第8話 化粧
1
夕子は湯船に浸かっていた。安倍とのキスのことを考える。
胸がキュンと鳴いた。全身に鳥肌が立ったような気がした。
「きゃっ……」
冷たく冷やされた湯気の滴が、肩に落ちる。夕子は湯の中に顎にまで潜り込んだ。
唇には安倍の温もりが残っていた。
指先で自分の唇をたどる。
そのときのことを思い描く。
背筋にゾクリとするような電流が駆け抜けるのを感じた。身体の奥から熱いものが溢れ出す感覚を覚える。
夕子は、自分の唇を探り、その手で胸を包んだ。
柔らかい二つの胸の膨らみの形を確かめる。
その手を下腹へ滑らせた。ツルリとしたそこに柔らかい草のような感じがふわふわと揺れている。そこから溢れ出す感じのする場所に手を滑らせ、指でたどる。ぬるりとした感じが指先にあった。
「ああっ……んん……」
プルンとしたゼリーのように柔らかい感じだ。ピリピリした感じが夕子の身体の奥でぷうっと膨らんで、それは夕子の胸の奥でパンと弾けた。
2
「お母さん、お母さん……」
翌朝、夕子は母親を自室に呼んだ。
パタパタとスリッパが跳ねる音が上がって来た。
「どうしたの? 夕子、朝っぱらから……」
線香の煙の匂いがフワリと薫った。
シャっとカーテンのレールが滑る音が聞こえる。キラキラとした光を感じる。
「お母さん、あの……私、お化粧がしたいの。ダメ?」
ふうっと息を吐く音が聞こえ、「いいわよ……」という母親の声が少し籠もっていた。
「……いいの?」
「……いいに決まってるじゃない……女の子がお化粧するのは当たり前よ?」
夕子は自室で化粧品の匂いに包まれていた。時々、母親の鼻をすする音が聞こえた。夕子も涙が溢れた。
甘く少し脂のような匂いが唇に引かれる。口紅だ。
「お母さん、覚えてる。小さいころ、お母さんのお化粧をイタズラして……あのときの匂いと同じだわ」
「覚えてるわ。夕子ったら、顔中に口紅をつけて凄くご機嫌だったのよ。それをお父さんに話したら大笑いだったのよ」
母親が笑い声が聞こえた。夕子も笑みが溢れる。
✣
「はい、出来上がり……」と母親が言いながら、髪に櫛を通してくれた。
「どう? お母さん、私……」
「ええ、とっても可愛いわ。夕子……」
母親の鼻をすする音が聞こえた。ため息の中に「ゴメンね」という声が混じる。
「お母さん……私の目は個性だと思うの。私の声とお母さんの声や顔が違うのと同じ……。まあ、時々、ちょっと不便だなって思うことがあるけど……。私は気に入っているのよ。毎日、色々新鮮だしね。私の目……。だから、お母さん……」
頬を涙が溢れる。母親の指先が夕子の涙袋を滑った。
「……泣いたらダメ。ダメになっちゃう。せっかくのお化粧が……」
二人の声が笑った。
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