小説と思うところ
山羊のシモン(旧fnro)
第1話 超短編しか書けない
コンテストなどの要綱を確認すると、10万字以上となっているところが多いように見受けられる。もちろん例外はたくさんあることも知ってる。もうすぐ受付が開始されるカクヨムwebコンテストには短編部門もある。
10万字というのがひとつの線引きとなりうる理由として考えられるのは、1ページあたりの文字数が600~800文字だとして10万字はおよそ130~170ページ分。あくまで10万字以上とあるわけで、そうなると200ページを超える。
一般的なライトノベルの1冊あたりのページ数は250~300ページほどみたいなので、コンテストに応募した作品にプラスアルファで1冊できあがってしまう分量だ。最優秀賞等は書籍化を謳っている主催者側からすると理に適っている。
この10万字というのはTwitter1投稿140字でいえば約800ツイート分。こう考えるとそうでもないように思えてくるから不思議ではあるが、やはり途方もない分量だ。それだけの量に対して起承転結やメリハリなどを計算は一朝一夕にはいかないことは想像に難くない。
僕は飽きっぽい性格なので、壮大なストーリーを考えることに不向きだ。いわゆる短編と言われるような1万字前後ですら「本当に書ききることができるのだろうか」という疑念を抱いてしまう。
超短編であれば、詳細な描写などを盛り込む隙間もなく冒頭とオチを決めてしまえば完結させることができるので、個人的に好んでいる──いや、好んでいると思い込ませているのだと思う。
超大作を考えることの楽しみも知ってはいるのだが、己の根気のなさを自覚しているがために悲観している──が、これも正確ではない。その根っこはもっと単純なんだと思う。
「超大作を書いたとして、誰も読まれなかったときの悲しみ」
これに尽きる。
超短編であれば労力も少ないためにダメージがそれほどない。しかも書ききったという満足感は得られるのだ。
長編がよくて短編はダメだとは思わない。星新一先生の短編集は、センスの塊だ。簡単に真似できるものではない。言語化できないもどかしさの海に溺れて言い訳していることは百も承知だ。
長編とは言わないまでも、少し取り組んでみようかなとは思っているが、各種コンテストをはじめとして投稿している方は、長短にかかわらずどのようにモチベーションを維持しているのだろうか。すごく知りたい。
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