第39話 申請

 翌日、わたしは市役所で取り調べを受けた。

 短駆だが筋骨粒々の髭面なおじさんから根掘り葉掘り個人情報を問い質される。

 初対面の厳ついおじさんを前に震えながらも、わたしは聞かれた質問に答えていく。性別、年齢、出身地は当然として、一番気にされたのは「いつの時代からやって来たのか」と言う点。

 ストレンジャーは転移してくる時代にばらつきがあるそうで、その時代に合わせた対応マニュアルがあるからだという。

 ちなみに日本人と聞いて最初は警戒していたおじさんも、二十一世紀の人間だと知ると顔の緊張をほどいて優しげな表情を見せていた。

 と言うのも、いわゆる第二次世界大戦以前の日本人ストレンジャーは、危険人物が多かったからという話だ。

 ここで少し時間を巻き戻そう。


 パン屋を開く目処が立ったとは言え、ヨハネは何故に街に行くと言い出したのだろう。

 森の中で木苺を採取する傍らで、わたしは心の中で小首を傾げてしまう。

 ここまで来たら後は万全の準備を整えて挑戦するだけではあるし、そのための準備として材料を改めて買い出しに行くのも理解できる。

 だがわざわざ「やらなけれないけない」と言うくらいなのだから、買い出しとは別のなにかが必要なのだろう。

 それなら勿体ぶらずに教えて欲しい。


「これだけあれば当面は持ちそうだね」

「そうね。でも明日は街に行くのだから、ついでに普通のいちごも買っておきましょう。木苺はいつまでも手に入るモノではないし」


 わたしはホームに戻ると、採取した木苺を冷凍庫に入れて瞬間凍結にかける。

 その後、一仕事を終えた一服として二杯のコーヒを入れ、片方をヨハネに差し出して、先程から気になっていたことをたずねた。


「はい、ヨハネのぶん」

「ありがとう」

「ところで……さっき言っていた、やらなければいけないことってなに?」

「そのことか。言いそびれていたね」


 わたしが話を振ると、ヨハネは少しだけ言いにくそうな顔をした。


「役所で営業許可の申請を出さなければいけないんだ」

「なぁんだ。そんなことか」


 勿体ぶったわりには普通の答えにわたしは拍子抜けしまった。

 営業許可と言うことは、ふたりで市役所に行って書類を書けばいいだけだろう。

 日本でも飲食店や屋台には申請が必要なので、文化が現代日本に近いジャポネでも、それくらい当たり前だろう。


「人見知りだと言っていたし、嫌がるかと思って言いにくかったんだ」

「それくらい、気にしなくてもいいわよ。最初に言ったでしょ? そう言うことはわたしも頑張るからって」

「そう言ってくれると助かるよ。では明日はお願いするね」

「お願いだなんて」

「アマネはストレンジャーだからね。僕と違って経歴に後ろ暗い所がないし、すんなり通るハズさ。言いにくい話だが、僕には役所の申請はどうしても出来ない事情があるから、これだけはアマネを頼らざるをえない」

