第103話 力尽きた鳥

 それは父親が肌身離さず、いつも持ち歩いていた護身用の拳銃だった。


 ハイル亡き後、寝室横の引き出しに仕舞われていたそれを、自分用にとケインは父親と同じく寝台のすぐ傍に置いていた。


「声が……収まった……のか?」


 ケインが拳銃を手にしたその瞬間、耳の中で反響していた声が突如として掻き消えてしまった。


「まさか、これがその『答え』だっていうのかい?」


 誰に聞かせるわけでもなく、ケインはそう呟いた。


 それが自分自身への問いかけなのか、それとも亡き父親への返答なのか、彼自身も定かではなかった。

 だが先程まで悪夢のように魘され聞こえていたはずの声が止んでしまったのだ。「これは神からの啓示か、もしくは導きか何かではないのか?」と彼は思わずに入られなかった。


「これで身を守る? いや、それとも……」


 最初はその拳銃で声のを撃ち殺そうと思っていたのだが、今は不思議と別の考えが彼の頭を過ぎってしまっていた。


「ふっ……ふっははははははっ。ま、まさかまさか……“それ”なのかい?」


 彼は自分の今思っていることが心のどこかで外れて欲しいと笑いながら思いつつも、それが今は亡き父親、あるいは神から与えられたモノではないかと考えるようになっていたのだ。


 拳銃で自分の身を守る以外で出来ること……それは自ら銃口を突きつけ引き金を引くだけである。


「ごくりっ」


 今の彼は精神的にも肉体的にも疲れ果て、そして今は亡き父親の声が聞こえるという幻聴から、冷静な判断ができなくなっていたのかもしれない。

 当然そんな彼が拳銃を手にしてしまえば、“する”ことは既に決まっていた。


 両手の手の平に乗せた、くすんだ鼠色に鈍く光る拳銃を片手で持ってみる。

 軽量化もしくは価格を抑えるためなのか、握る持ち手部分には一部だけが木で作られていた。


 握られたグリップから木の冷たさとともに、ズッシリとした重みが伝わってくる。

 表面上の手入れだけは欠かさずしていたが全体的に古びているため、まるで血のような古びた鉄の臭いが鼻の奥底を嫌にくすぐる。


「弾は……1発のみか」


 カチャッ。

 ケインは発射薬の装填部である回転リボルバー薬室チャンバーの留め金を外すと、中に弾が入っているかを確かめた。


 次点の弾倉部には一つだけ弾が入れられている。


 きっと護身用のために事前の用意はしていたのだろうがあまり使う機会がないからと、彼の父親は普段から全装填部に弾込めはしていなかったのかもしれない。


 本来なら保険的な意味合いで全装填部に弾を込めるべきなのだろうが、基本的なメンテナンスを怠ってしまうと薬室に湿気が溜まってしまい、火薬が湿気ってしまったり弾を込めている薬室に接触部分から錆が発生してしまうことがある。


 当然火薬が湿気ってしまえば引き金を引いても発火せず、また錆つけばスムーズに弾が発射されず下手をすれば薬室内部で暴発する恐れまである。


 このため普段からメンテナンスをしていない場合には、必要最低分だけ弾込めをしている貴族達がほとんどだった。


 自分の命を預けているというのに道具の手入れを怠るとは甚だ本末転倒ではあるが、それだけ寝室に置かれた銃が日常的には意識の外にあるのだとも受け取れる。


「確か他のと一緒にケースも持ってきたはず……あった」


 カチャッ。そうして留め具を元に戻すと、ふと他に弾が無いのかと引き出しの中を探し見てみれば、厚紙で作られた四角の赤いケースが目に映った。それは弾が入れられている紛れもない弾ケースである。手に取ってみればズッシリと重く、箱の中の残弾数が多いことを示している。


「随分とたくさんあるものなんだな。もしかしなくても、まったく使われていなかったのか?」


 中を開けてみると意外や意外これまでほとんど使われてこなかったのか、2、3発分ほどの隙間しかなく箱の中には弾丸を上向きにしたまま整然と並べられているだけだった。


 そこに収められている弾数を数える気はないが、優に50発近くはあるようだ。彼が今持っているリボルバー式拳銃は6発分しか装填できないので、これだけでも十分すぎるほどの弾数である。


 ケインはそこから空いている左手で適当に弾を掴み取ると、近くにある窓際のテーブル上へと無造作にもばら撒いた。


「ふぅ~っ。まずは……」


 椅子に腰を下ろすと深い溜め息を吐き出し、再びリボルバー脇にある留め具を外した。

 そして乱雑にテーブル上にばら撒かれた弾に目を向けると、空いている左手を伸ばして一つだけ指で摘まんでみる。


「んっ……冷たいんだな。ま、周りが金属で覆われているんだから、それも当然と言えば当然だよな」


 そのまま装填するのかと思いきや親指と人差し指、そして中指の指の腹で転がしながら全体的を撫でその感触を指で確かめている。


(こんな小さなもので、人の命を容易に奪い去ることができるんだな。きっと頭に向かって撃てば痛みを感じることなく、あの世へ逝けるはず)


