の瞳に勇者の姿が映る。
伸びきったウェーブの黒髪と無精髭が、果たして少年にどんな印象を与えたか。なんにせよ、この出会いが少年の命運を大きく動かしたことは間違いない。
「あんた、誰?」
「俺はクロノ。勇者と呼ばれてる男だ」
「勇者?」
「ああ。お前もいずれそう呼ばれる」
そう言うとクロノは不器用に笑った。
少年メストとクロノの間を、風が通り過ぎていく。
それは2人の出会いを祝福するかのように、草木がざわめく音となり、丘中に広がっていった。
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