第18話 自分ではない相手

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夢で誰かの声が聞こえてくる。

幼い少女の声。妙に懐かしい。

憶えているのは白いベッドに白いカーテン。吹き込む潮風にカーテンが揺らされ、どこからともなくやって来た桜の花びらが迷い込む。

開け放した窓から一望できる一面の青い海が、いまも目に焼き付いている。


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翌日。

「どうしたの、夏花さん? 俺に相談したいことって」

休み時間。

凪咲は空き教室に拓海を呼び出していた。

「ごめんね、急に呼び出して」

「ぜんぜん大丈夫だよー。それで、相談っていうのは?」

「朝海くんのことなんだけどね」

「空?」

「うん。朝海くんがバスケ部に戻ることについてお願いしたいことがあるんだけどね」

「えッ!? 空、部活に戻ってくるのッ!?」

嬉しそうに飛びついてくる拓海。きゃー、だから顔が近いってぇー!

「あ、いや、まだ本人が戻るって言ったわけじゃないんだけどね」

「なんだ、そうなのかぁ」

肩を落とす拓海。

「まあ、いいや。それで?」

「うん。私ね、朝海くんにはバスケ部に戻ってほしいと思ってるの。みんなと楽しくバスケして、できれば試合にも出ていっぱい活躍して。だけど、いざ朝海くんが戻ろうってなっても、一年以上も部から離れちゃってたから、戻ってすぐに試合に出させてもらうっていうのは難しいと思うの」

「戻ること自体は問題ないと思うよ。けど、いきなりレギュラーって言ったら、いくらバスケ上手くても納得しない部員はたしかにいるかもしれないなぁ」

拓海は腕を組んで、神妙な面持ちで頷く。

「だからね、私、バスケ部の部長さんのところにいって、もし朝海くんが部活に戻ることがあったら、そのときは実力を見てほしいってお願いしたいの。それで、朝海くんの実力を認めてくれたら、選手として試合に出ることを許してほしいって」

真剣な表情で拓海を見つめる。

その双眸から力強い意志を感じ取ったのか、拓海は腕を組んだまま、何かを考えるような少しの間のあと、

「どうしても空に試合に出てほしいの?」

確かめるというよりは、試すような瞳で、凪咲に訊ねる。

「俺だって空の実力は知ってるし、もちろん一緒に試合に出たいよ。けど、いまは空が部に戻ってきてくれるだけでも十分嬉しいけど」

彼の本心とは別に、こういう選択肢もあるということを凪咲に伝えるように告げる。

「うん。出てほしい」

しかし、凪咲の真っ直ぐな視線は揺らがない。

「私も、朝海くんが部に戻ってくれるだけでもすごく嬉しいよ。でも、朝海くんには試合に出ることでもっと部活に熱中して、ずっとバスケを好きでいてほしいって思ったの」

握っていた拳を脱力したように開いて、目を伏せる。

「こんなこと、わがまま言ってるって分かってる。部外者の私が口を出していいことではないってことも」

悔しそうに話す凪咲の話を、拓海は黙って聞いている。

「けど、それで彼がこの先もずっとバスケを、好きなことを続けていきたいって思ってくれるなら、私は、私にできることをしたいの」

自分の覚悟を示すように、はっきりと意志を伝える。

拓海は神妙な面持ちを崩さないまま、組んでいた腕を解いて訊ねた。

「うん。夏花さんの気持ちはわかったよ。でもひとつだけ、いい? さっきの話からは、やり甲斐とか、さきのこととか、どこかこの場所に留めるような、そんな狙いが強く含まれているように感じたんだけど、どうして?」

「それは……」

凪咲は口籠もる。

本来なら、相談する以上、全てを話すのが礼儀なのだが、内容が内容だけに、本人のいないところで簡単に口にすべきではないと凪咲は思った。なので、

「朝海くんはいまちょっと、さきのことを考えることが難しいみたいで。けど、このさき、いろいろ落ち着いて心に余裕ができたとき、夢中になれるものがあるっていうのは助けになると思ったの」

少し迂遠にそう伝えた。

納得してくれただろうか、と凪咲は上目遣いで拓海の顔色を窺う。拓海は更になにか言おうと口を開きかけたが、すぐに戻し、いつものような爽やかな笑みを浮かべて頷いた。

「うん、わかった。俺も空が戻ってきてくれたら嬉しいし、喜んで協力するよ」

「え、いいのー?」

「うん! けど、話しするだけなら俺から部長にしておくけど」

「ううん。私に話させて。私が言い出したんだし、誰かに投げ出していいことじゃないと思うから」

凪咲がそう告げると、空は目を丸くして呟いた。

「……へぇ、ちょっと驚いたよ」

「え?」

「夏花さんがそんなに空の力になろうとしてくれてるなんて、知らなかった。そういえば、前にも、朝早く教室で会ったときも気にしてたよね。ぜんぜん気づかなかったけど、いつの間に仲良くなったの?」

いつの間に、ってそれははじめて会ったときからなんだけど、そのときの話をするのはちょっと恥ずかしいので、

「あ、えっと、私も前に朝海くんに助けてもらったことがあって」

若干言葉を濁してそう答えた。

「へー」

もの珍しそうな拓海の視線は、懐疑的にも見えたが、凪咲の様子を見て、拓海はそのままこの話題を切り上げた。

「わかった。じゃあ、今日の放課後、部活始まる前に、一緒に部長のとこ行こうか」

「うん! ありがとう、春沖くん」



そして、放課後。

「お願いします!」

拓海に案内してもらい、凪咲はバスケ部の部長に丁寧に説明した上で、拓海と共に頭を下げた。

練習が始まるまで、まだ時間があるようだったが、コート上にはすでにユニフォームを着た部員が数人集まっていて、銘々で準備運動やシュート練習などを始めていた。

「なるほど。話は相分かった」

バスケ部主将の大船おおふね部長は、鍛えられた厚い胸板の前で腕を組みながら、ひとつ厳格に頷いた。

拓海よりもさらに頭一つ分大きな背丈で、筋骨隆々。肩幅もあり、鍛えられた筋肉を搭載した肉体は、腕も脚も胴体もすべてが太く、引き締まっていた。来る途中に聞いた拓海の話では、ポジションはセンターらしい。

