第九章 最大の防御 ②
3
翌朝。
朝日を浴びて、ひとりでに目が覚めた。
よく考えたら、夏休みの計画は大きく変わっていることに気が付いた。
ほんの二日のことなのに、もう、夏休みを全部使ったぐらいの冒険をした気がする。
手早くシャワーを浴びて、用意を整える。
ルベライトのペンダントとヒュプノクラウンは、首に掛けたまま寝た。
他に大切なものはない。
一応、ポケットのスマホを叩く。
充電がないので、無用の長物だが、日常との接点を感じて、有ると落ち着く。
部屋を出て、隣の部屋をノック。
ゲストエリア、隣はJの部屋だ。
昨日の午後の話し合いの後、みな、それぞれ準備があると言って解散したので、その後から誰にも会っていない。
スィン、と音がして、扉が横にスライドした。
「あれ、ロン?ウィル?ここ、Jの部屋じゃないの?」
「おっす!」
「グッキュ」
片手を挙げる小動物たちとハイタッチ。
「おはよう、紅穂。よく眠れたかい?」
奥からJが声を掛けて来た。
「うん」
紅穂が部屋に入る。
Jの部屋の真ん中にある丸テーブルの上では、地図が夏の朝日を浴びている。
「もうすぐ茉莉花が来る。出発まであまり時間がないが、軽く打ち合わせしよう」
「オッケー」
紅穂が返事をするのに合わせるようにノックの音。
ロンが、ベットによじ登ろうとするのを途中で諦めて、入り口に向かった。
「おっはよう!」
声も姿も艶っぽいが、勢いはあまりに健康的だ。
「おはようございます」
「おはよう紅穂ちゃん。よく眠れた?」
紅穂は笑顔で頷く。
頷き返して、茉莉花はベットの上、ロンの横に座ると、手提げ袋から何か取り出した。
「朝ご飯買って来たよ」
「いえぇい!」
ロンがベットの上で跳ねる。
「グッキュ~」
ウィルが布団をパシパシ叩いた。
「えっと、ツナマヨでしょ、おかかでしょ、沢庵でしょ、鮭でしょ、エビマヨ、高菜、じゃこ、焼肉、焼き鳥、卵。全部2個ずつ。あと、お茶」
おにぎりの山が、茉莉花の腿の上に積み重なる。
紅穂は、ツナマヨとエビマヨをもらった。
「なんだよお。紅穂、マヨラーかよお」
ロンが茶化す。
「いいんです!美味しいんです!」
紅穂はロンに舌を出す。
「それでだ」
皆でおにぎりを齧りながら、今日の作戦の打ち合わせをする。
研究エリアまでは、道案内はともかく、茉莉花主導で動くことになる。
水神衆の持っている神魔器頼みだからだ。
空港には5人の水神衆を残し、茉莉花、J、ロン、ウィル、紅穂の5人と、裏戸隠れ隊の14人、総勢19人が、青の一族のセキュリティーを欺いて、研究エリアを目指す。
研究エリアの入っている棟までは、徒歩で一時間ほど。
レーダーを攪乱する神魔器と、隠れ蓑で、屋外を移動する分には、まずバレないはずだ。
茉莉花達が空港に到着してから1時間30分後には、檀衛門率いる創家連合が到着する。
そうなれば、否が応でも、空港方面に注意が向く。
そのタイミングで、研究エリア棟に入り、可能な限り、隠れて進む。
研究エリアに入り、そこで二手に分かれ、裏戸隠れ隊の内5人が、セキュリティールームに侵入。セキュリティー機能を破壊し、サーバーをダウンさせる。
残りで研究エリアを制圧、壬生沢博士の身柄を確保。残りの研究者、天井人を説得(場合によっては拘束)し、協力を得る。
その後、研究エリアに飼育されている動物達の内、害のない物を選んで館内に放ち、混乱を作る。
その状況に応じて、上の階、創家専用エリアを目指す。
「で、どうかな?」
Jがおにぎりの袋を潰しながら、茉莉花に聞いた。
「いいん、じゃない?」
茉莉花がお茶を飲みながら答えた。ゴクリ、と白い喉が動く。
「いいけど、問題はその後よね。いくら、空港方面に人手が割かれてても、藍姫周辺が無人、てことはないでしょ?親方と合流すれば、それも問題じゃないかもしれないけど、あんた達、待つ気ないでしょ?」
「んだよ」
ロンがおにぎりを齧りながら話す。
「じゃあどうすんの?」
Jが答える。
「残りの神魔器を使う。100人ぐらいまでなら、何とかなるはずだ」
「グッキュ」
ウィルがおにぎりの具だけ摘まんで食べていた手を止めて、胸を叩く。
