第22話 屑な父親
「あれ、僕、今日なにもしてないよね?!」
窓際から現れたアルゥバースを見た途端に、部屋の中にいた男は文字通り飛び上がった。
王宮で最高級の家具や調度品で整えられた一室は一見落ち着いている。華美に見えないところに細心の注意が払われていることが窺える。
男の身なりも寝間着にガウンを羽織っただけのラフな格好だが、最高級の物を着ているのはすぐにわかった。
だが、その慌てふためいた態度が、すべてを台無しにしていた。
「別にデビュー前の娘を舞踏会に呼びつけたりもしてないし、今日の婚約披露宴だって行くのを泣く泣く諦めたんだけど! 言われた通りに大人しくしていたよね?」
男は向かいに座っていたガンレットに慌てて確認をとっている。突然話題を振られた彼は目を剥いた。
「どう考えても機嫌が悪いじゃないですか、僕を巻き込まないでくださいよ。婚約までに至った経緯を思い返して文句を言いたくなったのでは?」
「ええ、あれだけ軽率に呼びつけたこと謝ったのに…まだ足りないの! あ、アルゥ、あれだ、ひとまず落ち着こう。大事なのは深呼吸。深ーい、呼吸だよ。わかるかな?」
子供に言い聞かせるようにゆっくりと発音する男を、静かに一瞥する。
「…息をする価値はあるのか?」
「遠回しに死ねって言われてる?!」
「二人で話し合ってください。僕は今日色々あって本当に疲れているんです」
さっさと立ち上がったガンレットにテーブルを回って男はすがりついた。
「レット待って、待って、置いてかないで! こんな殺戮兵器取り扱い危険物と一緒にしないで!!」
「ご自分の息子でしょうが。せめて責任とって対応してください」
「無理だから、アジリィナの言うことしか聞かない子だから。お前こそ弟権限で何とかして!」
「半分しか血の繋がらない弟に過剰に期待されても困ります。大体は空気みたいな扱いですよ。ねぇ、お兄様」
お兄様。
うーん、とアルゥバースは心の中で反芻した。
ガンレットにそんなふうに呼ばれた記憶はない。初めての呼称が心の琴線に触れた。
いいかもしれない。
少しだけ、落ち着いた気がする。
「あれ、効いてる、効いてるよ。ほら、レット頑張って!」
「え、えーと、ところで何の用でこちらに来られたんですか?」
何の用で来たのかと言えば、ただひたすらにショックを受けたからだ。
まさか、自分が啼かされるのではなくて、彼女が泣くとは思わなかったから。いや実際には泣くところまでは見ていないが、あれは確実に時間が経てば泣いている顔だと悟った。
自分が何をしてしまったのか。
本当に理解できなくて、心の底から衝撃を受けた。
言われた通りに、彼女のおねだりを叶えたのに。
主人の望みを叶えるのが、執事のひいては犬である自分の役割であるはずなのに。
喜ばせるどころか、悲しませるとはどういうことだ。
何も考えずにとりあえず、行動してしまった。
ガンレットの言う通り、今日の婚約披露宴を見て苦い想いがこみ上げてどうしようもなくなったので、原因となった男に文句を言おうとやってきたのだ。
そもそも国王がサラヴィを見たいと我儘を言わなければ、あのサガント王国の王子に出会うこともなかったというのに。出会わなければ、婚約披露宴を行うこともなかった。サラヴィは王太子との婚約など望んでいないのだから。
この最低男は母が妊娠して、明らかに産まれた子供が自分の血を引いていると分かっていても子を認知しなかった。その上、自分は隣国の王女を娶って子供を設けてなに食わぬ顔で母の元に通い続けた。
8年経って正妃に母が殺されるとようやく重い腰を上げて、親友に自分の子供を引き取らせたのだ。
正直に言って屑の中の屑だ。
やることなすこと裏目に出る男でもある。
正妃を断罪していなければ、顔を見せることもなかったし口もきかなかったに違いないと断言できるほどだが、あまりに会いたいと懇願されるため時折王宮の王の自室を訪れては他愛ない話をして帰るのだが。
大切な主人を悲しませた自分は、もしかしてこの男のように最低な行為を彼女に強いたのではないのだろうか。
彼女のことをわかっているつもりで、何もわかっていないのかもしれない。
何せ、最低な男と血のつながりがある自分だ―――。
「あれ、レット、それって逆効果じゃないかな!?」
だが、とりあえずコイツを始末しよう。
能天気に慌てる父に、殺意を抱いた瞬間だった。
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