消えるカメレオンと盗む猫

本木蝙蝠

第1話 泥棒と女子高生

 ある泥棒の話



「最近この辺りでさ、出るんだって」

 うつむいてコンクリートを凝視しながら歩いていると、そんな会話が聞こえてきて身体が固まりそうになる。しかしそれを悟られるわけにもいかないので顔を下げたまま、会話に興じるご婦人二人の横を通り過ぎた。

「それでね、有名な払い師さんが来たらしくて……」

 なんだ、与太話か。そう安心する。てっきり空き巣が出ると噂しているのかと思った。情報不足だったかと不安になったが問題ない様だ。ここらが空き巣の頻発する地域ならやりにくいことこの上ない。

 そのまま歩く速度を変えることなく進み、十分程度で目的の家にたどり着く。この家はちょうど丁字路の交差点にあり、俺の来た道からは左に見える。表札に視線を向けると「佐々木」と書かれていた。

 よし、間違いない。

 もう何度も確認していることだが、うっかり入る家を間違えてはいけない。念には念を。泥棒としては当然の矜持だ。

 足を止めることなく敷地に入り玄関扉の前でしゃがむ。上着のポケットからピックを取り出して、鍵穴に入れてカチャカチャといじくっていれば数分で鍵は開いた。ここまでは何度もシミュレートした。問題ない。

 立ち上がってピックをポケットに戻す。ドアノブに手をかけ、さもこの家の住人のように扉を開けた。ここらで人通りが最も少ない時間を調べて来たわけだから当然、周囲に人影はない。だが一応、念のため。

 落ち着いて扉を閉める。ここで焦ってはいけない。俺はプロだ。そこらの突発的で感情的な犯人とは違う。別にプライドがあるわけではない。こんなことにプライドを持ったって仕方ないだろう。単にリスクの話だ。こうする方が、リスクが軽減される。それだけのこと。

 玄関には靴が一足置いてあった。狼狽しそうになったが、何のことはない。スペアを玄関に置いておくのは自然なことだ。家の電気はすべて消えているし、人の気配もない。大丈夫。この家には今、俺以外に人はいないはずだ。

 間取りは頭に入れてある。迷わずにリビングに向かい、そこからおそらく寝室になっているだろう和室へ侵入した。たいてい貴重品は寝室に置いてある。ここに目ぼしいものがなければすぐに諦めた方が良い。無暗に家を荒らすのは時間がかかるし、何より通報されるリスクが増える。できればこの家の住人には泥棒が入ったとすら気取られぬまま、一生を終えて欲しい。

「……寝室?」

 侵入したのは俺の想像とかけ離れた場所だった。ベッドはどこにもなく、よくわからない資料が散乱している。まるで先程まで誰かがこの資料群とにらめっこしていたようだ。

 おかしい。

 後ろを振り返るとそこは、綺麗に片付けられたリビングルームである。調度品はどれも状態がよく、普段から気を使っているのが窺える。

 そして首を元に戻すと、リビングとは対照的に紙の散らかった部屋。整理整頓されたリビングをつくる家主が部屋をこのような状態にして外出するだろうか。

 いやいや、こんなことを考えている場合ではない。まずはこの部屋に金目のものがあるか。なければもう退散した方が良いだろう。何もこの家の情報だけを集めていたわけではない。

 見回すと、小綺麗にしてある引き出しが目に入った。全部で三段。

 一段目を開けると異臭がしたのですぐに閉じた。何か一瞬、禍々しいものが見えた気がしたが気のせいだろう。二段目。恐る恐る開けたが、先ほどのような身の危険を感じるものはなかった。しかし特別気になるものもない。三段目。これは当たりだった。

