「私、思うんだけどさぁ」

阿井上夫

第一話 「執事の名前って」

「私、思うんだけどさぁ」


 二時限目が終わった直後、僕の隣の席に座っていた朝倉あさくら菜摘なつみが、今日も唐突にそう言ってから僕のほうを見た。

 僕は身構える。

 彼女がこんな風に話を切り出した時、その後に続く話の内容にはろくなものがない。だいたいが「わざわざ思わなくても良い内容」で、相手をすると長くなるし、かといって無視していると執拗しつように繰り返してくる。

 幼馴染で、見た目もそこそこ可愛いので、男子高校生としては本来ならば「もっと親密な関係になりたいな」と心の底から思わなければいけないところなのだが、その残念な行動が僕の気分を害しまくるので、どちらかといえば鬱陶うっとうしい。

可愛鬱陶かわうっとうしい」というカテゴリーがあれば、間違いなくトップクラスの実力の持ち主である菜摘は、黒目の大きいきらきら輝く瞳で僕を見つめながら、こう言葉をつなげた。


「小説やアニメに出てくる執事の名前って、どうしてセバスチャンなんだろうね」


 ほら来た。やっぱりどうでも良い話だった。

 ここで無視すべきか一瞬だけ迷ったが、結局は己の欲求に負けて話に乗ってしまった。なぜなら、以前その件について調べたことがあったからである。

 僕は咳払せきばらいしてから、言った。

「おほん。通説だと、アニメ『アルプスの少女ハイジ』に出てきた使用人のセバスチャンがその由来と言われているよ。調べて本を出した人もいる」

 僕がそう言うと、菜摘は怪訝けげんな顔をした。

「なんか最近過ぎない? もっと昔の、西洋の古典かなんかが由来だと思ってた」

「そこそこ昔の話だって。『アルプスの少女ハイジ』が放送されたのは一九七四年だからね」

「でもさぁ、『アルプスの少女ハイジ』ごときでセバスチャンの職業選択の自由が侵害しんがいされるだなんて、なんかおかしくなぁい?」

 ときに物事を誇大こだいに表現するのは、彼女の悪いくせである。

 僕は小さく息を吐くと、話を続けた。

「それだけじゃないよ。その後、一九七八年の『ペリーヌ物語』と一九八九年の『ちびまる子ちゃん』に、執事やホームヘルパーとしてセバスチャンが登場している。もちろん、その後もいろいろな作品に出てくるけど」

「ふうん。でもさ、それじゃあただの登場人物の一人だよね。明確に『執事イコールセバスチャン』と定義した作品はどれなのよ?」

「はっきりとした話じゃないけど、一九九一年の『サディスティック・19』という漫画の中で、それまでは普通の名前だった執事が『執事だからセバスチャンね』と、主人に改名を強制されるシーンがあるので、それが最初じゃないかって言われてる。ちなみに『嫌ならギャリソンね』という台詞セリフがその後に続いているので、そっちの路線が選択されたら『執事イコールギャリソン』だってありえたかもしれない」

「ふーん。で、『ギャリソン』て誰よ?」

「『無敵鋼人ダイターン3』の登場人物、ギャリソン時田」

「知らないわよ、そんな人。それにしても『アルプスの少女ハイジ』が諸悪の根源だったとは知らなかった。宮崎駿が黒幕ということなのね」

 僕は少し首をかしげた。

「それはどうかなぁ。スイスの作家、ヨハンナ・スピリが書いた『アルプスの少女ハイジ』の原作小説にもセバスチャンは出てくるから、出典はそっちというのが正しいんじゃないかな。ただ、小説だとセバスチャンが執事で、ロッテンマイヤーさんは部下の家政婦長だけど、アニメではロッテンマイヤーさんが執事で、セバスチャンは使用人の一人になっているけど」

 これは後になって気がついたことなのだが、なぜか僕は自然に『ロッテンマイヤーさん』と呼んでいた。それは菜摘も同じことらしく、彼女はこう言った。

「ああ、ロッテンマイヤーさん。小説・アニメ界の二大『マイヤー』のうちの一人だよね」

「二大『マイヤー』って何だよ、というか他の一人は誰だよ?」

「ウォルフガング・ミッターマイヤーに決まってるじゃない」

 ポニーテールを盛大に揺らしながら頭を縦に振る菜摘を見て、僕は言葉を失ったが、彼女はそんな空気にまったく動じることなく、再び黒目の大きいきらきら輝く目で僕を見つめながら、こう続けた。


「じゃあ、どうして日本の名探偵って、苗字か名前が三文字なんだろうね」


「えっ?」

「だってさあ、金田一耕助とか、明智小五郎とか、江戸川コナンとか、みんなそうじゃない」

「いやいや、金田一や明智と並んで日本三大探偵と呼ばれているのは神津恭介だし、浅見光彦もいる。江戸川コナンの本名だって、工藤新一じゃないか」

「十津川警部」

「杉下右京」

「御手洗潔」

「湯川学」

「じゃあ、三毛猫ホームズ」

「それは人ですらないじゃないか」

「まあ、それはそうなんだけどさぁ。ところで水沼みずぬま君」

 水沼――水沼みずぬまきよしというのが、僕の本名だ。

「なんだよ」

 菜摘は眉をあげつつ、眼を細めて言った。

「なんでそんなに『執事イコールセバスチャン』説に詳しいの? もしかしてオタク?」

 僕は思わず心の中でツッコんだ。


 ――「二大マイヤー」と口走る女に、そんなこと言われたくないわぁ!


( 終わり )


*参考文献

『日本の執事イメージ史 物語の主役になった執事と執事喫茶』

 (久我真樹、星海社、二〇一八年)

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