第2話 再会

 トニックシャンプーの匂いの男性に合ってから一ヶ月が経とうとしていた。

 

 シャーシャーと、どこかから蝉の声が聞こえる。風はほとんど感じなかった。白杖を持つ右の手の甲がジリジリと熱い。ボンヤリと見える光が眩しい。夕子は毎日のようにあの一番線のホームで待った。雑踏の中で。トニックシャンプーの匂いを待つ。

 

 一番線の電車が発車します……。

 

 夕子はこのアナウンスを合図にホームを降りることにしていた。

 

 ――さあ、帰ろ……。

 

 点字ブロックを探り方向を確かめる。手のひらにスーツと感じるのは誘導ブロックだ。

 肩先に誰かの肩が触れる。

 四方から雑踏を感じた。

 白杖の先がトンと滑る感じがした。

 

 足下でコロンという音がした。

 

 ――あっ……。

 

 目の前が真っ暗になったような感じがした。

 夕子は膝をついて手で探る。熱気で熱くなった固いコンクリートを感じた。靴の音が大きくなった。

 

「ほら、こんな所でしゃがむなよ。おいっ」

 中年男の声が吐くように言った。

 

 コロ、コロン……。

 

 白杖の音が遠ざかった。

「ああ、すみません。すみません……」

 夕子は何度も頭を下げた。視力が弱い者にとって白杖はその者の目だ。

 目の前が真っ暗になった。

「すみません、すみません……」

 と言う声と共に、あのトニックシャンプーの匂いが近づく。

 

「あの……」と、肩を軽く叩かれた。

「僕に掴まって……」

 聞き覚えのある声だ。すうっと身体が浮き上がる。確かにこの駅で助けてもらった男性だ。

 

 夕子は男性に引かれた。

 

 すっと歩を進んだ。

 

「あ……以前ここで……ありがとうございました」

「えっ、はい……僕が分かるんですか? あ、僕の方こそ……」

「え……」

「あなたが、雨が降るかも、っておっしゃったのでコンビニで傘を買ったんですが、夕立が降り出して……」

「……よかったです。お役に立てて……あの……足、大丈夫ですか?」

「え……? 分かるんですか?」

「この前に比べて肘が上がっているような……」

 少し上がった男性の肘は、歩を進める度に上下に揺れていた。

「ああ、実は、この間右足、捻挫しちゃいまして……」

 男性の声が恥ずかしそうに笑った。

「ね、捻挫? 大丈夫ですか? ご、ゴメンなさい。もう、私……」

 夕子の手のひらに白杖のストラップが触れた。

「ここから真っ直ぐ歩いて、五、六歩の所にエスカレーターがあります」

「あ……、ありがとうございました」

 

 ――この人は、きっとボランティアの人なんだろうな。

 

「いいえ……っと、あの名前……」

 男性の声が小さく言った。

「はい、立花……立花夕子です。あ、はじめまして……」

 夕子が笑いながら、満面の笑みでおどけてみせた。

「僕は安倍光あべひかるです。あ、あの……立花さん……また会っていただけますか?」

 安倍の恥ずかしそうにな声がした。

「会って……えっ、あ、ぜひ……」

 

 シャーシャーという蝉の鳴き声のボリュームが上がった。

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