第十章 明暗境界線 ①
紅穂…昼と夜の境目って、どこにあるのかな
壬生沢英智…闇を見つめるのではなく、闇の中の光を探しなさい
1
蛇の道は蛇、とか。
搦手の備えは、J達の知る通り、それほど強固ではなかった。
三の丸、二の丸、ぐるぐると曲がりくねって続く桜の馬場を、一行は素早く、慎重に進んだ。内堀も、外堀同様の手法で、橋の下を渡る。内堀の見張りは、門傍の見張り小屋で1人は頬杖をついて、もう1人は帽子を目深に腕組みしてうたた寝していた。よくあること、らしい。外より内の方が警戒が緩いのだと、Jが言った。
なんなく、というほど涼しい顔ではないが、それでもトラブル自体はなく、青の塔のほぼ真下まで辿り着いた。
青の塔は、凄まじい迫力だった。
紅穂は、スカイツリーを思い出した。
首が痛い、どころではない。恐怖を覚える佇まい。
ただ、美しい。生憎の曇天で、最早キラキラと輝いてはいないが、どういう技法か、青い大理石の様に艶のある石造りで棒状の塔が、一切の継目なくそびえ立っているのは、圧巻だった。
塔の正面には、数十人の青い軍服姿の人影がある。紅穂達は、軍人の群れを遠巻きに、塔を取り囲む白い塀に沿って、裏手に回った。
裏手には、塔に沿って巻き付くように、階段があった。
まだ、塔には近づかない。
皆、塀に沿って植えられた木立の下でしゃがんでいる。
J達は、遠く、空港方面の空を見ていた。
茉莉花は、手元の時計を見て、じっとしている。
曇りだが、湿度が高い。
汗は、先ほどよりひどくなっていた。
腰に付けたドリンクホルダーから、また水筒を外し、水を含む。
あまり飲み過ぎないように気をつけよう。
トイレに行きたくなったら、困る。
それにしても。
不安感から、直線的には見えない、空港の方面を見る。
多分、約束の時間が過ぎている。
茉莉花の表情に苛立ちが覗いていたことからも、そう感じる。
風が吹き、一時止んでいた遠雷が鳴った。
天候不順で中止、なんてこと、あるのだろうか。
「ちっ、遅えな」
茉莉花が独り言のように呟いた。
紅穂は黙ったままでいた。
顔だけ出したJが、茉莉花の傍に来る。
「何分経った?」
「40分。約束より」
茉莉花が答えた。
「そうか。何かあったんだろうな。あるいは、政治的な絡みで、身動きが取れなくなったのかもしれない」
「それならそれで、連絡が来るはずになってる」
「茉莉花。そうは言っても、拘束されたのかもしれない」
「七川目の旦那。水神は約束を守る。それがウチらの誇りなんだ。すまない。もう少しだけ待ってくれ」
茉莉花が頭を下げた。
「よせよ。ここまで来ただけで御の字だ。元々俺たちの問題だからな」
「違う。班目同様、ウチもすべてを理解したわけじゃないけど、これはもうウチらの問題でもある。ウチは、あんた達を元に戻してあげたいし、紅穂ちゃんだって無事に家に返してあげたい。おじいさん諸共。これはもう、天井人達の問題でもある。だから…少し時間が欲しい」
そういう茉莉花に、Jは頷いて言った。
「分かった。だが、俺たちに明日はない。もう20分待って空港に動きがなかったら、俺たちは行く。茉莉花は、紅穂を連れて空港に戻ってくれ」
「えっ?やだよ。あたしも行くよ」
「紅穂、困らせないでくれ。俺とロンとウィルだけでは、成功の見込みは低いし、紅穂を守ることは出来ない」
紅穂は黙り込んだ。なんだか涙が出てくる。悔しいのか、悲しいのか、どちらか分からない。顔を下げた。
「分かった。だけど、無駄に命張るなよ。あんた達には、水神が付いてるから」
「ああ」
風が吹き、空が鳴る。ポツリ、と雨が落ちた。
紅穂はもっと雨が降ればいいのに、と思った。
そうすれば、泣いてるかどうか分からなくなるのに。
紅穂の願いが通じたか、雨が本格的に振り始めた。
2
頭が割れるように痛い。
コニーは手元にある3部隊の内、2部隊に地上での捜索を命じ、1部隊を伴って、ブルーフォレストへ戻ることにした。
田丸には叱責されるだろう。
だが、それが何だと言うのだ?
創家に逆らうのは怖ろしいことだ。
死より辛い運命があるかも知れない。
あいつらの様に。
でも、それが何だと言うのだ?
今の僕は、生きていない。死んでいないだけ。
遠い昔、地上で聞いた言葉が、リフレインする。
自分自身を取り戻さなければ。
あいつらがまだ、生きている様に、誰かが、どこかの誰かが助けてくれるはずだ。
そうでなければ、天井も地上も、この世は闇だ。
そんな世界に、どのみちなんの未練がある?
