第19話 サワードウ

 机に伏せた姿で目覚めたわたしはシャワーを浴びると、早速朝食の準備に取りかかった。

 昨夜はなにも食事を取らずに寝てしまったのもありお腹はペコちゃんだ。

 街での買い物で調達したオニオンとハムを薄くスライスして、バター巻きパンの横には切れ込みを入れる。

 パンにハムとオニオンを挟んだわたしは、そのままそれをホットサンド用の焼き型で挟んで火で炙った。

 パンから染みでたマーガリンがじゅうじゅうと鉄板の上で音を奏でる。わたしは軽く焦げ色になっていい匂いになるたびに焼けたパンを皿に取り分けて、残っていたパンを次々とホットサンドに仕上げる。そろそろ作ってから時間がたっているので、あまり悠長に残したままにしていたらカビてしまいそうだという判断だ。


「ぜんぶ焼いてしまうとは、よほどお腹が空いたようだね」

「それもあるけれど、どうせならお昼のぶんも用意しておこうかと。もちろんヨハネのぶんもあるわよ」

「ではひとつだけ」


 ヨハネはまだ焼いている途中のわたしの横で、焼き上がったひとつを摘まみ食いした。

 焼き固められた皮目がパリパリとヨハネの口のなかで崩れて、薄切りのハムとオニオンは抵抗なく噛みきられる。

 口のなかで混じりあう三者の味をマーガリンが調和して、わたしとしては見るだけで喉が唸る。


「きょうも上手に出来ているね。美味しいよ」

「ありがとう」

「それにしても……」


 最初はひとつだけと言っていたヨハネも気に入った様子で、自然と二個目に手を出しながら話を続ける。


「アマネはパン職人と言うよりも、まるでパン料理職人だね。パン作りよりもこっちのほうが得意そうだし」

「まだまともにパンを焼いていないのに、どうしてそんなことを言うのよ」

「僕くらいのレベルになると見るだけでわかるものさ。まだパン作りは練習段階。焼成と仕上げは任されていたけれど、お客さんに出すパンの種は店長さん任せだった。そんなところだろう?」

「な、なんでわかるのよ」

「顔にかいてあるからさ」


 朝からヨハネにからかわれて、わたしは早くも体が熱くなってしまった。

 ちなみに本当のところは彼に「自分もパン職人」だと啖呵を切ったときの小声を聞き漏らさなかったヨハネのカマだったのだが、わたしはまんまと担がれてしまった。


「ごちそうさま」


 その後、すべてのパンをホットサンドにしおえたわたしは、そのうちの焼き立てを三つほど胃袋に納めた。

 朝食を食べてコーヒで一息ついたところで、そろそろ作業を始めようとヨハネに持ちかける。


「朝御飯も食べたことだし、そろそろやりましょう」

「そうだね……きょうのところは試しにサワードウでも作ろうか」

「サワー?」


 わたしはヨハネの口にした単語に小首を傾げてしまった。

 サワードウというのは聞いたことがないが、ライ麦だとそれがないとダメなのだろうか。


「サワードウというのは僕も知識として知っているだけで初挑戦だけれど、ライ麦主体のパン生地を発行させるのに必要な種のことさ」

「普通の酵母じゃダメなの?」

「小麦とのブレンドならいざ知らず、ライ麦主体ではどうしてもグルテンが足りないのさ。グルテンが不足していたら酵母では充分に発酵できない。なにせ彼らの栄養源だからね」

「じゃあそのサワードウではどうして?」

「それは乳酸菌の力さ。彼らが麦芽糖を酵母が食べられるように分解してくれるおかげで、パン生地が発酵出来るようになるって寸法さ。なので実のところ、小麦のパンにだってサワードウは使用できるものさ」

「でもわたしはいままでサワードウなんて使ったことがないわよ」

「さもありなん。サワードウを使うとどうしても酸味が出てしまうから、あえてその酸味が欲しいわけでもなければ使う必要がなくなってしまうんだ。それに生長も遅いから作るのにも手間隙がかかるしね」

「つまり、ライ麦パンのあの風味の正体がサワードウってことなのね」

「その通り」


 ヨハネからライ麦パンの解説を聞いたわたしの脳裏にはなにかが微かに浮かんだのだが、それを今のわたしには上手く表現できなかった。

 心の奥にしこりを残しつつのヨハネのサワードウ作りを見物し、そのやり方をメモに取っているうちにお昼の時間になっていた。

 朝食と同様にホットサンドの残りを食べるのも悪くないが、先ほどヨハネにからかわれた事への仕返しをひとつしたいと思ってしまう。

 そこでわたしは閃いたある料理をヨハネに振る舞う。


「そろそろお昼時だし、ひとつ食べてもらいたい料理があるんだけれど、いいかな?」

「僕は何だって構わないさ。手伝おうか?」

「いいよ。さっき小馬鹿にされた仕返しに、わたしひとりで作った料理にひれ伏してもらいたいし」

「そう言うつもりではなかったんだけれどなあ」

「いいから。ヨハネは本でも読んで向こうで待ってて」


 ヨハネは少し残念そうな顔で別室に移動していったので、わたしは厨房でひとり料理に取りかかった。

 作る料理はいわゆるワッフル。

 空堀状の焼き型ではなくホットサンドの型を流用しているので厳密には似て非なるものだが、ドロドロの状態にした生地を型に注ぎ込んで焼き上げるという意味では変わらない。

 わたしは卵とミルク、それに砂糖を多めにしたドロドロの生地をボールに用意して、そこに酵母を加えてから生地が滑らかになるよう丁寧にこねた。

 パン生地のようには纏まらないし、おそらくパンと比べれば発酵は不完全だろう。だがパンケーキに近いワッフルならば、そこはぺーキングパウダーで補えば充分だ。

 こねあげてから生地を休ませる間に焼き型のほうを準備し、鉄板に薄く植物油を塗って温める。充分な熱量を持ったその型の中にドロドロの生地をお玉で流し込むと、ジュワっという焼ける音が厨房に鳴り響いた。


「よしよし」


 イメージ通りに事が運んでいるのでわたしも上機嫌だ。

 最初は強火で表面だけを焼き固めると、わたしは二つの型の上下を合体させて、あとはそのまま中火で炙る。

 本式ならば中央にこんもりと盛られた生地の山を上から押さえつけることで焼き型全体に生地を流し込むモノではあるが、今回はなんちゃってワッフルなのでそこは変えていた。

 外側が焦げないように、それでいて中央にはしっかりと熱が通るように。細心の注意を払ってわたしはそれを焼き上げる。

 こうしてひとりで料理に没頭していると、なんだかわたしも気が落ち着いてくる。

 ヨハネのことは嫌いではないし、むしろこの感情はわたしとしては珍しい「好き」なんだろう。

 それでもひとりだけの時間と言うものに、わたしは安心を得てしまう。


「出来た」


 匂いの変化で焼き上がりを察したわたしは型を開き、両面こんがりと焼き上げられたワッフルを皿に盛り付けた。

 半分に切ったのは中まで火が通っているかを確認しつつ二人前に分けるため。食べ足りないのなら朝の残りがあるので、昼はこれくらいの量で充分という判断だ。

 付け合わせはチョコレートとメープルシロップ。

 ご機嫌な甘いワッフルの完成である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る