第89話 最後の賭け金

「これで最後の勝負だモルガン……俺の手札はフルハウスだぞ!! どうだ、いくらお前と言えども今度こそ勝てないだろうっっ!」


 ケインは覚悟を決め、自信満々に自らの手札をオープンさせた。


 そこには2のワンペアと7のスリーカードとの組み合わせであるフルハウスだった。

 これに勝てるのは、同じ数字が4つ揃うフォーカード以上の役しかない。


 だが運命とは時に非常で、残酷なものである。


「さぁこれで俺の勝ちだな! これまでの負け分をようやく取り返せ……」


 自分の絶対的な勝ちを確信したケインはテーブル真ん中に山のように積み上げられている賭けチップへと手を伸ばすと、両腕で囲いながら持ち去ろうとしていた。 

 

「お~っと、お待ちください。ケインさん、貴方は少しばかり気が早いですね。私の手札がまだですよ」

「はぁ~っ!? い、一体お前はこんなときに何を口走って……ま、まさか……」

「ええ、ええ。私の手札はコレです」


 ケインは前のめりにした体を小刻みに震わせながらも恐ろ恐ろと思わずモルガンの手元を見てみると、そこには5~10まで揃った数字のカードいわゆるストレートフラッシュの役が並んでいたのだった。


「あ、ああ……ああああああああっ」

「はい、ありがとうございます。わざわざ私のためにこうしてチップを集めてくださって、ね♪ がっはっはっはっ」


 ケインは……負けてしまった。それも最後の最後、全財産である屋敷と今住んでいる家、その二つを賭け望んだ大勝負に。

 体から力が抜けてしまったのか、モルガンが彼のことを退かすよう額を軽く突付くと、そのまま何の抵抗もなく後ろ手に倒れてしまう。幸いにも椅子があったため、床に大の字で倒れるような惨事にはならなかったのだが、ケインはもはや死人のように腕を垂れ下げ、天井を見上げたまま呆けてしまう。


 それはすべてを投げ打ち負けた敗者が見せる、なんとも情けない格好をしていた。


「これはこれは……なんとモルガンの勝ちだったか。はぁーっ、これはリアンにしてやられてしまったな」

「ふふふっ……ルイス様は、また心にもないことを仰って」


 そこでルイスとリアンの賭けも、リアンの勝ちとなった。けれども彼らの間では何も賭けておらず、ただ口先だけの勝ち負けしか存在し得ない。

 ケイン以外の三人が盛大に笑い、今宵のポーカーは幕を閉じるはずだった。


「ま、まだ……まだだっ! も、もう一回勝負してくれっ!!」

「おやおや、ケイン。キミは本当に諦めが悪いんだな。先程の勝負でモルガンに負けてしまい、もはや賭けるものが何もないのだろう?」

「ふふんっ。賭ける物がなければ、いくら論じようとも……」

「……リーを……ける」

「んっ?」


 ルイスとモルガンがすべてを無くしたケインを小馬鹿にするかのようにニタニタとした笑みを浮かべていると、彼は聞き取れないほどの小声で何かを呟いた。

 その場に居る三人はケインが狂言の類の言葉を口にしたので、いよいよ気が触れてしまったのだと思ったが、どうやら違ったようだ。


「……ケイン様、一体何を賭けるおつもりなんですか?」

「だからマリーを……俺の妻であるマーガレットを賭けるって言ったんだ」

「俺の妻……」

「…………マーガレット?」


 何か思うことがあったのかリアンが再度ケインに対して聞き返すと、そんなとんでもない言葉が返ってきた。


 これにはさすがのルイスとモルガンも驚き、彼の言葉をオウム返しに聞き返す他なかった。

 けれどもすぐにケインの置かれた状況を考量して、ルイスが口元を緩めながらもこう口を開いた。


「なぁ~るほど……つまりキミは妻であるマーガレットをポーカーの賭け金にするつもりなんだね!」

「ケイン様、さすがにそれは少し……」

「止めてやるなリアンよ。彼はもう進退窮まってしまったのだ。なんせ今住んでいる家や屋敷までを失い、残されたのは自分の命か妻……もうそれしかないのだ。だろう、ケイン?」

