第36話 訪問者②

 佐々木涼太。

 瑞樹が彼と出会ったのは5年前――瑞樹が中学校に入学する少し前の時期だ。


 小学校を卒業し、学校という檻から自由の身になるこの時期、瑞樹の同級生は当然のように遊び惚けた。勿論、瑞樹も誘われた。

 だがこの時から瑞樹の人格は完成していたのだろう、全ての誘いを突っぱね、他人と深く関わらないようにしていた。とはいえ、当時の瑞樹には趣味と呼べるものがなく、毎日を無機質に過ごしていた。


 それは偶然だ。瑞樹が涼太に――彼の所属する極秘研究チームに出会ったのは。少なくとも瑞樹はそう感じている。

 そのチームこそが瑞樹の目指す場所であり、研究を続ける意義だ。


 運良く見学させてくれることになったが、それはたった一日だけ。しかし瑞樹はその時間で人生の道を見つけたと言っても過言では無い。


 その日、瑞樹は小さい頃に想像した現実では到底成し得ない、馬鹿げた幻想ゆめを思い出した。

 研究を始めたのは、その時からだ。



☆☆☆☆☆



「なるほど、異世界ね。興味深い話だ。……にしても魔法か。君が目をつけるだけあるよ」


 自己紹介の後、瑞樹は自身の考察を話した。この青年――涼太なら信用できると思ってのことだが、条件として何故しているのかを問うた。


「あれ、バレてた? って、君なら仕方ないか。目的は報告だよ、任務の遂行具合のね。昨日のうちに気づいたと思ったんだけどな」


 それを聞いて、瑞樹は軽い頭痛を感じた。


「今のところ魔法についてわかっていることは?」

「俺は使えません、ニーナも条件次第。環境に要因がある所までは間違いないないが、因果関係はまだ不明です」

「なるほど、良い目をしている。流石だよ」


 涼太は取り出した手帳にそれまでのことを、スラスラとメモをとった。盗み見るも、瑞樹には読めない。字の乱雑さは昔から変わらない。


「……それだけですか?」


 涼太が手帳を仕舞うタイミングで瑞樹は言った。それは何気ない疑問。しかし涼太は、瑞樹のこれが隠し事の追究であると感じた。


「察しの良さは相変わらずだね……。ああ、勿論あるとも。君に伝えるべき事がね!」

「なんですか?」

「教えるけど、その前にやっぱり敬語はない方がいいな。特に瑞樹君、君からはね、慣れないよ」


 一回り近く歳が離れているのにタメ口はどうかと思えど、本人が良いと言うなら良いのだろう。むしろそうしなければ話が進まない。


「分かった、これでいいのか? 佐々木さん」

「うん、それでこそ瑞樹君だ。敬称もなくていいけど……お互い様か。じゃ、本題に入るね」


 涼太が息を吸う一瞬。しかし瑞樹はそれが数倍の時間に思えた。


「言ったとおり、僕は君のお目付け役――試験官をしていた。あの理事長から頼まれ事だけど、合格基準は僕の判断だ。そして見事君は合格だ! おめでとう、そして、ようこそ! 我が研究チームへ!」

「――っ!」


 瑞樹の隣では、早々に話についていけなくなったニーナが黒石を弄る作業に入っている。


 ――やっと、この時が来た!


 瑞樹は心臓が高鳴るのを感じた。鼓動が速まり、拳を強く握る。


 長かった。理事長に申請してから1年、夢を追いかけること4年。

 たった4年で夢が叶うのならどれだけ良いか。瑞樹はこの4年を経て、ようやく本格的な研究のスタートラインに立つ資格を得たのだ。若干フライング気味ではあるが、全てはここから始まる。


「えっと、結局つまり、どうなったの?」


 ニーナが訊ねる。


「夢に一歩近づいたんだ。僅か一歩、だけど重要な、大きな一歩だ」

「私のいた世界にも行けるんだよね?」

「勿論だ」


 このことは外部に漏らす訳にはいかない。極秘情報だ。正気を疑われるレベルの。

 それには公に出来ない理由があった。


「推薦状は今週中には届くと思うよ。それを持って週末にでも来るといい。場所は覚えてるよね?」

「記憶が正しければ」

「それじゃ、問題ない訳だ。あ、周りはちょくちょく外観を弄ってきてるけどウチは変わってないから安心してね。道順も同じはずだよ」


 あの辺りは学研都市であり、至る所に研究棟やそれにちなんだ施設がある。「ここから敷地内」といった仕切りはなく、一般人でも自由に出入りできるのだ。建物内はその限りではないが入館を許している施設もあり、娯楽施設もあるため外部の客も少なくない。