「ふうん。そりゃ、藍姫以外はいいけどさ。藍姫には神魔器が効かないんじゃないっけ?あの衣は、そういう神魔器でしょ?」
「ほええ。マツリ、おめえよく知ってんなあ」
「当たり前だよ。ウチは、水神衆裏戸隠れ隊の隊長だよ?」
「その通り。たいがいの神魔器は効かない」
Jが肯定する。
「だが、切り札がある」
「切り札?」
「ああ、茉莉花には世話になったからな。俺たちの切り札は、ヒュプノクラウン、強制的眠りの神魔器だ」
「それが噂の3Sランクの神魔器かい?そりゃすごいね。無敵じゃん。がんがん眠らせればいいじゃん。なんなら、ブルーフォレストごと」
「それが、そうは行かない」
「反作用かい?」
「そう。ある方法以外では、多分、だが目が覚めない。それだけじゃない。超指向性で、影響範囲は物凄く狭い。一度に一人が精々だ」
「なあるほど。それじゃあ無理か。全員整列させて、順番に眠ってもらう、って訳にはいかないからね」
茉莉花がベットに両手をついた。
「そう。だから切り札さ。ただ、少なくとも、藍姫には寝てもらう。運が良ければ、田丸にも」
「ん?いいの?目が覚めないと困るんじゃないの?」
意外そうな茉莉花にロンが答えた。
「オデ達は知ってるんだあ」
「目の覚まし方?」
「そお」
「グッキュ」
「それはいいとして、別に眠らせなくてもいいんじゃないの?」
「いや、昨日まだ話さなかったが、最大の問題を解決できない内は、寝てもらった方がいいと思う」
「最大の問題?」
「そう」
「なによ?」
「藍姫の戻し方だ」
「なっ、そうなの?!」
「そうだ。だから、眠ってもらってその間にその方法を探すしかない」
沈黙が訪れた。
「まあよお。とりあえずはその話は後にすっぺよお。御前に辿り着いてからのことだけどよお。オデとウィルで昨日の夜考えたんだあ」
「グルッキュ~」
ロンがベットの上に立ち上がりながら胸を張った。
「それはよお…」
ロンが話し、ウィルが丸テーブルの上の地図を指さし説明する。
「ははあ。そりゃ面白い」
茉莉花が感心したように言い、Jも続いた。
「いいじゃないか。それで行こう。ロン、ウィル、紅穂、頼むぞ」
3人が力強く頷いた。
4
水神衆旗艦「火龍」。
翼を広げた翼竜を模した真っ赤な機体は、約束の時間を今か今かと待っていた。
ブリッジでは、いつもどっかりと腰を落ち着けている親方、百目鬼檀衛門が、珍しくそわそわと歩き回っている。
七川目達が出立して30分は経過している。
「班目!
「へい…連絡はありやした。なんでも準備に手間取ってるとかで、遅れるそうです」
「遅れるっておめえ、あとどんくらいよ?」
「それはあっしにも…」
「堀切川!」
「紫からは返信がありません。先ほど、使いを出しました…」
「どいつもこいつも。下手すりゃ大変なことになるってのによ。今日を逃したら次はねえ。かといって俺だけ行ってもなんの意味もねえ。複数の創家が懸念を持ってる、そう伝えなきゃなんねえのによ!」
班目も堀切川も黙り込む。檀衛門の焦燥は痛いほど分かるし、彼らも先発隊が心配である。
旗艦ブリッジのオペレーター達は、骨伝導式のイヤホンから聞こえる音声と、彼らが親方の怒声に耳を澄ます。気のいい親方だが、怒らすとそれはそれで怖い。
せめて時間通りに、モニターの隅にでも姿を現して欲しい。オペレーター達は祈るように動きのないモニターを睨みつける。
彼らの願いは、虚しく宙に消えた。
時間は過ぎたが、誰も何も言わない。
それは、オペレーターの仕事ではない。
オペレーターの視線は、班目と堀切川に向かった。視線が1人増え、2人増え、ブリッジの最前列から中盤列のオペレーターの視線も加わった時、班目と堀切川の視線が合った。
譲り合いは良くない。
「親方」
「親方…」
二人揃って檀衛門の背中に話しかけた。
「分かった」
二人に言われる前に檀衛門は背中越しに答え、目の前のコンソールを叩いた。
バシン。
ブリッジ内が震える。
「直通回線開け」
「しかし、この距離では、青の一族に傍受される可能性が…」
堀切川が控えめというよりは、おずおずといった感じで意見する。
「構わねえ!もう待てねえ!ドカンと一発ブチかます!それで目が覚めねえならしょうがねえ!駄目なら駄目でしょうがねえさ!所詮他人事、是非もねえ!俺らだけで行くしかねえ!やつらを見殺しには出来ねえからな!」