「ぐっ……そ、そのとおりだ。俺にはもうそれしか……」


 それ以上ケインは言葉を続けることはなかった。自らが正気でないと悟ってなのか、それとも口にしてから口憚るとでも思ってしまったのか、どちらにせよもう元には戻れない。

 なんせ自らの妻を賭け金にしようとしているのだ、正気の沙汰ではない。仮にそれが狂言の類だったとしても、結果は変わることは決してない。


「ふふふっ……ちょうど今、私は一人身でしてね。夜も寂しいんですよ……くくくっ。その賭け、是非とも乗らせてもらいましょう」


 モルガンは先程までの動揺もなく、そう口にする。

 その表情は奴隷を買いに来た劣悪な主にも負けないほどである。


「ぐへっ……ぐっへへへへっ」


 気色悪い顔を浮かべ、何やら上の空で妄想に勤しんでいるようだった。

 きっと彼の頭の中では既にマーガレットとどんな風に夜を楽しみ過ごすのか、それしか考えていないのかもしれない。


 彼は貴族らしい風貌とはいえ、その見た目40過ぎの男である。自分より20以上も離れた若い妻を娶ることは何よりも快感に違いない。

 それは借金という目には見えない鎖で繋がれた若い人妻であるマーガレットに対して、何をしようとどんな仕打ちをしてしまおうと彼の思うがままである。


「ルイス様、本当によろしいのですか? あのような賭け事を成立させてしまって」

「……ふん。まぁケインが良いならいいんじゃないか? 外野がとやかく言う必要はないだろう。それに俺達もケイン同様にもう後戻りはできないからな」

「で、ですがいくらなんでもそれはっっ!」

「くどい……どうしたというのだ、リアン? 今更何か思うところでもあるというつもりなのか?」

「……いえ。特には……何もありません」

「なら、早くカードを配ってやれ。ほ~ら、モルガンも待ちきれないと言った表情をしているぞ。見てみろよ、あの醜い顔を。まるで豚か何かの皮面を貼り付けたのようにも見えるぞ」


 リアンはどこか悔しそうな顔をしながらも、主であるルイスの命に従うほかなかった。

 そして一瞬だけ自分の反対の席に座っているモルガンへと目を向けると、今か今かと自分の欲を満たすべく腹を空かせた獣のような表情をしていた。


 リアンはそんなモルガンを見て気色悪いと思いつつも、「自分には果たすべき目的があるのだから……」と言い聞かせることで自らの感情を押し殺し無表情のまま、カードをシャッフルしていった。


「あっ……す、すみません」


 だが表情には出さずとも心内では動揺してしまっていたのか、リアンはカードを切る際に誤って指で1枚のカードを弾いてしまい、テーブル上へと落としてしまう。


 慌てて謝罪の言葉を口にして拾い上げ再び切り直すがケインやモルガンは互いを見ており、そしてケインはどこかつまらなそうに「いいから、早くやれ」っと軽く右手で払うような合図を二度するだけだった。


「……それではカードを配りますね」


 スッスッスッ……各自に5枚ずつのカードが配られていく。

 本来ならケインとモルガンのみでポーカー勝負をすればいい話なのだが、ルイス達が必ず勝つにはこの四人でのポーカーでなければならなかった。


「ど~れどれ今回の私の手札は、っと。……おや?」

「うん?」

「……」


 そこでモルガンとルイスが異変に気づいた。

 ケインは配られたばかりの自分の手元にある5枚のカードを裏返しにしたままである。


 通常自分の目で手札を見て判断し、役が揃っていないカードは山札から交換するのがポーカーにおいての定石セオリーである。

 それなのにケインは手札を見ようとはせずに、ただテーブル上を見つめているだけだった。

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