「うちとしても、強いヤツが来てくれるのは大歓迎だ。君の言うように、朝海ってヤツが本当に戦力になるほどの選手だったなら、そのときは前向きに検討してみよう」

「ありがとうございます!」

声を揃えて再度頭を下げながら、二人は横目で喜びの視線を交わす。だが、

「待てよ、大船」

コート内で練習が始まるのを待ちながら凪咲達の話に耳を傾けていた部員の一人が、不満そうな表情で歩み寄ってくる。

「なんだ? 青田あおた

「納得できるわけねーだろ」

青田と呼ばれた細身で、拓海よりやや低いくらいの身長の、目つきが悪い部員が、凪咲達の前で足を止めて言った。

「一年幽霊だったヤツが、いきなりレギュラーなんか認められるわけねーだろっての」

青田が加わったことで、他の部員もちらほらと話に耳を傾けはじめる。

「それはこの子も分かってるから、こうして頭を下げに来てるんだろう。そもそも試合に出すとは言っておらん。まずは実力を見てからという話だ」

大船部長が宥めるように言うも、青田の表情から不満の色は僅かも薄れない。

「つーか、まだ本人が戻ってくるとも言ってねぇんだろ。んなやる気あんのか無えのか分かんねぇヤツなんか、とっとと除名しちまうべきだろうが」

その言葉に、凪咲の頭がかっと熱くなる。

さすがに今の言葉は聞き流せないと、反論しようとしたときだった。

凪咲が声を上げるより先に、拓海が手振りで凪咲を制すと、代わりに反論を口にした。

「青田先輩。あなたに部員を除名する権利なんてないっスよ」

言われて、青田は額に青筋を浮かべながら、拓海を睨め付ける。

「あ? なんだ、拓海。先輩に楯突こうってのか」

「そうじゃないっすよ。強い選手を除名なんて、うちのチームにとってマイナスにしかならないじゃないっすか。空は本当に強いヤツなんです。この先の大会で、チームの勝利に絶対貢献してくれますよ」

「ほう」

青田は口許に嫌な笑みを浮かべると、

「おもしれーじゃねぇか。いいぜ。なら、ちょうどいい。今度の球技大会でそいつの実力を見せてみな! もしお前のクラスが優勝できたら俺も納得してやるよ」

ニタリと笑って、そう言い放った。

「優勝って……周りは一般生徒っすよ? 相手には先輩達だっているのに、厳しすぎますよ」

必死に訴える拓海。だが、

「いや、待て。そいつはおもしろいかもしれん」

青田の提案に乗り気で返事をしたのは、意外にも大船部長だった。

「優勝を条件にする必要はないが、実力を見るにはいい機会だ。公式大会も近いことだし、おまえ達がその日までに朝海ってヤツを説得して試合に引っ張ってくれば、そこで力を見てやろう」

「ほんとですか!?」

凪咲が前のめりで訊ねる。

「ああ。もちろん、部に戻るだけなら、いつでも大歓迎だからな」

ぱあっと凪咲の表情が明るくなる。青田に難癖つけられたときはどうしようかと思ったが、なんとか希望が見えてきた。

その青田は、部長の後ろで、納得していないように、最後まで凪咲と拓海を睨み付けていた。



「ふう、なんとか部長さんに評価してもらえるようになってよかったぁ~」

体育館の外に出て、張り詰めた空気から解放されたことで、ようやく一息つくことができた。

「春沖くんがついてきてくれたおかげだよ。ありがとー」

「いや、夏花さんが部長を説得しようと動かなければ、俺はなんとかしようって思わなかったよ」

そして、拓海は凪咲に向き直ると、

「俺の方こそありがとね。俺もずっと、もう一度あいつとバスケがしたいって思ってたから」

拓海はニィッと白い歯を見せて笑った。

「さて。それじゃあ、今度の球技大会、絶対優勝しないとな」

ガッツポーズする拓海。

「私も、その日までに絶対、朝海くんを説得して、球技大会に連れてくるよ」

つられて凪咲もガッツポーズ。

「じゃあ、俺、そろそろ部活戻ろうかな」

「あ、待って! ちょっと待ってて」

そう言って、凪咲はその場から走り出す。

しばらくして、駆け寄ってくる凪咲の手には、一本のペットボトルが握られていた。

「これ、今日のお礼に。よかったら」

「え? いや、そんな、悪いって。べつに俺、たいしたことしてないのに」

凪咲はかぶりを振る。

「そんなことないよ。春沖くんがいてくれて、すごく助かった」

「夏花さん……わかった。それじゃあ、ありがたく貰っておくよ」

拓海は凪咲の手からペットボトルを受け取った。陽の光が水滴に反射して、眩しく光る。

「それじゃあ、私行くね。部活がんばってね」

「うん! これ、ありがとう」

手を振って、凪咲は体育館を後にする。

「なんだ。夏花さん、やっぱり優しいじゃん」

揺れる凪咲の尻尾を見つめながら、拓海は彼女にもらったジュースを一口飲んで、呟いた。


「けど―――」



「その相手は空、なんだよなぁ」

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