第84話 崩壊への静寂

 現場責任者とは労働者を指揮し全面的に管理するのが仕事なのだが、アルフは他の労働者達と同じく率先して坑道へと潜り、タガネと金槌片手に鉱員と共に鉱脈を探していた。

 

 日の光が届かない坑道では昼も夜も関係ないため、アルフはレストランで昼は働き、その後鉱山へ向かうのを日課としていたのだ。


 坑道内部は当然のことながら真っ暗闇であり、壁にかける鉄の受け皿には鯨などの動物脂や樹脂を燃やすか、油などを染み込ませた松明に火を点ける。作業する手元を照らすことができるのは、持ち運びできる小さな蝋燭皿だけである。また安全で明るい蛙型灯油ランプもあるのだが、それでは灯油の値が張るため探索する時以外には使わない。


 また酸素が十二分に送られずに働き続けると酸欠状態になってしまうので、30分に一度は新鮮な空気を肺に取り込むため地上へと出ることになっている。だが、砂埃が舞う坑道内部は決して体に良いことはない。


 何故なら細かい粉塵は肺の奥へと入り込み、重度で慢性的な病気を引き起こすからである。一応その対策として当て布などで鼻と口元を押さえてはいるが、完全に防ぐことは出来ない。坑道へと潜る鉱員達はいつ落石するか分からない危険性とともに、常に肺の病に冒されるリスクに晒されていたのだ。


 それでも鉱山で働くのにはアルフ同様、家族を養うという使命感があるからに違いなかった。

 デュランもそれを理解しているからこそ、働いた分の賃金に関して値切ったりはせずにそれ相応分を一日も滞ることなく支払っている。


(もうそろそろ鉱山を再開してから一ヵ月になるな……。そろそろ何かしらの成果が出てくれないと資金が底をつくのは火を見るよりも明らかだ)


 デュランは頭の中で鉱山を再開させてからかかった費用、それらすべてを計算していった。


 蒸気ポンプを動かす燃料の石炭に金貨10枚、タガネや金槌などの道具類を人数分買い揃えるのに金貨2枚、掘り進めた坑道内部を支える大量の柱木が金貨5枚。


 毎日の出費として坑道へと潜る鉱員には危険手当も含め一日あたり銅貨20枚を支払い30人を雇い入れ、地下から掘り出した石の仕分けや片付けなどの軽作業員に一日あたり銅貨10枚を支払い10人を雇っていた。


 労働者の賃金だけでも一ヵ月あたりの支出は金貨2枚分以上の支払いになり、この他にも灯す脂などの燃料も合わせると一ヵ月では金貨20枚分の資金がかかることになる。

 デュランが出資者から得た資金は僅か金貨100枚ほど。このまま何の鉱物も出なければ、あと四ヵ月後には破産してしまうのは誰が計算しても理解できることである。


(もしくは今現在雇っている鉱員の数を減らすか? いいや、一旦雇い入れたのに解雇するのは労働者にとって何よりも残酷なことだよな)


 必要最低限の人数だけを雇い入れれば、支払うべき賃金は半分程になる予定のところ、アルフが紹介してくれた人数はなんと50人以上だったため、デュランは一人でも多くの労働者を雇い入れていたのだ。


 皆その日食べる物にも困り果て、最後の頼みの綱としてデュランを頼ってきたため、彼は無下に断ることができなかった。

 聞けばその誰もが他の鉱山で働いていたのだが、満足な賃金どころか、安く使われた挙句にその賃金の支払いが滞り、ついには解雇されてしまったとのこと。


 もちろんそれは違法解雇であり働いた分の賃金を支払わないのもまた違法なのだが、資本主義においての違法もまた、絶対的に殉ずるべき『法』なのである。

 そして労働者である彼らが何よりも重視しなければならないのは国の法ではなく、雇い主が勝手に決めた労働規約、それがすべてなのだ。


 だから休みなくも安い賃金で働かされ、日払いで賃金が支払われるところ後日の支払いになろうとも、彼らはそれに従うほか生きる道がない。仮に雇い主に異議を唱えれば、容赦なくその日のうちに解雇されてしまうことだろう。


 不満を持つ労働者達で一致団結してストライキを起こすという手もあるが、基本的にそれらの主張が通ることは絶対にない。

 何故なら雇い主に異議を唱えるということはそれ即ち社会の仕組みに対して異議を唱えること、延いては国の政策に対する批判と見なされ、国または私兵の自警団によってその圧倒的な武力により社会に仇名す反乱分子として鎮圧されてしまうのだ。


 金で雇われる自警団で有名なところで言うと、アメリカンの『ミニットマン』がそれに該当するだろう。

 ミニット……つまり1分で駆けつける男達という意味合いでその名を轟かせ、武力とは銃を意味する。


 彼らはストライキをしている労働者の元へと赴き、容赦なく銃を発射し射殺する。

 だがそれでも決して彼らが罰せられることはほとんどない。


 本来殺人はいつの世でもタブーであり、無意味に人を殺してしまえば裁判にかけられることになるのだが、逆に何かしらの大義名分こそ整ってさえいれば、それすらも合法となり得るのだ。


 資本主義社会において労働者とは使い捨ての消耗品と同義なのかもしれない。

 それこそ人権など無いに等しく、代わりはいくらでもいる状態。それが彼らが生きる現実であると同時にすべてなのである。


(社会を変えるには、国民の意識からもって変えるほか道はない。例えそれが茨の道になろうとも、時間がかかろうとも、今変えなければ国として生き残れない。それは国だけではなく貴族とて同じことだろう……)


 デュランの頭の中ではいつの日か、下流階級の人間達が貴族をはじめとする上流階級の人間達への不満が募り、ついには爆発して反逆の旗を挙げるのだと確信していた。

 それは『革命』を意味しており、遠くない将来であると彼自身そう思わざるを得なかった。

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