2020/01/13 型破りになる可能性
ほぼ日刊カクヨムコン体験記です。
今日の数字です。
『青い鳥』
フォロー43、☆39、♡624、PV12.4K(前日比483、Kは1,000)
恋愛部門 78位
総合 642位
『クリスマスイヴはひとりだった』
フォロー1、☆22、♡11、PV61
恋愛部門 108位
総合 551位
『二十年後のわたし』
フォロー1、☆8、♡9、PV22
キャラ文部門 170位
総合 568位
『恋と呼ぶには』
フォロー2、☆14、♡12、PV33
恋愛部門 16位
総合 80位
『彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら』
(既存作品のため順位のみたまに掲載)
ラブコメ部門 284位
やっぱり三連休中日、PV伸びませんね^^;
でもこれくらいが普通のような気もしますが。
『青い鳥』はPVだけでランキング上位に入るので、PVの少ない日は順位が下がるのも当然というわけで。大丈夫、メンタルまだ保たれていますから^^; さすがに二回目となると、肝も座りますよね。
家庭をお持ちの方は、変則的な一日をお過ごしでしょうから、皆さん、連休明けには戻られるに違いないと。つまりお盆休みの帰省みたいな? 皆さんが素敵な三連休をお過ごしだとよいのですが、つきなみは寝てるだけの三連休(笑)。ちょっとね、精神的ダメージがひどくて二日酔いのように引きずっているのですよ、いや、宿酔い。
しかしその件は自分の中できちんと決着がつきましたので、ご心配おかけしました。
短編『恋と呼ぶには』、タイトルが気に入ってます(笑)。元は『ボーイ・ミーツ・ガール』という味も素っ気もないタイトルだったんですけど変えて良かったです。なんて言うか、「恋の始まり」をちょっと変わったシチュエーションで描いた作品です。こういうの珍しいアプローチかなって。他の人は書かなさそう、と。
この後えんえんとその話を書いていますが、これも「わたししか」書かないんじゃないかな? 田辺聖子さんの作品『恋の棺』? は、似たようなテイストかも。田辺聖子さん、一作しか読んでないな^^; 好きな作品です。その雰囲気が、やらしい空気作りが。
✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩
くどいんですけど、敬愛する先生からの講評を見直しました。初見から三度目(笑)。怖くて見られなかった。
つまるところ書いてあることは、一般文芸の編集者さんや新人賞の審査対象としては真逆な方向性であるけれども、「型破りな作品」になる可能性がある、というものでした。
そういう批評って……ドキドキしますね、良くも悪くも。
村上春樹さんはデビューしたころから「これは純文学じゃない」とか批判的な意見をさんざん言われ、文壇から爪弾きにされていたそうなんですが。そういうエッセイをうん、うん、と今まで読んできましたけど、ああ、こういうことかー、と村上春樹さんとわたしを並べるなんておこがましいんですが思ってしまいました。
「型破り」かーーー。
なんでだろう? ちゃんと一般文芸を読み込んできたのになぁ。純文学もさんざん読んだのに、なぜそういう方向へ?
