ワールドロイド

クラン

本文

「伊藤、山椒魚はなぜ悲しんだか分かるか?」


 昼下がりの教室は、眠っているみたいだ。実際に寝ている子もいるけれど、そういうわけじゃない。みんなの背中が午前中とはやっぱり違うのだ。普段は肩をピンと張って集中しているような真面目クンも、なんだか糸のゆるんだ人形みたいな感じ。体育で『休め』の姿勢があるけど、あれと同じだ。立っていることには変わりないのに、少しの気怠さがある。『休め』は重心を片寄せしているから姿勢として楽なのだ。昼下がりの教室も、たぶん似たような理由で眠っている。先生も眠っている。グラウンドから聴こえてくる掛け声やホイッスル、あるいは鳥の声だってそう。眠ってる。なんで眠ってるのか。なんで『休め』になってしまうのか。お昼ご飯を食べたからじゃない。


「実は悲しんでないと思います! Twitterによくいるタイプ! マジ病み、みたいな」

「伊藤……先生はTwitterのことはよく分からないんだ。でも、言いたいことは分かるぞ。アピールしてるだけ。そういうことか?」

「先生、実はTwitterやってそう! 陰キャっぽいし!」

「マジそれ! アタシもそう思ってた。先生って陰キャっしょ」

「星。ふざけない」

「はぁい。おこぷんじゃん」

「オホン……。先生はみんなより年上だから流行りの言葉はあまり分からないが、いじめになりそうな言葉は使うんじゃない。いいか。みんなが気付かないだけで傷付いてる子がいるかもしれないことを考えるんだぞ」

「考えてま~す!」

「なら、よし」


 全員、アンドロイドなんだ。あるいはAI。もしくはロボット。極端にいうと機械。曖昧にいうなら、人間じゃない物。人間そっくりな、別物。


 私以外アンドロイドだということに気付いたのには、特にきっかけなんてない。いつもよりちょっと早く起きて、夜明けの紫に染まった水平線を眺めてたら、電撃のように気付いたのだ。朝とか海とか紫とか、肌寒さとか、卵焼きの匂いとか、二階のベランダの手摺りの汚れとか、隣の家の赤い屋根とか、だらだら続く坂とか、遠くの並木道とか、空を区切る電線とか、カラスの鳴き声とか、灯台の光とか、クラウンのバックランプとか、信号の点滅とか、そんなアレコレとはまったく無関係に私は確信したのだ。


 みんなアンドロイドなんだ。私以外。お母さんとお父さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、ゴミ収集車のおじさんも、黄色い帽子の小学生も、総理大臣も大統領も。たぶんナポレオンも織田信長もだ。これはちょっと自信ない。


 とにかく、今この瞬間、この時代を生きている全部の人間が実はアンドロイドなんだ。私は分かってしまった。


 以上が、最初の気付きだ。それからは、気付かないふりをしてなるべく過ごしてる。だって、そうじゃなきゃ変だもの。アンドロイドは、変なものには敏感な気がする。私だけが人間だってバレたら、なにをするか分かったもんじゃない。


 でも、一回だけ試してみたことがある。私が世界の真実に気付いてから三日後くらいのことだ。教室で、私は一世一代の賭けに出た。



「この問題、分かる奴いるか~?」


 確か数学の授業でのことだった。二次方程式をやっていたときだったと思う。エックスを求めよ。エックスは何者か。


「はい」

「お、珍しいな石黒」

「私以外の全員がアンドロイドです」


 沈黙。私の声に遅れて、まばらに視線が集まる。先生もこっちを見ている。

 あ、もしかしてやってしまったかも、なんて思ったけど、どうやら違った。


「どうした石黒。口パクか?」


 声になってない?


「私以外の全員がアンドロイドです」

「声を出さないと聴こえないぞ。石黒、お前、ふざけてるのか?」


 笑い混じりに先生が言う。クラスの子たちも、クスクス笑ってる。伊藤ちゃんこと、伊藤アンドロイドは「石黒さん、ちょっと面白いかも。ロボットみたい」


 爆笑。


 私の声は届かず、なぜか私がロボット認定されてしまった。不当だ。不当過ぎる。アンドロイドにロボ呼ばわりされるなんて心外なんてもんじゃない。相手が心無い機械だと分かっていても、私は耳が熱くて仕方なかった。


「分かりません……ちょっとふざけました」


 少しの間。先生は目を丸くして、それから、ちょっと優しく微笑む。


「あはは。お前もそういうところがあるんだな。先生ちょっと安心したぞ。でも、ふざけるのは駄目だぞ~」


 あはは。あははは。穏やかな笑いの波が広がる。機械油の波が。



 世界のルールその一。世界の真実を突くような言葉は誰にも届かない。


 わたしは教室での出来事だけではなくて、ほかの方法でもちゃんと確認した。今時のスマホは録音機能がついている。だから私は教室で言った通りのことを吹き込んでみたのだ。


 REC:15sec.


