第16話 田植え

軽トラ二台に分乗して、四人で山にある棚田に向かう。

山の斜面を階段状に開墾かいこんした棚田は、効率も生産性も悪いし、各地で消えていく風景でもある。

けれど、不揃いな形の田圃たんぼに水が張られ、それぞれが空を映し出す水鏡になった風景は、初めて見る人にもどこか懐かしさを感じさせる。

「この斜面に広がる田圃が、全て我々のもの」

棚田のいちばん高いところに立って、美月が世界を睥睨へいげいする。

「いや、一つもウチのものじゃないからな」

田植え機の入らない棚田を残すのは、その風景を残すためであることが多い。

必要に迫られて山を切り拓いた昔と違い、今は棚田の収穫など無くてもやっていけるのである。

つまり、所有者だけでの維持管理は大変だから、地域ぐるみで担当を割り当てて、故郷の風景を次世代へ引き継ごう、という考えだ。

もちろん報酬はあるが割に合わないし、ボランティアに近い作業である。

というようなことを三人に説明する。

「なるほど、この地に骨を埋める覚悟を見せてみよ、ということですね」

「あたしはまあ一度やってみたかったし」

「私は去年やったから余裕だよ」

三者三様の反応だが、全員が体操服姿なので、まるで高校の体験学習のようだ。

まあ手のかかる生徒を引率いんそつする教師の気分でもあるが。


腰をかがめて稲を植える作業は想像以上にツライし、ずっと足許ばかり見ているので変化に乏しい。

それでも、ふと顔を上げると美矢達がいる。

それに、腰の痛みを和らげるように背筋を伸ばすと、土ばかり見ていた目に空の青さが染み入るようだ。

去年はずっと一人だったし、こんな風に周りを見渡したとき、誰もいなくて寂寥感せきりょうかんとらわれることもあった。

空の青さだって、寂しさを助長させた。

夫婦で農作業をする者は多いが、農業とはやはり共同作業なのだと思う。

「孝介さん」

「ん、どうした?」

「飽きたのですが」

「……」

最初の脱落者は美月だった。

共同作業の喜びを分かち合うことすら出来ないのか。

「こんな作業をするより、スーパーでお米を買ってきた方が早いのでは?」

現代っ子らしい、そしてさっきの俺の説明などまるで意味が無かったようなことを言う。

「タマちゃん、スーパーで売ってるお米も、こうやって作られてるんだよ」

「みゃー、昨今の農業はもっと機械化されているはず。言葉巧みに私を丸め込もうとしても騙されないわ」

「タマちゃん、その機械を買うお金も、こうやって作るんだよ」

「なんと、お米はお金に化けますか」

「そうそう。お米を現金化して、それで機械を買って、それで更に沢山のお米を作って、それで更に沢山のお金を稼ぐの」

「致し方ない。孝介さんにつかえる身、この苦行も明日への糧と信じて成し遂げましょう」

どこまで本気で言っているのか判らないが、取り敢えず黙って作業に戻ってくれた。


「孝介サン」

今度はいろはか。

「どした?」

「腰が痛いので揉んでくれま──あひゃひゃひゃ」

美月が横からいろはの腰を揉む。

いや、くすぐると言うべきか。

いろはもやり返すが、お互い手が泥まみれなので体操服も泥だらけになる。

「ええい、この乳魔人め」

「容赦しませんよ、このノーブラ色魔が」

え? そうなの?

いや、べつに、だからどうと言うわけでもないが。

それはともかく、汚れることをいとわないというのは農業をする上で大事なことだし、多少のふざけ合いは──あ、転倒した。

相撲すもうのように取っ組み合っていたので、二人とも手を着くことさえ出来ず田圃に突っ込む。

髪や顔まで泥まみれだ。

汚れを気にしないのはいいことだが、もはや汚れそのものになってしまった。

「ふふふ」

「あはははは」

何故か二人は笑い出す。

いや、判らんでもないが。

「ふっふっふっ」

「あっはっは」

なんだコイツら。

ひどくシュールな光景に戸惑いすら覚える。

気が触れたように二人は一頻ひとしきり笑い、尻を水に浸けたまま空を見上げる。

顔に付いた泥をぬぐおうともせず、何かを悟ったように静かな表情をしていた。

「これが……田植え」

「違うわっ!」

取り敢えず、勘違いだけは是正しておく。


午前中、まともに戦力になったのは美矢だけだったが、午後からは美月もいろはも真面目に働く。

二人は田圃に水を引いている小さな流れで泥を洗い落としたものの、それでも軽トラの荷台に積んで帰りたいくらいの汚さだ。

今日日きょうび、わんぱくなんて言葉は滅多に聞かないけれど、汚れは勲章みたいなものだった子供時代を思い出したりもする。

予定時間をオーバーしつつも、ノルマ達成。

斜面に広がる水鏡は、茜色の空を映し出す。

そして目を凝らせば、植えたばかりの稲が、そこに幾筋もの少し歪んだ線を描いていた。

これからどんどん成長して、やがては水面みなもが見えなくなるくらいに青々とした斜面に変わるのだ。

そうなれば、コイツらも自分のした仕事に喜びを見出すかも知れない。

「おい美月、そろそろ帰るぞ」

最後まで田圃から上がってこない美月を呼ぶ。

田植えをしている訳ではなく、まるでゲンゴロウか何かを捕まえようとしているような?

「タマちゃん、帰るよー」

美矢の呼び掛けにも、顔を上げただけで返事をしない。

「どうしたんだ、アイツ」

「何か探し物でもしているようっすね」

探し物?

俺は再び田圃に入り、美月の傍に歩み寄る。

美月は、何故か少しおびえた表情をした。

「?」

「先に帰っていてください」

「は? 何を言ってるんだ」

「道は判ります」

「これから暗くなるし、そういう訳にはいかんだろ」

「でも……」

「何か落としたのか?」

今度は泣きそうな表情になった。

そのくせ、首を振って否定する。

失くしたことを認めまいとするかのようだ。

そんな大事な物って……。

「いったい何を──」

後退りをするように俺から一歩離れ、無意識に左手を隠す仕草。

「……指輪?」

俺が、ふと呟いた一言で、美月はせきを切ったようにぽろぽろと涙を零して、水面に小さな波紋を幾つも作った。

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