第20話 天空の風車③

「燃えているのか。火事――いや、でもどこが?」

「ミズキ?」

「火事かもしれない。どこか燃えてないか探してくれ」

「わ、わかった!」


 瑞樹は東西南北、全方位地平線まで見える範囲をくまなく探す。


 風向きを頼ろうにも風上は海で、港はこのショッピングモールに接している。燃えるようなものはいちいち規模が大きく、しかも燃えていない。

 正直なところ、瑞樹は風向きを当てにしていなかった。


 しかしいくら探したところで火災現場は見つけられない。それどころか、先程までは微かに流れてきた程度の臭いも、今やはっきりと知覚できるほどになっていた。


 火事が強まっている。つまりはそういうことだ。

 死角となる場所も高度百メートル以上となるとそうなく……。


「死角……いや、まさか?」


 確認したくない。それが本当であってしまいそうだから。だからといって事実の確認をしない訳にもいかない。


 背伸びをすると、危険を承知の上で屋根に覆い被さるようにを見る。

 刹那、そのおぞましい景観に、瑞樹は背に冷や汗が流れるのを感じた。


 観覧車の鉄格子に沿って、炎がゆっくりと有機物を求め登って行く。

 今はまだ中心に達していないが、瑞樹達の元へ到達するのも時間の問題だ。


 金属に火がついて燃えることはないが、金属に付着した有機塗膜はそうでない。

 見栄えを重視したデザインにするためか、何度も上塗りを繰り返した結果、炎の進む良いルートとなってしまった。


 全体的に青く塗られた格子上を激しく揺らめきながら進む様子は、怒り暴れ回る龍のよう。


 いくら赤い炎は温度が低いとはいえ、千度はある。人間を蒸し殺すには十分な温度だ。そうでなくとも観覧車が止まるという事故の最中なのだ。

 不幸は続くというが、正に不幸の連なりだった。


(まずいな。このままだとニーナもろとも蒸し焼きだ。どうしたものか……)


 幸い炎の進行速度は遅く、ヘリコプターなりなんなりで逃げる猶予はある。消防車が駆けつけて消火が間に合うかもしれない。


 しかし、どうせ助かるならと他人任せにし、自分達はくつろぐ、などの行動はとれない。

 自分達の命が懸かっているのだ、自らにできる最善のことをするものだ。


 瑞樹が選んだのは、変に取り乱して事態を悪化することのないようにリラックスして備えることだった。


「しばらくここで……」

「ミズキ! 魔法が――魔法が、使える!!」


 瑞樹がゴンドラ内に戻ると、今日一に興奮したニーナが叫んだ。


「何!?」


 ニーナははっきりと言った。魔法が使える、と。


 それは、何度かあった魔法が使えそうではなく、意識しない魔法でもなく。


「使えそうな気がしたから試して見たら使えて。しかもなんだか段々制限が消えていくみたい! 復活した。私の魔法!」


 その言葉は、どこか瑞樹の心の奥深くに根付いていた暗い諦観に、一灯のちっぽけな、それでいて眩い光を灯した。



 瑞樹は神を信じない。信じたところで何も恵んでくれないことを知っているから。

 神もサンタクロースも画面の先のヒーロー達も、みんないない、フィクション、妄想、嘘、虚言。


 困ったことがあったらどんな時でも彼らが救ってくれると教育されてきた瑞樹だったから、クリスマスの夜にふと目を覚ますと赤い帽子に真っ白な付け髭の父親と目が合った時は、世界が否定された思いをした。