「随分多いな」

 仕舞われていたのは宝石である。ざっと十個以上。全部取ってしまうのも良いが、やはりリスクは最低限にしたい。三つ高そうなものを見繕ってカバンに入れておいた。

 時計を見る。家に侵入してから十五分。まあ頃合いだ。

 和室を出て扉を閉める。ふと違和感が身体を襲う。紙が動いたような気がしたのだ。しかし和室をのぞいても誰がいるわけでもない。……気にし過ぎだ。

 可能な限り痕跡を消しつつ玄関へ向かう。ドアノブを握り「誰もいませんように」と心の中で唱えながら扉を開いた。

 人は、いない。

 ホッと息を吐きながら、それでもこの家の住人であるかのように装って敷地を出た。

 目の前には三本の道。右、左、中央。……中央の道を通ろう。来た時の道は使わずに帰るようにしているのだ。

 道はまっすぐに続いていて分かれ道はない。延々と代わり映えのない場所を歩いていると、どうにも不安になってくる。いや、それだけが理由ではないのだろう。時折、何をしているのかと虚無感に襲われる。人のものを盗むために時間を費やすことに焦燥を覚える。しかし、これ以外には特技と呼べるものはなかった。思えば昔から俺には人に勝るところがない。

 母は教師で父は弁護士。遺伝子的には優秀なはずだが、どうしてこうなったのだろうか。昔テストで何度も平均点以下の点数を取った。それを見た父は「こんな点数では人から評価される人間になれないだろ」と蔑みを滲ませながら言い捨てた。父曰く、みんなから評価されなければ、人間に価値はないらしい。昔は父に反論した気がする。……何と言って反論しただろうか。もう思い出せない。

 きっと父の言うことは正しかったのだ。だから誰からも評価されない俺は……この通り無価値なコソ泥になった。気がつけば盗みをやめられなくなっていた。誰かのものを盗みたい。その欲望がいつも俺の胸に巣くっている。

 ああ、ダメだ。気分が暗くなる。何か別のことを考えよう。そう思い至った時だ。後ろから肩を叩かれた。思考は打ち切られ、反射的に振り返る。

 そこには女が立っていた。黒縁眼鏡が印象的で、髪は後ろで一つにまとめられている。服装はシンプルで白シャツにジーパン。男みたいな格好だが、そんなことは吹き飛ぶくらいの美人だった。

「あの」

 女が困ったような表情を浮かべる。どうやら少し呆けていたようだ。背筋を伸ばす。

「な、なにか?」

 すると女はフッと笑い、俺の目を見つめてきた。

「君、泥棒だよね?」




 ある女子高生の話



「ねえ聞いた? あの噂?」

 聞いてないが興味もない。けれど私は笑顔を作る。

「何それ? 教えてー」

 そう言うと、立花は嬉々として話し始める。

「それがね、最近この学校に払い師が来てるんだって」

「払い師?」

「うん。幽霊とか悪いものを払ってくれる人。なんでも有名な人らしくて」

 好きだよなー、と思う。払い師って。何それ? 今さらそんなことを面白がる年でもないでしょ。くだらない。

 けれど私もクラスでの立ち位置というものがある。愛想笑いをしながら適当な相槌を打ってその場をしのぐことにする。話の内容はたいして頭には入らなかった。

「――それで」

「おい! 授業始めるぞ」

 教卓に立つ数学の羽柴先生が私たちを見ていた。

「はーい」

 立花と一緒に空虚な返事をする。羽柴先生はため息を吐いて黒板に視線を向けた。

「つーか立花、お前日直じゃねえか。挨拶」

「ほーい」

 起立、気を付け、礼。

「よろしくお願いしまーす」

 形式だけの挨拶を終え、三時間目の授業が始まる。授業の時間は、実を言うと嫌いではない。面倒なことは何も考えなくて済むから。例えば空気とか、人間関係とか、自分の立ち位置とか。ただ目の前の問題に向き合うだけで良いのは、随分と気楽な話だった。