「分かりやした!おい、黒巾木の
「はっ!」
黒巾木方面担当オペレーターが久々に意味のある動きを指先に伝える。
空中に浮かぶ中央スクリーンに絵が入った。
「水神の…」
スクリーンには黒の創家、「黒巾木組」の主、鳳仁が現れた。
その端正な顔立ちには、苦渋としか表現できない表情が浮かんでいる。
「水神の、じゃねえ!!!」
檀衛門はこれもまた、怒声としか言いようのない大声を浴びせた。
スクリーン越しにも明らかなダメージ。
鳳はその場で一歩下がった。
「おい!下がんじゃねえよ!おめえ、どういう了見だこの野郎!男と男の約束破るってのはよお!」
あちら側にどういう風に映っているのかは不明だが、肩眉を上げたまま頬を震わせて怒鳴る檀衛門は、相当な迫力。
「か、か」
「蚊がなんだって?蚊と一緒にたたっ殺してやろうか?」
「か、家老連中が」
「ああん?家老連中?知らねえ!俺はおめえに話してんだ!」
コホン。咳払いがして、鳳が横に寄り、代わりに5人の老人が映り込んだ。
「水神の…」
「水神のじゃねえ!!」
檀衛門はスクリーンに向かって湯呑を投げつけた。空の湯呑は、スクリーンに向かって飛び、弧を描いて最前列のオペレーターまで飛ぶ。馴れている彼らは、軌道を読んで、器用にキャッチした。中身が入っている物を、檀衛門は投げはしない。
馴れている方はいいが、馴れていない方は困る。ぶつかるはずもないのに、スクリーンの中の人物は、全員その場でしゃがみ込んだ。
「いいか!黒巾木の。一回、いっかいしか言わねえ。5人も6人も居るからには聞こえなかったとも言わせねえ。来い。今すぐ来い。これはおめえ達が思ってるよりも、うんと重大な事なんだよ。人の生き死にが掛かってる。ウチの連中だけじゃねえ。もっとだ。もっと沢山の人の命が掛かってんだ。おい、鳳。仁よ。おめえ、仁義に厚いのが取り柄じゃねえか。名がすたるぜ?おい。じいさん連中に何言われたか知らねえがよ。協力すりゃ何だって出来る。おめえ、今日逃げたらこの先何世紀も後悔すんぞ。何も、俺が殴るとか殴らねえとかそういう話じゃねえ。自分自身に恥ずかしくってやってらんなくなるぞ。今な、自分達の生き方に後悔したくねえって命貼ってる連中がいんだ。天井人だけじゃねえ。寿命のある地上人もだ。黒巾木の。鳳の。すぐ来れば間に合う。仁だけでもいい。待ってるぜ」
檀衛門は手元のコンソールを操作して、通信を切った。
「親方」
「なんだ?」
「一生ついていきやす」
班目が言い、堀切川が頭を下げる。
「通信です!」
「黒ならつながなくていい。話すことはねえ」
「いえ!紫に繋がりました!」
「…つなげ」
スクリーンが切り替わり、アオザイを来た妙齢の女性が現れた。
「シンシャオ。檀衛門。まず聞いて。あなた怒ってる思うけど、ちょっと違う」
「よお。ゴー・マイ・ハー。怒ってねえよ。呆れてるだけだ」
「気持ちは分かる。約束に遅れたね。誰の仕業か、あたし達の城の艦隊のエネルギーが抜かれてたね」
「何だって?」
「すぐ動かせたのは2艦だけよ。ごめん」
「そうか…そりゃ済まねえ。油断しちまったか」
「いいの。謝らないで。油断したのはあたしたちなんだから。もう着く。行きましょう。青のお姫様のお尻叩きに」
「ありがてえ。あとどれくらいで着く?」
ゴー・マイ・ハーと呼ばれた女性は、長い髪を掻き揚げつつ、後ろを振り返り何か確認する。
「30分。最速でいくわ」
「おおう!待ってるぜ!」
それじゃあ、と言い合い、通信を終える。
「大方、黒の方にも何らかの工作が有ったのでは…」
堀切川が言った。
「おおよ。そうかも知れねえ。でもよ。だからこそ退いちゃいけねえ、鳳も分かるといいが…」
檀衛門が珍しく、語尾を濁す。
「船を進めろ。黒と紫は後詰めだ。まずは俺たちだけでブルーフォレストに向かう」
「アイアイサー!」
オペレーター達が待ってましたと言わんばかりの声で返事をした。
旗艦「火竜」が、ゆっくりとだが着実に動き始めた。
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