 普通に考えて空飛ぶトナカイを従える人物がいるはずがないことは容易に想像出来たが、意地でも目を逸らし続けてきた。


 それは瑞樹が小学四年生の頃。


 その真実はまだ十歳の少年にとって、あまりにも残酷で虚しいものだった。

 翌日から瑞樹の信じていたもの達の存否を調べ回り――ことごとく否定された。


 その日以降余計な信仰を捨て、辻褄の合わないものは信じない、合理性を追求した生活を心がけるようになった。


 しかし胸に空いた物足りなさを埋められず、月日が流れる。


 そんな心情の中、瑞樹はとある研究所を訪れた。


 そこで、瑞樹が便利だと思っていたのは科学の一部に過ぎず、極めればありとあらゆる事を可能にする事を知った。


 凄まじい技術と無限の可能性。

 無理だと思い込んでいた子供の夢も実現の可能性があり、研究次第では全てが可能になる。


 瑞樹はその分野に特出した才能を持っており、研究をすればするほど新事実が浮かび上がってくる。

 いつしか瑞樹は研究にのめり込んでいた。


 初めての研究は研究所の見学からだったが、この時の瑞樹は身の毛がよだつのを感じた。

 自分の知らない、未来を変える力に。


 そして現在、ゴンドラ内でも同じものを感じる。

 瑞樹は思う。魔法も科学も似通っていると。


「今なら見せてあげれるよ、私の国のとっておき。どうか助けてくれますように。そして、これがミズキのヒントになりますように! えいっ!」


 アパートの階段の下で感じた、流れるような異様なもの。それが室内に満たされているような感覚に陥る。


 ニーナの周りの空気が自我を持ったように動き回る。ジェットコースターから降りた直後のような酔いに近いものを感じるが、不思議と不快感は湧いてこない。


 ニーナが手を天に突き出すと、それが一斉に天井の窓から飛び出して行く。

 色はなく、匂いもなく、質量も極小で存在の確かめようがない。


 しかし何故か瑞樹には分かった。これが第六感なのか、根拠はない。


「来た!」


 それは歓喜の証であり、事態を急変させる狼煙となった。良い方向に、だ。


 入道雲がのらりくらりと漂う真っ青な晴天が、ニーナを中心として同心円状に黒い雲が空を覆う。

 観覧車の上空だけでない。一呼吸入れた後には市内全域――それよりも広く、目に見える範囲全てが真夜中だと勘違いするほどに、黒く染まっていた。


「ん? 雨か?」


 一滴の雨粒が瑞樹の頬に触れた。


 初めはポツリ、ポツリと一滴ずつ、しかし一秒ごとに振り落ちる雨粒の数は倍増し、十秒としないうちに晴天は大雨へと切り替わった。


 慌てて窓を閉めようとするも、強制的にこじ開けたためきちんと閉まらず瑞樹は諦める。

 しかし落ち込みはしない。

 冷たい雨が燃え盛る炎の熱を奪い、新たな火の成長を抑制し、完全に鎮火したからだ。


 やがて雨もすぐに止み、漆黒の雨雲は色を失うように霧散していった。極端すぎるゲリラ豪雨だ。


 この日の天気予報によると、晴天、傘は必要ないものだった。事実、雲はあれども雨を降らすそれでは無い。


 だから太陽光を遮る程の分厚い雲は人々に不安をもたらした。たった数秒の集中豪雨による被害も大きな事件のようなものではなく、衣服や乾燥中のものをびしょ濡れにするという不快感を与えるだけに留まった。


 もっともそれが良かったとは言えないが、大災害が起こることも無く、加えて火事を消したのだ。人によっては天の恵みのように感じただろう。


 魔法という名の人智を超えた力。

 たかが雨。しかしこの雨に瑞樹は言葉に表しきれない戦慄を覚えた。


 トスッ。


 緊張の糸が切れたのか、ニーナが力なく座り込む。

「あはは、流石に疲れちゃった。でも、魔法について少しは伝わったかな?」


 慣れない環境の中短時間とはいえ天候を大きく変えるなんて荒事を成したのだ、疲れない訳がなかった。


「助かったよ、ありがとうな」

「へへっ! 褒められちゃった」


 平然を装っているが、その荒々しい息遣いが行ったことの難解さを物語っている。

 降り込んだ雨水で席が濡れていたことをニーナは気づいていなかった。

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