第19話
「Hさん、今日の午前中に電話があって、その後すぐいらしたのよ」
妻が言った。二日後の事だった。
「庭木は全部お任せしたわ。私、良く分からないし、目的は目隠しって言ったら、いい木がある、って言われてね。見積もり頼んだの」
「それは良かったね。Hもやる事が早いなあ」
「ハキハキした方ね。なんか、職人って感じ。礼儀正しいし、髪の毛も清潔で短いし」
「へえ、そんな感じだったんだ」
「そうよ。あら、会ってないの?」
「ああ、高校卒業してから全く」
「そうだったの? もしかしたら嫌だった?」
「いや、別に良いよ。そんな事気にしないし、あいつもそんな奴じゃないよ」
私は妻へそう言ったが、Hだって人間だ、何年か経てば変わっているものかもしれない。小さい会社とはいえ経営者だ。苦労していないはずがない。妻の話を聞いて、私が抱いているHのイメージは、すっかり無くなっているかもしれないと思ったら、何も知らずに連絡を取った自分の行動に少し震えた。
その翌日「見積もりが来た」と言って妻に書類を見せられた。厚手の紙の見積書は、立派な明朝体で社名が誇り高く印字されていた。それを見る限り、Hの会社はきちんとしていると感じた。Hはしっかりとした大人になっているのだろう。
「思ったより安かったのよ。全部やってくれてこの金額よ。自分で木を買ってきてやる事を考えたらすごく安いわよね」
「そうだな。こんなに安いんだ」
「友達料金かしらね」
私はハッとした。
妻の発想は、ごく普通なのかもしれない。それを妻も狙っていたのだろうか。私はHにそんな気を遣わせたのかもしれないと思ったら、自分が卑しい人間に思えた。全くそんな気持ちもなかったのに、それを臭わせていたのかもしれない。Hは、私が嫌な人間に成り下がった、という印象を持ったかもしれない。想像ばかりで、自分をマイナスに評価するしかなかった。妻の一言は、簡単に吐き出されたが、私には重くのしかかった。
それを気にして私は何度かHに電話をしようとしたが、金額を見てからどうのこうのと言うのも、ますます卑しい人間に思われるようで止めた。たかが庭木何十本の事で、これほど悩むことになるとは。
安本と林との飲み会で、その件に関して話した。
「気にしなくてもいいよ、そのHさん? だって友達から仕事もらえて嬉しいでしょ」
林は想像通りの答えを出した。だが安本は違った。
「お前、ただの馬鹿だな。ちゃんと考えて行動しないからだよ、いつも」
安本はまっすぐで正直な奴だ。語尾についた、いつも、という言葉が気になった。
「そうは言ってもさ、皆がみんな、最初から値引きを期待して頼まないでしょ。僕だって、頼める知り合いが居たら気軽に頼むよ」
林はそう言って、満面の笑みで、私の顔を見た。
「確かに僕は、何も考えてないんだ。いつもね。特に家では。それに仕事の事だって。怠惰なんだ、毎日」
私はそう言って黙ると、
「子供、いるんだろ」
安本は、優しい声で呟いた。
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