古田由緒(フルタ ユイ)の場合⑨

次の日曜日


最寄りの駅に降り立つと地図アプリを起動して、彼の家までの道のりをセットした。


「徒歩八分」


表示を頼りに歩き始める。


駅前の商店街を抜けると、住宅街に変わり、とても静かな雰囲気の街並みだ。


いくつかの角を曲がるとそこからは一直線の道路に沿って、五十メートルほど行った右側にそのマンションはあるはずだ。


徐々に近づいてくると彼が待っているわけでもないのに胸がドキドキと高鳴ってきた。


「どうしよう」


いまさらだが、ふいに訪れて迷惑にならないか、出かけていたほうがホッとするかも、

さらには、実は別の女と暮らしていて見せられなかったとか、など勝手に想像を巡らせて、独り心の中で「きゃあきゃあ」と騒いでいた。


ついに彼のマンションらしき建物に近づく。


マンション名を確かめる。


間違いない。


外の扉はオートロックではない。


内扉の前に部屋番号を押すタイプのインターホンがあった。


でも、単身者用だからなのか、モニターカメラはついていないようだ。


しばらくどうしようか迷ったが、ここは意を決して彼の部屋番号を押した。


反応がない。


3秒ほどして、あきらめて外に出ようとした時、インターホンが「ガチャ」という音を立てた。


こちらが声を発そうと息を吸った時、スピーカーから


「はい、どちらさまですか?」


女の声だった。


全身から血の気が引いて、どう対処したらいいかまったくわからなかった。


「もしもし?」


なおもその女の声は問いかけてくる。


「あ、すみません!部屋を間違えたようです!」


咄嗟にそういうと、「ガチャリ」といって無言のままインターホンが切れた。


本当に部屋番号を間違えたと思い、切れた瞬間に部屋の表示番号が映し出されたのをもう一度確かめて、写し撮ってきた彼の住所をもう一度見た。


同じ部屋番号だった。


茫然自失ぼうぜんじしつ


でも、部屋番号を見間違えたのかもしれない。


苦しいが自分に言い訳をぶつける。


でも、もう一度インターホンを押す勇気はなかった。


そのマンションから少し離れたところに小さな公園があった。


ちょうどこのマンション側を向いているベンチがあったのでそこに座ってしばらくその入り口を見張っていた。


「彼が出てくるのではないか」


きっと彼は出てきて私の存在に驚き、でも嬉しそうに笑顔で私を受け入れ、そのあと買い物に行って彼の家で食事を作り一緒にワインを飲みながら愛を語らう。


また、妄想が進んでいた。


初夏とはいえ、陽射しを遮るものはなく、日焼けを気にしながらもその場からなかなか離れることができなかった。


すでに二時間近くが経った。


「なにやってんだろう、わたし……」


そう思って少し現実に戻りそうになった時に、マンションの表玄関が開いた。


彼だ!


休みの日らしく、Gパンに白っぽいTシャツをきて薄手で明るい黄色っぽいカットシャツを羽織っていた。


彼が出てきて、声をかけようと立ち上がろうとした時、彼がマンション側を振り返って笑顔を向けていた。


その先には、セミロングでスラッとした細身の女性が、薄い白と緑の花模様が入ったワンピースを着て、白に近いベージュの踵のあるサンダルを履いていた。


『美人』


一言でいえばそういう人だった。



帰りはどういう道のりを辿ったのか全く記憶にない。


玄関に入ると


「おかえり」


と母が出迎えてくれたが、応えることなく母の横をすり抜け

二階へと続く階段を上った。


自室に入るとベッドで一緒に寝ているクマのぬいぐるみを抱え、その場にへたり込んだ。


「はあぁー」


大きなため息をついた直後に、ドアをノックされ、母が入ってきた。


母は私を見つめながら、何も言わず、部屋の入り口に立っている。


「どうしたの?」


私がきょとんとして尋ねた。


「ん、なんか由緒ちゃんが、ちょっと寂しそうに見えたから」

「え?」


「大丈夫かなって思って……」


言われた瞬間、私はせきを切ったように泣き出し、小さな子供のように母の胸に飛び込んでいた。


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