第4話
記憶はほとんどない。
店を出たあとの記憶は、誰かに肩を抱かれてタクシーに乗ったことだけ。
そのあとは、思い出そうとしても、もやがかかっている。
飲みすぎたなぁ。
まだ火照っているような体を動かすのが億劫で、でも喉が渇きすぎてそれ以上寝ることもできなくて、わたしは重いまぶたを開けた。
あれ?
見たことのない壁が目に入る。
わたしは慌てて飛び起きる。
目なんて、一瞬で冴えた。
なんだかスースーすると思って布団の中を覗く。
裸だった。
なぜ?!と考える前にもう一つ、気になることがある。
背後に何かの気配がある。
わたしがもぞもぞ動き出したので、目が覚めたらしいその得体の知れない物体から声が聞こえる。
「あ、起きた?おはよ」
眠そうな声だった。そんなのわかり切っていたけど、人間の男。
もちろん、元カレとは別の。
わたしは、硬直して動けなかった。
男の腕がのびてきて、手がわたしの胸を包み込む。吐息が、首筋に当たる。硬いものが、お尻の辺りをつつく。
ゾッとした。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い・・・・・・
「やっやめてください」
自分でも驚くほど上擦った声が出た。
敏感な突起を触っていた男の手が止まる。
「なんでー?昨日はあんなに激しかったのに」
悪びた様子はなく、まだ眠気の混じった声だった。
なんだか腹が立ってきて、わたしは立ち上るざわざわした気持ちに任せて声を上げた。
「そんなの覚えてません!」
震えて泣きそうな声になった。
男もさすがにわたしの体から腕をひっこめる。
男が起き上がる気配がした。わたしは目を固くつむる。
ベットから降りて、パタパタとスリッパが床を這う音が聞こえる。
「ちさと、昨日の夜とは別人みたいだ」
ちさと、と名前を呼ばれて、なぜだかドキッとした。
恋愛の胸の高鳴りに似たあの鼓動。
なんで呼び捨てで名前を言われなくちゃいけないのか、と怒りは自然となかった。
わたしは黙ったまま布団にくるまる。
男は服を着ているようだ。衣擦れの音が耳に入ってくる。
「じゃあ、おれ先に出るね。あと1時間くらいは大丈夫だから」
そう言って男は部屋を出た。
わたしはゆっくりと目を開ける。
体を起こして改めて部屋を見る。ダブルのベッドは部屋の真ん中に位置し、目の前には50型はありそうな大きなテレビ。枕元には未開封のアレが三つと、開封された袋が置いてあった。
ですよね、と現実を強制的に受け止めさせられる。
会社に行く気はなかった。
休みを告げる電話をしなきゃ、とスマホを探す。
ベッドの隣にあるテーブルの上にちょこん、と置かれたスマホ。画面を開くとLINEのメッセージが届いていた。理沙子からだった。
『ちさとを家に送ってくれたみたいだから、潤くんにお礼言っときなよ。またいい男いたらセッティングするね』
潤くん・・・・・・?
わたしはメッセージと一緒に送られてきていたアドレスを開く。
プロフィール画像の写真は日本じゃないどこかの国で撮った写真だった。顔がしっかりと写っている。
少しズームをして顔を確認する。
間違いない。
昨日の広告マンだ。
そこで、うっすらと昨日の夜の記憶が戻ってくる。
ジュン。
たしかに、わたしはそう呼んでいた。
記憶の中で、わたしは愛するジュンに抱かれていた。やさしい手つきも、感じた体温も体が覚えていた。
恥ずかしい。
わたしは、枕に顔を埋める。
32歳にもなって酔った勢いで一夜限りの関係を結ぶだけでなく、二次元の男と重ねてしまうなんて。
痛いどころではない。重症すぎて皮膚がえぐられているような感覚だ。
ジュンに早く会いたいのに、後ろめたくて会いたくない、といま思っていることも含めて。
わたしはおぼつかない足取りで帰路についた。
起き上がると、頭がガンガンして胃が渇いて突っ張っているような感覚がする。
残ったのが体の不調だけならまだよかった。
銃弾で何発も撃たれたように心も負傷をしていた。
それに、久しぶりに感じた人肌に何かがプツリと切れてしまったような変な気分までしていた。
婚約者に浮気されたので、人間の男を信用するのはやめました。 ちえ @kt3ng0
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