メンマ
気分上々
第1話
うん。はあ。へい。まあ。おう。ああ。というのが、さっきから佐川君の口をついて出てくる言葉だ。
まったくもう。私がこんなに至近距離で唾を飛ばしながら熱弁しているというのに、魂の抜けてしまったサナギのような返事しかしない佐川君は、クズであり、くそったれであり、ラーメンでいうならメンマだ。
私の言葉の連打を、ひらりひらりと躱す。目も合わさずに、両手を胸の前で組み、少しうつむき加減で、うんうんと首を縦に動かしている。
まだまだ。まだまだだ。と私は口を大きく開けながら、言葉のラッシュを繰り返す。
左、右、左、右、ワンツー、右フック左フック、もう一度左フックと見せかけて右のアッパーカット。
ジャブで距離を測りつつも、必殺のかえる跳びアッパーを繰り出すタイミングを見計らっている。
しかし、それでも佐川君は微動だにしない。
ああ、くそったれめ。もじもじする。どう言えばいいのだろう。どうすれば佐川君は気づいてくれるのだろう。
私は佐川君が「うん。そうだね。そうしよう」と言ってくれるまで、絶対に諦めないと心に誓っている。それまで、何度でも何度でも言葉のリングで戦ってやるという決死の覚悟で挑んでいる。
「ねえ佐川君、ちゃんと聞いてよ」
「聞いてるよ」
「で、どうなの?」
「何が?」
「だから、さっきから言ってるじゃん」
「ならねえよ」
「うそ」
「うそじゃねえって」
ああ、くそう。じれったい。
この男ときたら。何ともまあ、頑固というか偏屈というか、ラーメンでいうならメンマというか。
「もう。ちょっと、いい加減にしてよ」
いい加減、ちゃんと気づいてよ。気の長い私だってそろそろ怒っちゃうよ、という意味合いを込めて、私はつい声を荒げてしまう。
「何がだよ」
売り言葉に買い言葉というのか、私に釣られて佐川君も大声で言葉を返してきた。大声と
大声の話し合いは、まるで喧嘩だ。
知らない人が見たら、夫婦喧嘩をしているように見えるかもしれない。って、ないない。いやいや、それはないよ。
佐川君は学生服を着ているし、私はセーラー服を着ているわけだから。これで夫婦だとしたら、どこのコスプレ夫婦だよって話になるわけだから、やっぱり、ない。
でも恋人同士が別れ話をしているようには見えるかもしれない。なんて考えが頭をよぎったけど、まあ、それもないな。うん、ない。
佐川君は、くそったれの頑固者で、ラーメンでいうなら、メンマなわけで。私はというと、自称、言葉のボクサーなわけで。しかも、自称、あくまで自称、KO率百%のハードパンチャーなわけで。ついでに、無敗ってことにしておいてもいいかなあ、なんちゃって。
とにかく、私と佐川君じゃまったく釣り合いがとれていない。似合わない。とまあ、そんなことはどうでもよくて。
「なあ」と佐川君がうんざりした調子で声をかけてくる。
「なに?」
「もう帰ってもいい?」
「だめ」
「見たいドラマの再放送があるんだけど」
「だめ」
「いつがきたら帰ってもいいの?」
「佐川君がちゃんと答えてくれたら」
「答えてんじゃん」
「答えてないじゃん」
私は、大きく息を吸い込んで、吐き出した。深呼吸を三度ほど繰り返してから、目をつむり、思い切って私の中に潜んでいた想いを言葉として表現した。
「え?何て言った?」
私が思い切って言い放った必殺のかえる跳びアッパーは、近くを走る電車の轟音にかき消されて、佐川君の耳までは届かなかった。
「うん?」と、私は何食わぬ顔をする。「何が?」
「いや、今、何か言わなかった?」
「言ってないよ」
「うそだ」
「うそじゃないって」
「まあ、別にかまわないけど」
「私も別にかまわないけど」
「じゃ、帰ってもいい?」
「だめ」
ああ、もう。私は地団駄を踏む。
「じゃあ、これが最後の質問だから」
「それで帰ってもいいの?」
「うん」
「よし」
「じゃあ、ちゃんと答えてよね」と言いながら、私は佐川君の目を覗きこむ。
「佐川君の先祖は、代々飛脚をやっていて、佐川君は学校を卒業すると、宅配便の運転手さんになるんだよね?」
