第27話 お忍びの公女

 ジャポネ一の霊峰の麓にあるバーツクには、有名な国立大学が置かれている。国内だけでなく、他国からの留学生も多く訪れるその学校にはひとりの高貴な女性もお忍びで通っていた。


「ごきげんよう、マリーさん」

「ごきげんよう」


 夕方のゼミを終えた彼女は学友と別れると、夕飯のために公女の口づけへと足を運んだ。彼女は学友を店に誘うことは少ない。何故なら彼女は素性を隠しているのだから。


「いらっしゃいませ」


 店に入ったマリーは店員の案内で個室に通される。いわゆる女子大生のマリーはこの店では気品に溢れたオーラを出しており、夜のこの店には不釣り合いなカジュアルファッションでも違和感を持たせない。

 個室に入り椅子に座るとマリーは足を組んだ。どこか傲慢だが気品に溢れるその御御足は、男性の学友が見れば劣情を催すモノであろう。

 彼女は何も注文していないのだが、部屋に入ってしばらくすると料理が運ばれてくる。飲み物のワインを継ぐのはこの店の支配人で、彼は彼女の正体を知る人物である。


「お嬢様、御父上からの伝言です。『そろそろ恋人のひとりもできたのか?』と」

「お父様は何を言い出すのやら。そこは普通『私に隠れて男を連れ込んだりはしていないよな?』とでも心配するモノではないのか?」

「失礼ながら。あの御方もお嬢様のお気持ちを知っているからこそではないかと」

「娘のことをバカにして」


 支配人フランツは彼女の父とは主従に近い関係にあった。

 それもそのはず、彼女の父親シグルド・フォン・ルンテシュタットはフランツら店の中核スタッフの出身であるルンテシュタット公国の公王様なのだから。

 そもそもこの店自体がバーツク大学に留学した娘のマリーとの連絡機関と、娘に粗末な食事などしてもらいたくないという親心から公国の手引きで開店した店である。

 立場としては支配人であるフランツよりも、オーナーの子女であり公国の姫でもあるマリーの方が上にあった。

 マリーも父の顔を立てる意味もあって週に最低三度は店に訪れていた。昼食の弁当の手配も含めれば活用頻度はそれなりだが、マリーも頼ってばかりではお忍びでの留学の意味がないと入り浸ることはない。


「これも失礼ながら。お嬢様もそのブルートなる人物に固執するのはいい加減にした方がよろしいのでは?」

「固執なんてしていない。ただあの写真の彼を越える殿方が公国にもジャポネにも居ないのが悪いだけだ。ならば公国よりも、彼の住んでいたジャポネの方が理想の殿方がいる可能性が高かろう」

「それは一理あります。ですが、私にはどこがどう違うのやら。美男子という意味ではうちの副料理長、ツヴァイスくんの方が上に思いますが」

「まあフランツさんは男だし、この微妙な女心なんてわからないか」


 マリーが言う写真には三人の男女が写っていた。

 ひとりはマリーの高祖母にあたる百年以上前の旧姓マリー・フォン・シュヴァルツランツェ。その両脇にいるイケオジとイケメンはマリーの恋人トスカー・ブルートとその身内ヨハネ。

 マリーにとって幸せそうな顔の高祖母と写るふたりの男性が理想の殿方だった。

 いかんせん過去の写真なので彼女たちは伝え聞いていない話も多い。過去のマリーが公王家の分家だったこと。ジャポネに住んでいた彼女は二千年問題の戦禍から逃れるように公国へ帰国して恋人と別れたこと。そして王妃になった後でも彼らへの思いを抱き続けており、当時の王はそれを含めてマリーを寵愛した心の広い人物であったこと。

 そういうマリー視点での情報は残されている反面で、写真に写るふたりが何者かなど現代のマリーは知らない。

 故にマリーはヨハネをトスカーの弟、ヨハネ・ブルートだと認識していた。

 むしろ高祖母の恋人に憧れるのは横取りみたいで心苦しいのもあり、トスカーよりも彼にマリーは心を引かれていた。

 人間誰しも憧れのアイドルのひとりやふたりはいるものだが、マリーにとってのそれが写真の中のヨハネだった。


 彼女の名はマリー・シュヴァルツランツェ。本来の姓であるフォン・ルンテシュタットを隠して公国出身の一留学生としてバーツク大学に通う女子大生である。

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