 しかし気楽な時間はすぐに終わりを迎える。三角関数のグラフを書き終えるところでチャイムが鳴った。時計を見ると十二時を示している。そう言えばお腹も減ってきた。

「よし、じゃあ残った問題は宿題な。……あ、ノートの提出が今日だったよな? 立花! 悪いけど昼休み中にノート集めて職員室に持ってきといてくれ」

「えー! 何でですか!」

「これから会議なんだよ。悪い、頼んだぞ! じゃあ挨拶」

 授業を終えた先生は早足で教室を出る。先生が遠ざかるのを確認すると隣の席から立花がじーっと私を見つめてきた。

「……何?」

「どうか、お願いできないでしょうか」

「……何を?」

「ノート集めを!」

 絞り出すような声だった。

「うーん」

「お願い! 今日は久しぶりに一緒にご飯食べれるの!」

「……彼氏さんと?」

「そうです!」

 ため息を吐きそうになるのをぐっと堪える。

「わかったよ」

「ありがとうございます!」

「おー、猫ちゃん優しー」

 外野から小言が挟まれる。「猫ちゃん」とは私のことだ。猫屋敷という変わった苗字のせいでそう呼ばれている。

「じゃあお願いね!」

 立花は弁当箱を持って教室を走り去った。きちんと提出用のノートを机に放り投げている。私はそれを拾い上げ、まずは近場から声をかけて回った。

 ある程度ノートを集め終えると、それなりの重さになっていた。クラスに三十人もいれば当然だ。ノートの束を抱えて職員室へ向かう。誰も手伝ってはくれなかった。

 本音を言えば、使い走りなんてごめんだ。しかし仕方のないことなのだ。私がきちんと評価される私であるためには。

 私たちは否応なく、他者の視線にさらされながら生きている。「他人の評価こそが自分の評価だ」とは誰の言葉だったろうか。本で読んだ言葉かもしれないし、そこらへんで聞いた言葉かもしれない。どちらにせよ、それは本質をついていると思う。

 昔、私が中学生の頃。仲の良い友人がいた。彼女はとても才能がある人で「きっとその才能で何か大きなことを成し遂げてしまうに違いない」そんな漠然とした予感を、当時の私は抱いていた。しかし中学にいる間、彼女が評価されることはなかった。具体的に言えば、吹奏楽部だった彼女――蓑崎美冬は大会に出ることすら叶わなかった。

 これは私の推測に過ぎないが彼女はイジメにあっていたと思う。正確な理由は正直わからない。嫉妬かもしれないし、彼女の性格が気に食わなかったのかもしれない。確かにわかるのは、彼女が評価されなかったということ。どんなにすばらしい才能を持っていても周りから「すごいね」と評価されなければ、その才能はないに等しいのだ。

 だから私は、みんなに評価される私になった。常に気を配り、明るく接し、ノリにはきちんと乗る。空気を呼んで、自分が今求められていることを行う。自分の容姿が整っているという自覚もあったから、そこはおくびにも出さない。でも地味だと思われたくないから眼鏡ではなくコンタクトにした。適度に絡み、嫌なことも「仕方ないなぁ」と言いながら引き受ける。

 これで私の立ち位置は完成した。きちんと評価されている。仲間外れにはならない。……でも本音を言えば、少し息苦しい。ノート回収なんて面倒なこともやりたくはない。

 ――消えたい。

 たまにそんなことを考える。消えてしまえば、他人の目を気にする必要もない。この息苦しさも消えるに違いない。

 ……馬鹿馬鹿しい。何を考えているのだろう。

 そう思い直して顔をあげた。どうやら少しぼんやりしていたらしい。目の前に人がいることに気付かなかった。足を止めることは叶わず、衝突する。抱えていたノートが廊下に落ちる。

「ご、ごめんなさい」

 反射的に謝った。しかしぶつかられた本人は気にもしていないようで友人と会話を続けている。いや、気付いてない? まさか、そんなわけないよね? 無視? どういうこと? いやまあ不注意だった私が完全に悪いのだけど。

 少しモヤモヤしながらノートを拾う。当然、誰もそれを手伝ってはくれなかった。

 ノートを運び終わってもそのモヤモヤは晴れなかった。このまま教室に戻ったら不機嫌になってしまいそうだ。「それはまずい」と思い、校庭に出て風に当たることにした。しばらく頭を冷やしていると昼休みが終わってしまう。

「あ」

 チャイムを聞きながら思い出す。昼ご飯を食べてなかった。


 ……何かおかしい。

 そう気づいたのは、四限目の授業が始まってからだった。古典の宮下先生は教科書の文章を生徒に和訳させる。その順番が私のいる列に移った。席順的には四行目の文章を訳すことになる。……大丈夫だ。完璧に訳せる。