 ただし、涼太の所属するチームの棟は入り組んだ順路の最奥部にあるため、正しい道のりでないと到達することは不可能だった。

 似通った道が続き、初見ではクリア出来ない迷路。徹底した秘密主義である。他言は許されない。


「ニーナを連れていくつもりなんだが……?」

「彼女は良いんだよ、貴重なデータだし。それに君が付いていないと」

「そんなものか?」


 瑞樹は頭を掻いた。

 ニーナは確かに研究の関係者だが、涼太の口ぶりからして、瑞樹と一緒だから許されているようにも聞こえる。母親が赤ん坊を連れるのに理由はいらないような……。


(事実だから何も言えないんだよな)


 ニーナが誰かに口外するとは瑞樹には思えなかったし、その「誰か」も一人しか候補が挙がらなかった。口外するにしても、もう一度話せるのなら好都合だ。


(ま、俺が心配する必要はないか、対策はしてるだろうし。それにあいつも貴重な参考データだ)


 サンプルは多い方が良い。実験は回数を重ねる毎に真相に近づく。


 流石にもう敷地内にはいないだろう。警察が聞き込みをし始めている。

 次会った時は共同作業を申し出てみようかと考える。先刻の話が本心ならば良い返事が期待できるはずだ。


「そろそろ迎えがくる時間なんだけど……うん、時間ピッタリだ」


 涼太がそう言ったのと、彼らの隣に一台の黒い乗用車が停ったのはほぼ同時。ハザードを焚くと、運転席からスーツを着た女性が降りてきた。

 若く、女性にしては背が高い。涼太の部下だろうか。真面目そうで、乱雑さの目立つ涼太には適役だ。


 これぞ大人の女性。あらゆる点でニーナの対照にあった。


「時間通りだよ。すごいね、珠緒」

「仕事ですので」

「いつも言ってるけど敬語は要らないってば」

「いえ、公私は区別してますので。貴方と違い」

「ははは、悪いね瑞樹君。ウチの助手、堅苦しくて」

「……はぁ、貴方が気楽すぎるだけです。いつか困る時が来ますよ」


 そう言うと、瑞樹に向き直り。


「初めまして、貴方が瑞樹さんですね、神田珠緒と申します。涼太あれに手を焼かさせることも少なくないでしょうが、以後お見知り置きを」

「……心中お察しします」


 瑞樹はこの女性とは初対面なのだが、その苦労が共感できた。


「次の予定が入っていますので、今日の所はこれくらいにしましょう。涼太さん、行きますよ」

「はいはい、分かってるってば。それじゃ瑞樹君、ニーナ君、また来週!」


 後部座席に乗り込み、窓ガラス越しに手を振る。角を曲がり、姿が見えなくなるまで続いていた。


「ミズキ、あの女の人、大きかった」

「そうだな。ヒールを履いてなくてあれだもんな。喜多嶋よりも高いんじゃないか? 同情は……しないが」

「身長もそうだけど、あの胸は反則。ズルい」

「……お前にコンプレックスがあったのか。まあ、それは身長相応だろ、これからだ」


 瑞樹が意外なニーナの弱点に驚いていると、先程の時間に連絡先を交換しておいた涼太から、一通のメールが画像とともに送られてきた。


『どうだ、羨ましいだろう? 僕の目の保養所だ』


 気になって画像ファイルを開くと、それは後部座席から撮ったであろう、珠緒の豊かな胸。服で隠れていようとも、しっかりと存在感をアピールしている。


「「…………」」


 ニーナの瞳に浮かぶのは悔しさだろうか。自分の胸部をさすっては、ため息をついている。


 ブロック・削除しようとするも珠緒に報告すべきだと思い、一言『ごめん』とだけ送信すると、連絡先を非通知に設定し直した。

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