 再生。


 十五秒間の沈黙。


 なにも聴こえないわけじゃない。カモメが鳴いてる。潮騒がある。私の声だけが無い。世界から私が黙殺されている。いや、厳密に言えば私の発見が、誰にも観測されないようになっているのだ。


 これは、いかんともしがたい問題だ。ルールを破ることができない。だから私はとりあえずは平凡に、それまで通り、教室の一番後ろの窓際という一等席で人間をやってる。営んでる。ちゃんと授業を受けて、お昼ご飯を食べて、放課後に伊藤アンドロイドと一緒に帰る。教室で一番の人気者の伊藤アンドロイドと私のような不人気な人間が一緒に帰るのは、昔からそうだったからだ。伊藤アンドロイドは、教室での地位とか、そういうのは気にしない。私を、私以外の部分から判断したりしない。たぶんアンドロイドだからかも。


「石黒っち、マジおっぱい大きくなったね~」

「伊藤ちゃん、そういうこと言うと変態みたい」

「変態いいじゃん。さなぎから蝶へ! ひらひら~。アタシは変態する」


 アンドロイドめ。


「あは、なにそれ」


 ちょっと面白いじゃないか。



 転機は突然訪れた。


 私が世界の真実を知った四月から、季節が巡って夏。初夏ではない。九月十七日。晩夏も過ぎてるけど、暑くて仕方ないから私は夏と呼ぶ。九月は夏だ。ときどき秋になる夏だ。まだ夏服だから、夏だ。


「この問題、分かるやついるか?」


 数学の時間。またエックスだ。エックスは何度求められれば自己を確立できるのだろう。不憫なやつ。可哀想なエックス。不器用なエックス。他人の力で自分を確認するエックス。


 でも。


「はい」

「星、やけに真面目だな。ははは。冗談冗談。お前顔色悪いぞ。大丈夫か?」

「平気です」

「……そうか。なんかあったらすぐに先生に言うんだぞ。夏休みのあとに変わるやつは結構いるからな」

「先生、変態のことですか~?」


 伊藤アンドロイドが私に目配せをする。教科書で顔を隠して、私は机に笑いかける。


「先生は変態じゃないぞ?」

「うわ、先生やらし~! 変態って生物学的な意味です~」

「わ、分かってる分かってる。はいはい、ふざけない! ほら、今は数学の時間だ。え、と。星、この問題を答えてくれるな?」


 先生が頑張って話の流れを授業に引き戻す。アンドロイドもひと苦労だ。アンドロイドの相手をしてるからなのかな。


「――」


 息を吸う音。それだけ。星アンドロイドは、私の斜め前で突っ立ったまま口のあたりを動かしてる。顎が動いてるから、なにか喋ってるのは分かる。でも、なんの音もしない。


「星、お前も口パクか。悪ふざけはよくないぞ」


 バン、と机を叩き、星アンドロイドは叫ぶ。声なき声で叫ぶのを、私は確かに見た。今まで一度も見たことないくらい真剣な表情。


「星、やっぱりお前具合悪いんだろ? あー、石黒、お前保健委員だったよな。星を連れてってやれ」


 なんでよ。面倒くさい。と普段の私なら思うだろうけど、このときばかりはそれどころじゃなかった。私はなんにも言わずに星ちゃんの腕を引く。抵抗されたけど、無理矢理引いて教室を出た。


 それから急いで、屋上まで続く階段まで行った。施錠されてるので屋上には出られないけど、滅多に人が来ないので内緒話をするにはちょうどいい。


「星ちゃん」

「なによ、痛いんだけど」


 痛いんだけど、のあとに口パクが続いた。六音の喘ぎ。アンドロイド。分かるよ、私には分かる。


 星ちゃんの目は、かなり不安そうだった。私に殺されるとでも思ってるのかもしれない。私もアンドロイドに同じことをされたら、たぶん同じ気持ちになる。生意気な、って思うと同時に、ヤバい死ぬ、なんかすごいビームとかで焼かれる、とか思うはずだ。


「さっき」息を整えながら喋るのは必死な感じがして嫌だけど、今は特別だ。それどころじゃない。「さっき言ったこと、聴こえなかったけど、分かるよ」

「え」

「私以外の全員がアンドロイド」


 星ちゃんは、やっぱり私の声は聴こえてないみたいだった。なんだか毛虫を見るような目をしてる。それから恐る恐るといった感じで、星ちゃんも口パクをした。


 私は頷く。星ちゃんも頷く。抱き合う。ちょっとだけ泣いた。アンドロイドたちに気付かれないように。


「わぁたしぃ、いぃがいはぁ! ぜんぶぅ! あんどぉろいどぉ!」


 私たちの泣き声は、誰にも届かない。届かないことが都合のいいときもあると、私は学んだ。そしてこの日、伊藤アンドロイド以外にちゃんとした友達ができた。人間の友達が。



 伊藤アンドロイドも人間ならいいのに。そんなことを思いながら、私は授業を受けている。いつも通り、ちょっぴりだけ真面目に。でも外の音に気を散らしながら、授業を受けている。大きくなる胸のことに悩んだりしながら、授業を受けている。星ちゃんと今度遊ぼうか、なんて思いながら授業を受けている。でも二人きりになるとなにを話していいか分からなくなるから不思議だ。同じルールを知ってる人間同士なのに、上手くいかないから不思議で不思議で、眠るまでの時間が三十分だけ長くなる。


 伊藤アンドロイドは、今日も先生にちょっかいを出して楽しそうに笑ってる。それを見て、私はこっそり笑う。気付かれないように、人間の私でも、こっそり笑う。

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