「そう遠慮しなくてもいいわよ。言い出したのはわたしだし。それに、事情は聞かないほうがいいんでしょ?」

「ありがとう。助かるよ」


 そんなやり取りをしたのが昨日の夕方で、今は午前十時過ぎ。

 ストレンジャーとしての市民登録を兼ねた露店商の申請をしに来たわたしは、この厳ついおじさんに怯えていた。

 次第に柔和な態度に変わっているのはわかるとは言え、やはり小柄なのにムキムキというあたりがどうも怖い。


「それじゃあ、お疲れさん。あとは午後にカードを取りに来てくれ」

「あ、ありがとうございました」


 わたしは緊張のせいかどもってしまった。


「そうそう。キミは食べ物の屋台をやると言っていたが、店を開く場所は決めているかな?」

「えっと……休みの日、公園に出そうかと」

「じゃあ中央公園にするといい。この街で一番人が多い」


 おじさんの話を聞いて、わたしは一昨日の光景を思い浮かべた。

 この街で一番人が来る公園とは、あの公園だろうか。


「それと、事前にモトベさんに挨拶をしにいってくれ」

「???」


 わたしはおじさんの言うモトベなる人物に首を傾げた。

 市役所のおじさんが会うことを進めるなんて何故だろうと。


「面倒見が良い人なんだが礼儀に厳しくてな。土日は公園で店を出しているが、平日なら家にいるはずだよ」

「そう言われましても、どこに行けば良いのやら」

「おじちゃんが地図を印刷してやるから平気だって。市役所のマツドからの紹介だと言えば、話を聞いてくれるハズさ。くれぐれも忘れずにな」


 そこまで念押しをするのならば、その人の家まで案内してくれれば良いのに。

 善意なのは感じるので無下には出来ないもどかしさを抱えつつ、やはりこのおじさんは怖いしガサツでなれないなと、わたしはすっかり小さくなってしまった。


「お疲れ様。だいぶ面倒だったみたいだね」


 登録証のカードが発行されるまで時間が出来たことで、わたしは外で待つヨハネの元に戻った。

 疲れて縮んだわたしの様子に気苦労を察してくれたヨハネは、カーゴの座席にわたしを押し込むと、わたしの手を優しく握ってくれた。

 不思議なもので、こうしているとわたしもなんだか落ち着いてきた。

 ヨハネも少し顔が赤いのはわたしには理由がわからなかったが、好きな男の子が優しくしてくれるだけで落ち着くなんてチョロいなと、自分の精神状態を俯瞰した。


 申請の手続きが終わりわたしがヨハネと合流したのが午前十一時半。それからカードが発行されるのは二時以降だという。

 軽い昼食を兼ねて、カーゴの中でいちご大福パンを食べ終えたわたしは、ヨハネに例の件を相談することとした。


「───と言うわけで、出来ればついてきてくれないかな」


 わたしはヨハネの手を握りながら彼に頼んだ。

 ただでさえ市役所のおじさんを相手にこれだけ気力を使ってしまったのだから、出来ればヨハネにも支えて欲しいと、つい寄りかかってしまう。

 こう言うことは自分でやると啖呵を切っておきながら、なんてダメな子なんだろう。そう自分を攻めながら、わたしはヨハネに頼む。


「それくらいなら協力するよ。屋台の大御所ならば、どっちにしろ僕も面識を作っておいたほうが良さそうだしね」

「ありがとう」

「落ち着いて、アマネ」


 ヨハネが首を縦に振ったのを見て、わたしは彼に抱きついた。

 下心などない安堵の抱擁なのだが、気のせいかヨハネの体温がちょっと暖かい。

 彼はどうやら興奮して熱を出してしまったようだが、わたしはそれに気づかず自分勝手に彼に抱きついていた。

 本当ならば同じヨハネについてきてくれと頼むにしても、気丈な態度で彼の尻を叩くくらいでなきゃいけなかったのに。


「もういいかな?」

「うん」


 しばらく抱きついたことでだいぶ心を回復させたわたしは、気を取り直して件のモトベさんを訪ねることにした。

 住所は市役所からは近いそうで、カーゴはそのままに徒歩で向かう。

 はぐれないようにと何の気なしにヨハネの手を握って歩いたのだが、そうしているとなんだか自信がわいてくる。市役所のおじさんから話を聞いたときには不安で一杯だったのに、ヨハネと一緒なら何とかなる気がしてきた。


「ごめんください」


 やってきた先は小さな一軒家で、庭先には移動販売の車が一台止まっていた。

 ペイントされたガレットの絵柄には覚えがある。どうやら先日の公園で見た車のようだ。


「どちらさんで?」


 呼び鈴を押してしばらくすると、奥から中年の男性がやってきた。寝起きなのか眠たそうな顔で、口元には無精髭が生い茂っている。

 この人がモトベさんなのか?