「いや、さっきから何度も答えてるけど、ならねえよ」
「うそ」
「ほんと」
「絶対うそだ」
「ガチでほんと」
「いや、絶対うそだね」
「ああ、もう、わかった。うそでいいや」
佐川君は観念したような、諦めたような、落胆の声をあげる。「そう。俺は将来、宅配便の運転手になります」
「え?」
私は意表を突かれた。そういう展開は望んでいないのに、と思い、少し、あせる。
「じゃ、帰るぞ」
「え? ちょっと待ってよ。やだ」
「やだじゃねえよ。バイバイ」
佐川君は私に背を向けて、足早に去ろうとする。どんどん離れていく佐川君の背中に、私は声をかけた。
「佐川君」
佐川君は、首から上だけを私の方に向ける。振り返った佐川君は何も言わずに、目だけで「何?」と問いかけてきた。
「ラーメン、食べて帰ろうよ」
「やだ」
「いいじゃん」
「やだ」
「いいじゃん」
「またな」
佐川君は駆け足で去り、その背中は、見る見る遠ざかっていった。
「いいじゃん。食べて帰ろうよ」
見えなくなった佐川君の背中に向かって、小さな声で呟いた。
どんだけドラマの再放送が見たいんだよ、と愚痴りながら、仕方なく私は一人でラーメンを食べに向かう。
学校から歩いて五分の、駅前にあるしょうゆラーメンがおいしい店だ。
私はこの店のラーメンが大好きで、高校に入学してから百回くらいは食べに来ている。その内、一人で食べに来たのは五十回くらいだ。実に五割の確率で、私は一人でこの店にラーメンを食べに通っている。おかげでいつの間にか私は常連客になっていた。
女の子なのにラーメン屋の常連客。ある意味お洒落だし、ある意味かわいい、なんてことはないか。
夕方というには早すぎた時間帯だったから、ラーメン屋はそれほど混んでいなかった。私はカウンターに座って、店のマスター、というか店長、というかおっちゃんに、注文をする。
「おっちゃん、いつものやつ、大盛りで」
おっちゃんは「あいよ」と粋な返事をしてせっせとラーメンを作り出す。私は、この「あいよ」という返事が好きだ。
「へいおまち」という言葉と同時に、私の目の前に湯気がふわふわしているおいしそうなラーメンが、どんっと勢いよく置かれた。
「しょうゆラーメン、メンマ大盛り。お嬢ちゃん用の特別なやつね」
まさに常連客。この店には、私専用のスペシャルメニューが存在する。といっても、メンマを普通じゃ考えられないぐらいに山盛りにしてもらうだけだけど。
私は満面の笑みで「ありがとう」と答えた。
「お嬢ちゃんも、ほんとに好きだねえ、メンマが」スケベそうな笑顔でおっちゃんが言う。
「うん。大好き」
割り箸を割ると、真ん中でちゃんと割れていなかったので少しムッとしながらも、湯気がもくもくしているスープの中に山盛りのメンマを沈める。
しばらくの間を空けて、私はメンマを一つ、割り箸でつまんで、口の中に放り込む。こにょり、こにょり、と丁寧に噛みしめる。
大好物のメンマは、やはりおいしい。私の中にある、もやもやとした将来の不安や、理由もなくいきなり襲ってくる寂しいという感情なんかを吹っ飛ばしてくれる。幸せな方向へと私を導いてくれる。
まるで佐川君みたいだ。
佐川君の前世はメンマだったんじゃないか、と考え込んでしまうくらいに、佐川君とメンマは、私の中の大事な部分をがっちりと掴んで離さない。佐川君は、やはり、ラーメンでいうならメンマだな、と改めて私は思う。
こにょり、こにょりと噛みしめる。
明日こそは「佐川君、好き」と告白しよう。
私は心に誓う。
でもたぶん、結局、明日も、告白、できないんだろうな、なんてことを考えながら、私は大好きなメンマを、大事に大事に噛みしめた。
大丈夫、きっと明日は成功するよ。
こにょりと噛みしめたメンマが、口の中でそう言ってくれているような気がして、自然と笑みがこぼれた。
メンマ 気分上々 @igarashi1031
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます