第14話 パン屋の滅びた世界
図書館に入ったわたしたちは、早速館内のコンピュータを借りることにした。
ジャポネでは日本で言うパソコンのことを
図書館に備え付けられたパーソナルデバイスにセットされた投影式キーをさも当然とタップするヨハネの手先はまるで魔術のようである。だがこの程度は世間的にはそう難しくないとかなんとか。
丁字がわからないわたしにはデバイスに表示される文字などまるで理解できないが、所々に混じる数字やアルファベットらしきものは辛うじて読むことが出来た。外国語なので意味はわからないものが多いとはいえ、丁字程の差異はないようだ。
「何を調べているの?」
「僕が引きこもっていた間に起きたことをちょっとね。知らない間に新しい常識が生まれていたら困るじゃないか」
「ふーん」
「でもその前に……これでよし」
物理的なキーボードならばカッターンと音を立てそうなタイプをヨハネがしたところで、デバイスの画面が見覚えのある文字に切り替わった。
「このデバイスはアマネが使ってくれ。ちょっと時間がかかったけれど、これならアマネにも使えるだろう」
「ありがとう」
どうやらヨハネはわたしのためにデバイスの設定を変更してくれたようだ。お陰で日本語でオーケーとなったデバイスを借りて、わたしはこの世界のことを調べた。
この世界の地球とは概ねわたしの世界と同じ形をしているらしい。
ジャポネとはちょうど日本の位置にある島国で、このバーツクというのもわたしが生まれ育った街と同じ位置のようだ。
違いがあるとすれば世界歴という暦は西暦よりも九十年近く離れていることや、北海道に当たる北の大地が「ダテ」という独立国家になっていること。
そしてわたしの世界では未然に防がれたコンピュータシステム業界の騒動にすぎない二千年問題が、大きな戦争とその後の紛争を指す言葉だったことくらいだろうか。
短絡的なわたしはこの事件がヨハネの言う過去の騒動なのをなんとなく理解していたが、現時点で世界歴二千百十二年という事実から推測されるヨハネの年齢に気付かなかった。
この世界の常識や他のストレンジャーについてある程度調べたわたしは、最後のお楽しみとしてパンについて調べようと指を動かす。
とりあえず「パン屋 バーツク」で検索をかけてみたわたしはその結果に小首を傾げてしまった。
「パン屋がない?」
検索結果には一件もパン屋が出て来なかったからだ。
厳密にはどの店も閉店して五十年以上経過しているそうで、この世界のこの時代には「街のパン屋」という文化が失われているようだ。
調べれば調べるほど深みに嵌まっていくが、得られる情報は「強力粉が手に入らなくなったため、個人経営のパン屋が成り立たなくなった」という情報のみ。
わたしの世界におけるラーメン、パスタ、ピザ、ケーキにあたる料理は黒麦というモノを使用した代用品が主流となって生き残っているようだが、パンだけは輸入小麦を大量仕入れ出来る大企業のみが作れる状態らしい。
理由のわからない文化の違いにわたしは震えてしまう。
ヨハネも同じパン職人ならば、この現状にはどう思うだろう。
「ヨハネ……」
震えた声でわたしは彼に語りかけた。
彼が操作するデバイスの画面にも、わたしが見たものに近い画像が浮かんでいた。
「アマネもこれを見たのか」
ヨハネも同じ気持ちのようで、だからこそわたしの態度に事情を察したようだ。
「昨日アマネに誘われて……もしかしたら僕だってもう一度受け入れてもらえるかもしれない。アマネと一緒ならやり直せるかも知れないと、淡い期待を持っていたんだ。でもこんなのってあんまりだよ」
ヨハネは表に出していないが、その心の冷え方を示すように体が冷たい。
「たしかに外国に行けばもう一度パンを焼けるのかも知れない。だが僕が敬愛するトスカーさんがパンを食べてもらいたかったのはこの国のみんなだったのに」
ヨハネの吐露は続く。
「それに僕は事情があってこの国からは出られない」
「その事情は言えないのよね」
「すまない。知ればきっとキミも僕を嫌いになる理由さ」
「いいわよ。そんなの教えてくれる気になったときで」
「ありがとう。でもこれじゃあ、キミが言っていたパン屋の計画は完全に御破算だ。なんてことだよ。この国で不要になったのが僕ではなく、パン職人そのものだなんて」
「待って。諦めるのには早いわよ」
「え?」
わたしは落ち込むヨハネを励まそうと、精一杯の空元気を振り絞った。
「ケーキやピザは代用品で作られているのだから、パンだってきっと作れるわよ」
「前向きなんだな、アマネは」
「むしろ本当のわたしは後ろ向きよ。でも昨日からずっとトラブル続きなのと、アナタが一緒だからちょっと一周してしまっただけ」
わたしの鼓舞は続く。
「なんていうか、ヨハネと一緒ならなんとかなる気がするのよ」
「その心は?」
「勘!」
自分でもここまでヨハネを信頼しているのか、ヨハネに対して安心をしているのかは本当にわからない。
だが以前フェイトちゃんにも誉められたこの勘が、ヨハネを鼓舞してふたりで店をやるべきだと告げているのだけは感じていた。
わたしは首にかけているお気に入りのペンダントを身に付けるようになってから勘がとても良い。もしかしたらペンダントの先に付けた赤いクォーツのお陰なのかもしれないその虫の知らせに付き従う。
後から考えればこの石がこの世界では大きな意味のあるアイテムだと知らないわたしだからこそ、その意思を引き出したのかもしれない。
「参った。アマネには勝てそうもないや」
「ならいろいろと情報を仕入れましょう。元々ヨハネは山で手に入る食料でパンを作る研究をしていたんだし、当面の目標は同じだわ」
「まったく。昨日の小麦粉もそうだが、助けたつもりがどうも助けられてばかりに思うよ」
「そうかしら?」
「そうだとも」
ふふふと笑うヨハネの横顔。
その笑みは傷による厳めしさなど微塵も感じさせないほどに優しかった。
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