 しかし、私に順番は回ってこなかった。私だけ飛ばされ、すぐ後ろの子が和訳を始めたのである。

 普段なら、教室がざわつく。そして誰かしら「順番飛んでます」と言うのだ。しかし今日は全くそんな雰囲気はなかった。そもそも今訳している子だって、自分の読む文章にあたりをつけていたはずだ。それなのに違う文章を読まされたら困惑することだろう。しかし随分と流暢に訳している。おかしな話だ。

 仕方ないので私が手を挙げる。

「あの、順番飛ばされたんですけど」

 しかし誰も私を見ない。

「あ、あのー」

 誰も気にしない。

「私! 飛ばされたんですけど!」

 みんな教科書を見ている。

 ……どういうこと?

 集団無視? いやまさか。先生のいる場所で、と言うか先生が率先して無視をするわけがない。なら、なんだ?

 ……私のことが、見えていないの?

 そう言えば昼休みにぶつかった人も私のことなど見えていないようだった。最初は半信半疑だった推論が、次第に確信めいてくる。

 試しに立花にデコピンをしてみた。……反応はない。

 試しに授業中に弁当を食べてみた。……反応はない。

 試しに先生に教科書を投げてみた。……反応はない。

「マジか」

 思わず呟いた。当然反応はなかった。

 私は困惑よりも解放感を覚えていた。まるで透明人間になったみたいだ。頬が緩む。

 どうせなら普段できないことをしたい。

 立ち上がり立花の席に近づく。立花の顔を見ていると段々いつも押し殺していた感情が湧き上がる。

「いっつも都合が良いように使いやがって! ふざけんな! と言うかその顔で彼氏とか生意気なんだよ!」

 次に私の前の席に近づく。

「なーにが猫ちゃんだ! 前やめろって言ったのを覚えてねえのか! この鳥頭が!」

 今度は授業をしている先生の方へ向かう。

「生徒に和訳ばっかりさせて授業をした気になってんじぇねえよ! このへたくそ!」

 あー、気持ち良いー。

 ずっと、ずっとため込んでいたものが身体から抜けていく。やばい、楽しい。

 教室から出る。授業中で誰もいない廊下を「あっははははは」と笑いながら駆け抜けた。楽しい、楽しい、楽しい。

 気に入らない先生のいる教室に入って足を蹴ってやった。その教室で変顔をしながら歩き回ってやった。下駄箱に行って嫌いな奴の靴をどこかに投げ飛ばしてやった。

 バーカ! バーカ! バーカ!

 感情をむき出しにして暴れまわった。それでも足りない。足りない、はずだった。

「何してんだろ」

 ふと、そんな言葉を漏らす。急にどうでも良くなってしまった。鬱憤をすべて吐き出したから? まさか。これで全部なわけがない。なら、どうして?

「帰ろ」

 何だか疲れた。靴を履き替えて校舎を後にする。授業中の高校は嫌に静かで気味が悪い。

 空はまだ明るい。当たり前だ。まだ放課後にもなっていないのだから。帰ったらどうしようか。母も私のことは見えていないだろうし、いくら遊んでいても「勉強しろ」なんて小言は言われないだろう。……そんなことを考えて、私は気づいた。

 母が私に気付かないと、どうなるのだろう? 捜索願でも出されるのだろうか? いや、ないな。学校でも、もともと私が存在しないかのような反応だった。あれ? じゃあ、私はこれからどうやって生きていけば良いのだろう。

 誰からも見られない私は、存在を認知されない私は、そもそも生きていると言えるのか?

 足が、止まった。

 唐突に不安が襲ってくる。恐怖が身体を這いまわる。

「私……私は……」

 足元に手鏡が落ちていた。恐る恐るそれを覗き込む。私の姿は映っていなかった。

「……! は、は、ははは」

 クソ! クソ! クソ!

 私はその鏡を何度も踏みつけた。ひびが入る。破片はさらにバラバラになり、鏡は何も映さなくなる。

 気付くと息が上がっていた。

「あなた、大丈夫?」

 思わず振り向いた。女性が立っている。とても綺麗な女性だった。そして彼女の眼は、確かに私を捉えていた。

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