 自らの運命が指で摘まめるほど小さなものに委ねられているのだと考えると、ケインは何故か感傷に浸ってしまう。


「んっんっんっ……ふぅ~っ」


 そして徐にテーブル上に乗せてあった水差しからグラスへと水を注ぐと、体の芯から沸き立つ得も言えぬ熱から逃れるよう一気に呷り、椅子の背もたれに持たれかかると息を吐いて気持ちを落ち着かせる。


 水を飲み少し間を置くことで、これからするであろう自らの行いが本当に正しいことなのか、また他に選択肢は無いのかと考えるが生憎と良い考えが浮かぶはずがなかった。


「……んっ? なんだ、お前も水が欲しいのか? ったく、俺と同じく世話のかかるやつなんだな」


 ふと先程倒しそうになってしまったテーブルの端っこに置いてある、黄色カーネーションが入っているグラスが目に付いた。


 グラスの中には水は入っておらず、妻であるマーガレットが水を入れ忘れたのか、それとも水を吸わせずとも長持ちする性質の花なのかまでは分からなかったが、ケインはとりあえず水を入れてやろうと、水差し片手にグラス脇に注ぎ口を当てそのまま傾けた。


「あっ、クソっ。手が震えちまって……あーあー、こりゃまた随分と派手にやっちまったな。カーペットまで広がっちまったぞ」


 何故か手が振るえ上手く力加減ができなかったためグラスを押しすぎてしまい、そのまま横に倒してしまった。

 幸いにもその力が弱かったおかげなのか割れるまではいかなかったのだが、代わりにコップに入った分と傾けられた水差しから並々と水がテーブル上に広がり床のカーペットまで濡らしてしまう。


「これだとまたマーガレットに説教をされてしまう……あっ!」


 寝室のカーペットを濡らしてしまい妻に怒られるのではないかとケインは一瞬思い浮かべたのだが、テーブル上には他にも物が乗せられていたのをそこで思い出した。 


「た、弾にも水がっ!? それにケースまで濡れて……クソっ!!」


 無造作にもテーブル上に置かれていたいくつかの銃弾と紙のケースにも、自ら零してしまった水が容赦なく襲いかかり水浸しになっている。


「ほんっとツイていない時ってのは、案外こんなもんなのかな」


 ケインは水で濡れてしまった弾を指先で摘まみ上げると、そんな独り言を口にする。

 持ち上げた弾からは滴がポタポタと零れ落ちケースも外側は厚紙とはいえ元々紙で作られているため、当然下向きに並べられている火薬部分にも水が浸透しているのは誰の目に見ても明らかだった。


「これ、は……? 不幸中の幸い……いや、不幸中の不幸とも言うべきだろうな。だが…………これで俺の腹は決まった」


 けれども脇に置かれ、水の災難を逃れたモノ・・がいた。

 それはテーブル脇に置いておいた拳銃だった。


 先程確認したとおり、その薬室の中には1発だけではあるが、ちゃんと弾が込められている。

 護身用であるはずの弾が彼自ら零してしまった水から難を逃れ、彼自身の運命を左右することになってしまうとは皮肉なものである。


「…………すまない、マーガレット。んっ…………っ」


 ケインはその銃を手に取り握ってその感触を確かめつつ、妻であるマーガレットへ最期に謝罪の言葉を残すと、自ら確実に死ねるよう・・・・・・・・に銃口を咥え、狙いがズレぬよう歯で挟み込み固定。そして逆手にした親指の腹でゆっくりと引き金を引いていく。


 グググッ……。

 リボルバー式なので引き金と連動して、ゆっくりと弾が込められている回転部が着実に死へと向かい、中央へ回っていくのが彼の瞳にも映りこんでいた。


「うぐっ……う、ぅぅっっ」


 自ら『死ぬ』を選んでしまったという恐怖心も手伝ってか、ケインは情けなくも涙を流しながら失禁してしまっていた。

 履いているズボンが濡れしまい恐怖心と相まってどこか不快であるが、そんな気分ももうすぐ杞憂のうちに終わってしまうことだろう。


(これで……これでいいんだろ。なぁそうなんだろ……デュラン?)


 カチッ、パンッ!


 彼が心の中でそうデュランへ問いかけるとほぼ同時に部屋の中に乾いた音が響き渡り、こうしてケイン・シュヴァルツという男は…………死んだ・・・

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