古田由緒(フルタ ユイ)の場合⑥

翌日、会社に行くと、既に彼は席でパソコンに向かい仕事を始めていた。


私が机を挟んで通り過ぎようとすると、チラっとこちらを見て


「おはよう!」


と明るく挨拶されたので、反射的に


「おはようございます」


と言い返したが、彼の目を見ることは出来なかった。


自席についてからも、顔が熱くなっているのが、自分でもわかった。


「由緖、昼行く?」


声をかけられて我に返った。

午前中はボーっとしている間に終わっていた。


「ちょっと由緒?聞いてるの?」

「え?あぁ、ごめんなんだっけ?」


「もう、どうしたの?朝からずっとぼーっとしてたみたいだし…なんか悩み事?」

「ううん、別になんでもないよ」


「そう……でも、なんかあったらすぐ言いなよ。友達なんだから」

「うん、ありがとう」


私は昔からそうだ。


親しいと思ってくれている友達にさえ、本音は言わない。


ましてや自分の悩み事など一切言ったことがない。


だからいつも


「由緒は悩みがなくていいわよね」


とからかわれる。


もちろん悩みがない人間なんていないことは誰もがわかっているが、その上で何も言わない私のことを誰もが


「強い女」


と思っている。


でも、本当は人一倍さみしがり屋で人の言動を気にしていて、そのくせ虚勢を張って


「大丈夫」


という素振りだけをみせる。


本当はただの


「 弱い女」



”今夜の予定は?”

彼からのメール

その日は私が母の監視当番だった。


”すみません。今夜はちょっと予定があります。”


本当は逢いたくて仕方なかった。

きっと避けてると思われてもう誘ってもらえない。


”そう、じゃあ明日は?”


誘ってくれた。


”明日なら大丈夫です。”


明日はたまたま妹が都合で変わってほしいと言われて当番を譲っていた。


そうして彼と待ち合わせの時間と場所を決めた。



翌日


「お待たせ」


彼が後ろから声をかけてきてドキッとして振り返った。


「ん?なに?そんなに見つめて……なんか顔についてる?」

「あ、いえ、ごめんなさい。つい見とれちゃったんです」


「え?見とれた?うれしいなぁ。光栄なことだね」


彼は笑いながら答えた。


今日は会社から少し離れたところまで来て食事を始めた。


前回とは違い創作日本料理の店で、懐石のような感じだけどカジュアルな雰囲気のあるお店だ。


このくらいの年代の人はやっぱり落ち着く。


お店選びもちゃんと考えて飽きさせないし、そこへのエスコートもスマートでやきもきすることはない。


同年代の男子とは違う。


それに絶対にお金を出させない。


最近の二十代、場合によっては三十代でも割り勘が当然で、女子に出させるやからもいると聞いて驚くが、この年代の人は


「女に払わせるなんて」


という意識が強いらしく、以前別の男性に支払いの時、自分の分を払おうとしたら


「恥ずかしいことしないで」


とがめられてしまった。



それ以来、相手がおごるつもりの時は何も言わず従って、あとできちんと御礼を言うことにしている。


その方がお互いに気持ちよく過ごせるからだ。


「ごちそうさまでした」


きちんとお礼を述べると、


「どういたしまして。おいしかった?」

「はい、とっても。すごくいい雰囲気なのに料理が気取ってないから食べやすくて、ついお酒も進んじゃいました」


そういうと両方の頬に手を当て、酔った感じをアピールした。


自分でも『あざとい』と思ったが、情報サイトのよくあるランキングで


「男性が女子をかわいいと思う瞬間」


というのがあって、一位は


「気持ちを素直に出す」


だったことを思い出し、ちょっとぶりっ子とは思ったが、あえてしてみた。


するとその”誘い”にまんまと(いや、わかっていて)乗ってきて、そっと肩を抱きしめられ、裏通りの人気ひとけのないところで、スっとキスをされた。


やっぱり大人のエスコートだと心から酔いしれた。


そして、もうわかっているかのように、そのままホテルに入り、ドアを閉めたとたんに、さっきの優しいキスとは違う、荒々しい、でも愛を感じるキスを降らせてきて、そのままシャワーを浴びることもなく、すべてを晒されて、彼の好きなようにむさぼり喰われた。


しかし、その荒々しさがかえって燃えさせ、自ら彼自身を求めている自分に気づき、終わった後、とても恥ずかしさを感じた。

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