誰かが。
コニーの頭の片隅を、在りし日の誰かが浮かびかけて、頭痛に掻き消された。
3
「まだ許可が下りねえのか?!もう40分遅れてんだぞ?!」
艦橋で檀衛門が怒鳴った。
一度目ではない。だから誰も首を竦めたりしなかった。
班目、堀切川が檀衛門に近づく。
「親方。行きましょう」
檀衛門は、意外そうな顔で2人を見返した。
「おめえら…」
「舐められる訳にはいきません」
堀切川が語尾を濁さずに言い切った。
班目が後を続けた。
「仲間を見殺しにも出来ません。約束を破るってえのは、一生付きまとう。どんだけ晴れた日でも。あっしには、それはどうしても出来ません。もう、遅れちまってる。派手にブチかますしか、七川目の旦那達に面目が立ちません」
散々部下を煽っておきながら、檀衛門は黙り込んで腕組みをした。
「…いいのか?下手すりゃ俺たちもみんなお縄だぞ?」
「青のへっぽこどもにそんな簡単にやられるとは思いませんがね。こうなりゃ承知の上、ですよ。それより、七川目の旦那達に恨まれる方が、あっしにはよっぽど怖え」
「私もそう思います。火が、正しいことの火が消えてしまう方が怖い」
「そうか…おい!紫炎につないでくれ」
檀衛門が言うと、オペレーターが素早くコンソールをクリックする。
少しの間で、スクリーンにはすぐにゴー・マイ・ハーが出た。
「檀衛門。どうする?」
創家の内のひとつ、紫炎党党首、ゴー・マイ・ハーは、その妖艶な眉を八の字にして、憂いの溜息と共に言葉を吐き出した。
「ゴー。数で威圧して、青にプレッシャーをかけるつもりだったが、あいつら引く気はねえようだ。こちらも黒が来てねえから、そこまで迫力も出せてねえのが現実だ。だがな、俺たちは、強引に着陸して、一暴れするつもりだ。その姿を見て、目が覚める創家もあるかも知れねえ。けどな…これ以上紫に迷惑はかけられねえ。おめえさん達は、一歩引いて、事の成り行きを見守ってくれ。そして、俺たちが失敗したらよ、ゆっくりでいい、間違いを正す努力をしてくれ」
檀衛門は巨体を折って頭を下げた。
ゴー・マイ・ハーは、再び溜息を吐く。今度の溜め息は呆れ調だった。溜め息と共に、両手を上に上げる。
「檀衛門。檀衛門。あなた何か勘違いしてるわ。いい?わたし達はわたし達なりに考えてここに来たのよ?あなたに誘われたから、だけじゃない。第三エリアの創家は、バランスが崩れて、地上は大きく乱れている。単に創家の権力争いのためにここに来た訳じゃない。その点に関しては、実際、詳しい事情は分からないわ。でもね、今のままじゃ駄目なのは分かってるの。一部の権力が多くを持ち過ぎ、より多くの人達の不幸が増え続けているわ。なのに、有力創家は権力争いばかり。今、ここで動かなければ、次は来ない。今日はそういう日なの。だからご一緒するわ。水神衆が動かなければ、わたし達だけでも、ブルーフォレストに着陸して、藍姫に詰め寄るつもりだった。それが分からないの?馬鹿にしてる。女心をもう少し分かる男だと思ってたわ。損した気分」
「ゴー…」
言いかけた檀衛門を、ゴー・マイ・ハーがしなやかな手つきで遮る。
「これ以上の問答は無用よ。行くの?行かないの?」
「おおう!もちろん行く!ありがてえ!全部終わったら礼をするぜ!」
「そう。わたしはあなた達の管区で取れる宝石が好き」
「ガハハハッ!任せとけ!一番いいモノを選んでやるよ!」
「ありがとう。じゃあ、行きましょう。なんて言った?あなたが良く使う、ブチなんとか?」
「ブチかます!」
「アハハ!そう、それ。ブチかましましょう!」
「おおう!野郎共!グズグズすんな!青の空港に強制着陸!ブチかまして制圧しちまえ!」
「アイアイサー!」
艦橋の全員が起立して敬礼すると、「火竜」はブルーフォレストに向かって前進した。
4
「時間だ」
言ってJが立ち上がった。
茉莉花の、雨に打たれた顔が上がる。
光が走り、雷が、強く鳴った。
この分だと、侵入はしやすいかもしれない。
不幸中の幸い、とも言える。
茉莉花は黙って何度か頷いた。唇を噛んだまま掌を握ったり、開いたりしている。
「ロン、ウィル。行くぞ」
Jが言い、茉莉花に向かって手を差し出した。
茉莉花が明らかに力なくその手を握った。
「あいよお」
「グッキュ!」
ロンとウィルも、茉莉花と強引に握手する。
握手が終わると、Jは紅穂の方に来た。紅穂は泣きそうな顔で、J達を見る。
「紅穂。元気でな」
「やだよお」
紅穂は、子供の様に駄々をこねて見た。涙が流れるのを隠しもしない。
「紅穂…」
嫌がる紅穂の手を、Jが両手で掴んだその時。
ドガアン!
物凄い音がして、一堂、ビクリと体を震わせた。
一瞬、紅穂が思ったように、その場に居る誰もが雷だと思っただろう。
しかし、光っていない。
「来た!!!」
裏戸隠れの誰かが言った。
声のする方、視線の先を一斉に見る。
見れば。
空港方面で炎が上がっていた。
「間違いない。始まったんだ!七川目の旦那達!」
茉莉花がJを揺さぶる。
「しかし、まあ、なんて言うか、随分と派手な…」
Jが揺さぶられながら、呆れたように言うと、茉莉花が言った。
「当たり前だろ!遅れた分、派手に合図してくんなきゃ!こちとら水神衆よ!」
良く分からない理屈ではある。が、約束した相手が、息せき切って走って来るような、その姿をせめて精一杯見せてくれるようなその登場の仕方は、なぜだか胸と瞼を熱くした。
「紅穂よお。あんま泣いてっと、体の水分無くなるよお」
「グッキュ」
ロンとウィルが、紅穂の腿を叩いた。
「何よ!あんた達、雨降ってんでしょうに!」
紅穂が、ぐいっと目元を拭うと、みんなが笑った。
「何よみんなして!行こうよ!みんなで!」
紅穂が言うと、その場にいる全員が力強く頷いた。
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