しかし、先生の仰っていたことを思い出すと、「わたしにしか書けない作品」を書くことが大切だと。つまり例え村上春樹さんが大好きでも、川端康成(呼び捨て!?)を尊敬していても、村上春樹風の、或いは川端康成風の作品を書いているようでは拾ってもらえないんだそうです。
新人賞の選考でも「誰かに似ている作品」はその時点でアウトだと仰っていました。
だとしたら、わたしのしていることは主流ではないけれども、他の誰でもない「わたしにしか書けない作品」を書いているということじゃないかと。
難しいですよね……。
それって拾い上げてもらえるかかなり微妙……(笑)。
でも新人賞の講評を読んでいると「票の割れた作品」こそ、期待値は大きいように思います。大切なのは基礎体力かなぁ。なんというか、土台がしっかりしていればその上に乗っかる作品がどんなに基準と外れていても、作品として成立するのではないかと。
お読みになった方はわかると思うんですが、提出したのは冒頭三話。まさに冒頭。(すみませんが参考としてのテキストは作品を見てください)
先生がその先を気にしていらっしゃるのは、我らが篤志に都合のいい展開ではないか? これはあると思います。小説ですから、ちょっとは楽しいところがないとね。
いつも主人公を谷底に落としてから始めるようにしているんですけど、珠里との困難な生活に入るまでの導入部がちょっと想定より長くなっちゃって(〃ω〃)。本当はもっとすっきりした方がいいんだろうなぁと思ってはいたんですけど、ふたりの関係のディテールが描けている方を取りました。
ちなみに、既出だったら申し訳ありませんが、最初は主人公がドン底のところから物語を始める方が面白くなるというのが『物語論』のセオリーです。わたし、学んだのは理系なんですが、大学で哲学の講義を取ったらたまたま『物語論』をやることになって、ちょっと勉強したんですね。『クライマックス』への話の持っていき方みたいなことのセオリーがあるんですよ。
いつもはけっこうその『物語論』を骨組みにして作品を書いています。
『17日後』も由芽にとって最悪の状況から始まりますよね。
だから本作も本当は何かしら不幸な状況から描き始めて、それから回想に入ればよかったんでしょうけど(初稿はまさにいま公開中の、珠里が階段を駆け上がるところから始まるんです)。時系列が混ざるのはいかん、と他のコラムで読んだので書き直しまして^^; それは絶対では全然ないんだそうです。
たぶん、四話から少しずつねじが狂ってくるんですよね? ふたりのスイートな時間が長く描かれすぎてた、と。確かに1万文字も"起"の導入部にするのは長いよなぁとは思ったんですよ。でも細部描写が好きだったので捨てられなくて^^;
ご存知の通り、ふたりのベタでスイートな関係はそうそう長く続かないんですよね。
そこも指摘されていて、ずーっとスイートなままチャンチャンで終わる小説だと……と書かれましたが、そんなんだったらこんなにたくさんの方に読んでいただけないですよね? わたし、やはり人のダークサイドも書きたいので。ダークサイドも見せつつ、誰にでも少しはいいところがあるんだよ、というリアリティも出したいのです。
それから、珠里がなぜ精神的に幼いのか?
これも既読の方には伝わってるでしょうか? 彼女がなぜ篤志の前では無垢なのか。その生育状況を見ていただければわかるんじゃないかと。
これもクリアーしてると思っています。
リアルで、読者が驚くような展開。
これはずいぶん読者さんには堪能していただけたかと。言い訳をすると、哲朗さんのパートはちょっとリアリティが希薄です。珠里は霧中にいるので。物語『青い鳥』の中でも過去や未来の国に青い鳥を探しに行くんですけど、その位置づけのパートです。
これをリアルかどうか判断するのは読者さんだと思います。けど、これもある程度のリアリティが無ければ読者さんはついてこないと思います。(けっこう分析が好き)
リアリティの追求――。
難しいですよね。他の方の作品を読むと、わたしなんか全然書き込めていないとガッカリすることもありますし。
けど今作を非現実的だと捉えるならそれはそうだと言えるし、わたしにとってはわたしのリアルに密接した物語なので切実に現実的だと思います。
それが伝わらないなら筆力の問題だと思っています。
今回はリアリティ勝負だったので。うんと現実を織り込みました。だからこそ、非現実的な小説という空間に読者を呼び込むことができるのではないかとわたしは常に考えています。
「型破りな作品」が誰かの目に拾われるかもしれないし、捨てられ続けるかもしれない。それでも書き続けることに意味はあるように思うし、「自分らしさの追求」をしてもいいのではないかと言うのが今日一日、鬱々と過ごした上での結論です。(今日はもう息も絶え絶えといった鬱な一日でした)
その「型破りな作品」を最初に拾い上げてくださったのが読者の皆さんだと思います。ありがとうございます。
PVなんてただの数字かもしれないですが、読まれていることがある種の評価であると受けとめたいと思います。
先生の講評を落ち着いて読めるようになったら、また書けるかもしれませんね。
小説のない世界なんか生きていても死んでいるのと変わりませんね! まるで恋愛小説のように、なにを見ても小説のことばかり考えてしまう。なんて忌々しいんだろう!
アマチュアのうちはどんなに言ったところで「趣味」の範疇だと思いますが、書かずにはいられない体質なのかもしれません……。
最早、逃げられない。
真正面から問題に立ち向かうしかないようです。
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