第8話 新たな生活で②
「おーい、ニーナ。着替えはこの棚に置いておくぞー」
「はーい!」
瑞樹が着替えを棚上に置くと、浴場からは鼻歌交じりの陽気な声が返ってくる。
向こうの世界の歌がどのようなものか気になりはしたが、この場に長居するわけにもいかない。
全体的に黄ばんだワンピースを洗濯機に入れると、電源をオンにした。
身支度もすでに済ませもう出るだけの瑞樹は、することもなく、手慣れた動作でスマホの検索ページを開く。
彼の探していた話題はトップページに太文字と強調され、見つけ出すのに苦労はなかった。
その文字に触れ、ページが移動してから気がつく危険性。
『発火原因不明 犯人逃亡 手がかりなし』
見出しにはそう書かれていた。
犯人逃亡はまだ分かるとして、何かしら手がかりはあるものだ。発火原因不明とはどういうことか。放火、自然発火、ガス漏れ、灯油、黄リン……。
考えるほどに、謎が深まる。
(理事長の話もあって、未知数が過ぎる。しかし人が入った形跡はある、か)
人為的なものであることまでは解っていて、それなのに原因が掴めない。
理事長には悪いが俺の手に余る――そう思い始めていた。
――あるいは魔法とか。
この考えを浮かべてしまった自身に、瑞樹は多少の嫌気がさした。
――そんなはずはない。この世界に魔法はない。現に、ニーナだって失敗したじゃないか。
意思を強く持ち、その考えを振りほどく。あくまで可能性の一つでしかない。
正解が何であれ、この段階では現地へ行くしか手がなかった。
ページをスライドさせ気になるニュースを見ていると、両手を前で握りしめたニーナが恥ずかしそうに出てきた。
着慣れていないせいなのか、その足取りはおぼつかない。
予想通りニーナには一回り以上大きく、ゆるく感じるが、ダンサーの着るようなブカブカの服にも見える。
量産品の単調なデザインのものだが、その分男女どちらも着れるようになっており、実際ニーナは非常に似合っていた。
「ど、どう?」
「悪くないんじゃないか」
「そう……!」
嬉しそうにはしているが、未だ恥ずかしさは残ったまま。
「ねえ、私ずっとこの格好?」
「気になったものがあったら買ってもいいさ。好きなものを選べよ」
瑞樹の一言に、ほっと胸をなでおろす。
「荷物は……なさそうだな。じゃ、行くか」
ニーナが頷いたのを合図に瑞樹は電気を消し、家を出た。
その際に思い出したことだが、ニーナは靴も持っていない。
それに関しては瑞樹が通学用の靴を使うことで解決したのだが、瑞樹のスニーカーを履いたニーナのファッションに、女らしさは皆無だった。
いや、皆無は言い過ぎか。
それでもその表現がぴったりなほど、女性用のものは一切使用していない。
髪がもう少し短小だったならば、男装は完璧だっただろう。あるいは帽子でも被れば、また変わってきたのかもしれない。
そうすれば知り合いと合間見えた時などに、彼は弟だ、と誤魔化すことができた。
例えば今、この場面において。
「これは瑞樹ちゃん、女の子と部屋から出てくるとは何事!? そっか、そういうお年ごろなんだねー。お嬢ちゃん、彼は優しくしてくれた? 乱暴されたらお姉さんに言うんだよぅ」
二人が家を出たのと同時に厄介なお隣さんもドアを開け、瑞樹達を発見してしまった。
無い物ねだりしてもしょうがないが、ニーナは短髪にしてることはなく、帽子を被ってもいない。
まさに厄介な隣人だと思う。それに加え、
(どこかお姉さんだ。年齢詐称のおばさんだろ)
内心愚痴をこぼすが、まるで心の声が聞こえていたように視線を向けられ身を強張らせる。
単なる勘違いなのだが、この時の瑞樹は女性の年齢には絶対に触れてはならないと、固く誓った。
「ところで昨日の鍋の件ですが、僕の不手際で割ってしまいました。すいません……」
「あら、そうなの? まあいいわ、所詮は安物ね。劣化も早いんでしょう」
瑞樹はわかりやすく話題を逸らす。
突風の類については口が裂けても言えない。バカにされる以前に、そもそも信じてもらえないのは火を見るよりも明らかだった。
「ああ、弁償金しようなんて考えなくて良いわよ。貰い物だし。でもそのかわり……」
そこまで言うと語尾を伸ばし、声を潜めながら。
「彼女ちゃんをを大切にするんだよ」
見せつけるように小指を立てた。
「そ、それでは僕たちはこれで、失礼します……」
ニーナに余計な知識を身につけさせまいと、瑞樹はニーナの手を取り逃げるようにその場を離れた。
彼女には何故逃げたのか、瑞樹の真意は伝わらなかったようだが。
瑞樹の家は二階で、下に降りる手段は階段を使う他ない。そしてこの階段は足の踏み場面積が小さく、一段一段がやたらと高く、加えて急であり。
ゆっくり歩く分にはまだ良いとして――それでも相当危険だが――走れば危険度はそこに留まらず、軋む足場が抜ける可能性まであった。
大家も改良する気がなく、手すりすら取り付けられていない。
木造住宅築四十年、リフォーム回数ゼロ。
一階で年に負け悠々と暮らしているからなのか、危険性はひどく高いのにも関わらず未だ怪我人が出ていないからなのか。
そろそろ敷地内を建設会社の従業員で囲まれてもいい頃ではないかと、住民皆が思っていた。何年も前から。
そしてついに、建物の安全性が見直される事件が起こった。
事件といっても大したものではなく、勢い余った瑞樹が階段の一段目を踏み抜いてしまった程度。
しかし、足場が抜けたせいでスピードが殺しきれず力強く二段目に足を掛けてしまい。
「「うわぁぁあ!!」」
連鎖的に階段を破壊しながら滑り台のごとく、前方へと進んでいった。
あまりに唐突すぎたため彼らに受けの態勢をとるための時間はなく、できたのは叫び声をあげるだけ。
だがこの行動も虚しく、数メートルの長さの位置エネルギーが運動エネルギーに変換され、二人の身体に地面への激突という形で衝撃が――。
「「へ?」」
全身を駆け巡ることはなく。
ジェットコースターに乗るような一瞬の浮遊感を感じた時には地面に転げていた。
「いてて。ニーナ、無事か?」
「うん、なんとか。ミズキの方は……大丈夫そうだね」
痛みを感じてはいるが、リレーでつまづいた時程度のもの。
本来の怪我の具合よりも随分と軽いものだった。
瑞樹もニーナも、一瞬の出来事すぎて自体を把握できずにいた。
だが、ただ一つ言えることは。
(これも魔法なのか。でも何故、今?)
この短い間に瑞樹は、繋いだ手から何かが流れ込んできたのを感じた。流動体のようであり、実態を持たないもの。
そして先日の夕方に感じたものと似通ったもの。
――どうして今使えるのだろうか。
ニーナに魔法を使ったという自覚はなさげだ。
今すぐ部屋に戻って研究を進めたい衝動を抑え、服についた汚れを払った。
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