「今度から屋台を始める天音というものです」

「アマネ?」


 男性は小首を傾げた。


「市役所のマツドさんが話を通しておくと言っていましたが、聞いていませんか?」

「マツドねえ……たしかに市役所から着信があったようだが、俺は寝てて聞いていねえな。つうことで、お前さんらはどこのモンだ」

「えっと……」

「彼女はストレンジャー。そして僕はシホウの山中で暮らしている山男。これでいいですか? モトベさん」

「バカかお前ら!」

「ひぃ!」


 何者かと聞かれたのでヨハネが答えた訳だが、男性はそれに対して怒鳴りあげる。

 いったい何が悪かったのかわからず、わたしは涙眼でヨハネに抱き付いた。


「あいや、怒鳴ってすまないな、お嬢ちゃん」


 そんなわたしの様子を見て申し訳なくなったのか、男性は急に態度を変えて頭を下げた。

 おそらくお客さん用のペルソナなのだろう。顔を切り替えた男性からは威圧感がなくなって、わたしは次第に震えが収まった。


「同業者が何者かと聞いたってことは、どんな店名で何を売るつもりなのかって意味だよ。そんなことも知らないのか?」

「ごめんなさい。なにぶん始めてのことで」

「だったら最初から言えっつうの」


 男性はわたしたちが屋台の素人だと知ると、それはもう上から目線で偉そうに、様々な講釈を垂れ流し始めた。

 わたしたちはまず家の居間に通されて、彼が件のモトベさん───本名コーウェン・モトベであると自己紹介された。

 それから彼の店「ガレットモトベ」の歴史やらバーツク市における屋台の勢力図など、この街で屋台をやる上で必要な知識の講釈が続く。

 わたしも郷に入っては従うべきだとモトベさんに頭を垂れていたわけだが、隣のヨハネは少し不満げである。

 もしかして、わたしが最初に怖い思いをしたことを気にしているのだろうか。


「───と、大まかな話は以上だ。ところでお嬢ちゃんは何を売る気なんだ? まだ決まっていないのなら、とりあえず下働きとして俺っちの店で雇っても構わんぞ」

「えっと……その……パンを売ろうかと」

「は?」


 講釈が終わった彼からの質問に、わたしは正直に答えた。

 そもそもパンを売る手段として、店舗を持たないわたしたちができる方法として屋台を選択したのだから、順序が逆なのだが。


「バカ言っちゃいけねえよ。そんなもん、どうアガリを出すつもりだ。セール品の転売で儲けようなんて、この商売をなめているのか?」

「いえ、そうじゃなくて」

「悪いことは言わねえ。そっちの兄ちゃんと一緒に、とりあえずうちで働いたらどうだ」

「待ってくれ」


 わたしの回答にモトベさんは誤解をしていた。

 パンと聞いて安く仕入れた大手のパンを、手間賃をのせて売るのだろうと思ったようだ。

 自分の店で雇うと言い出したあたり、純粋に心配と説教で彼が大声をあげたのもわかる。わたしは勘違いを正そうと弱々しくも必死に抵抗したが、それすらも押し退ける勢いでヨハネが動く。


「たしかに僕らは屋台の素人だ。先程の御高説はありがたく受け取らせてもらう。だが、僕らのパンを侮辱することだけは我慢できない」

「何を言っている?」

「僕らが売るパンは、僕と彼女で焼いたものだ。そんなセール品なんかじゃない」

「……そこまで言うのなら出してみな」


 売り言葉に買い言葉なのだろうか。

 興奮するモトベさんに向けて、ヨハネは篭から取り出したいちご大福パンを差し出した。

 既に十二時を過ぎており、朝焼いてから四時間以上は経過している。これが受け入れられなければ、たしかにわたしたちの行動は無謀かもしれない。


「どれ」


 モトベさんは大きく口を開いてパンに噛りついた。

 一口ぶんを噛みきって、口の中でモゴモゴと咀嚼している。

 表情を変えずに味見するその様子にわたしは緊張し、自然とヨハネの袖を握っていた。

 美味しいのか、美味しくないのか。

 自分の主観で言えば自信があるとは言え、他人の意見は未知数だ。


「はむ! はむ! ずずず!」


 最初の一口を食べ終えたモトベさんは、残りを一気に食べ始める。子供のようにあわてて食べられたパンはあっという間に彼の口に送られて、最後のお茶で胃に流し込まれた。


「言うだけのことはあるじゃないか。なかなか美味いぞ」

「やった」


 始めての第三者から受けた評価に、わたしは舞い上がった。


「料理の腕前は一端のようだな。これなら売り物になるだろう。勘違いしてすまなかったな」

「わかってくれればいいですよ」

「そうか。じゃあとりあえず、次の土曜、朝九時に中央公園で落ち合おう。始めての出店だから、いろいろとサポートしてやるぜ」

「わかりました」


 モトベさんはようやくわたしたちを認めてくれたんだろう。

 そう感じ取って、わたしは安堵する。

 その時の顔がもしかしたら艶やかに見えたのかもしれない。

 最後にモトベさんは、わたしたちにたずねる。


「それにしてもさっきの兄ちゃんの剣幕はすごかったな。俺っちも内心ビビってたよ」

「それは申し訳ないことをした。つい力が入ってしまって」

「いやいや、これだけの自信作を勘違いでバカにされたら怒るのも当然だぜ。それにお前さんたちは夫婦なんだろう? いい旦那を持ったなあ、お嬢ちゃん……いいや、奥さん」


 モトベさんはまた勘違いをしたようだ。

 わたしを侮辱されたと怒るヨハネの様子に、わたしたちが夫婦に見えたらしい。

 たしかに年頃の男女が一緒にいれば、夫婦か恋人同士に見えなくもない。

 さらに言えばわたしは彼とそういう関係になってもいい。

 だがいまはまだ恋人ですらない。

 夫婦だなんて言われて、わたしもヨハネも顔が赤くなってしまう。


「ご、ごめんなさい」

「ん?」

「まだそういう関係じゃなくて。彼とは二週間前に出会ったばかりですので」

「ふぅん。まあいいか」


 わたしはそれを否定したが、その様子に何かを察したモトベさんは、それ以上は深く言及しなかった。

 後から考えると「いまはまだ夫婦ではない」「いずれそういう関係になる」「端から見ればもう出来上がっている」と、生暖かい目線で、市役所に戻るわたしたちを見送ったのだろう。

 その後、市役所に戻ったわたしたちはカードを受け取って、次の土曜に向けての食材を買ってホームに帰った。

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